ライプニッツによれば、論理学はA=A、AB−C,AC=bに分類されます。A=Aは神をAB-C,AC=Bは固体化の水準にあたります。神は自由に想像するため、思惟属性が上位概念に当たります。思惟するとは、論理学、数学、幾何学、光学を表現方法して見い出します。思惟するとは、世界を創造することの概念で、延長族性は、物質界を司ります。
世界理性というものを考えれば、この思惟+延長属性で出来ています。神はア・プリオリに世界を創造します。ア・ポステリには、結果として、自然を産出します。
スピノザによれば、神の自由意志と共に何でも間でも産出してしまいます。これは在ら幾何に主意主義です。
こういしてみると、主意主義と主知主義が17世紀で対立したことになります。ライプニッツは、宮廷人や高級官僚とか付き合わなかったのに対し、スピノザは世間と付き合っていたことになります。果して、どちらがより社会をしっていたのでしょうか。
私見によれば、スピノザの方が、世間の人々と付き合っていたために、より社会を適切に把握していたことでしょう。ライプニッツは天才と交わらなかっため、あまり世間を知らす、社会システムや医学やハルツ鉱山の開発に手を染めることになりす。
とすれば、ちちらが複雑な社会を捉えることができたでしょうか。スピノザの法が、世間の人と、交り、より社会を知っていたと思います。
ライプニッツは、スピノザの考え方を真似たばかりでなく、天才たちと書簡を交わしながら、自分の哲学を練り上げ、ずるがしこく、含まったのに対し、スピノザの方は、自由に哲学を展開しました。とちらが上とも下とも言えないのですが、スピノザがライプニッツの哲学を教示したことは間違いありません。
スピノザが亡くなる前の前年、ライプニッツと対話しました。その内実はわかっていないのですが、おそらく、楽しい会話だったのでしょう。
主知主義対主意主義が17世紀で激突したのは、稀有なことですが、おそらくスピノザの方が、遥かに天才的だったと思われます。
ライプニッツは社会構造や、医学、数学で活躍しました。スピノザと対話した時、彼はニュートンと微積分に関わる問題で揉めていたため、スピノザも自分の「エチカ」を見せる時に、特に慎重だったと言われています。
天才か、ずるがしかい人が勝るか、誰もわからないでしょう。
ログインしてコメントを確認・投稿する