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2018年12月07日02:54

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歌枕紀行「広沢の池」4

 広沢の池は嵯峨野の山ふもとに広がり、京都市内でいちばん大きな溜め池です。造成はかなり古く、まだ平安京ができる以前、朝鮮半島からやって来た人々が、京都盆地をコツコツ開拓していた頃までさかのぼるよう。彼らは秦(ハタ)氏という長者に従って集団移住して来ましたが、故国で信仰していた神社も新たに作り、今の伏見稲荷や松尾大社ができました。

 どこの国でもそうですが、よそ者に与えられる土地は、原住民から見向きもされない荒れ地ばかり。慣れない異国で差別を受けながら、コミュニティーを支えに懸命にはたらき、やがて桓武天皇に見込まれて新しい都を作り上げた時は、みんなさぞ感慨深かったろうなぁと思います。
 
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◎広沢の月を見て、よめる(+歌)


       住む人も なき山里の 秋の夜は

                     月の光も さびしかりけり

(住む人さえいない山里の秋の夜は、月の光まで寂しく感じられるなぁ・・・)            


【藤原範永】11c中期。父・中清は『蜻蛉日記』の作者の甥。妻は歌人・和泉式部の娘
【月の光】平安時代以降、広沢の池は観月の名所として知られた

                       『後拾遺和歌集』秋上258・藤原範永

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