11月7日(水)
今日から下山だ。
8時、マチェルマのロッジを出発。
それぞれに疲れてはいるけど下りの道だ。
なんとか歩いていく。
ドーレを過ぎて樹林帯に入り、フォルテステンガに到着したのが12時だった。
ここのロッジで泊まる予定だった。
だけど満員で部屋がない、と言われた。
仕方がないから次のロッジがあるモンラまで行く。
でも、そこまで行くのに標高差300メートルを登らなければいけない。
昨日ふらふらだった奥さんは不安がっている。
無事に上まで行けるだろうか。
でも歩き始めると休憩することもなく足早に登ってしまった。
やはり高度順化ができているのだろう。
モンラの標高は3980メートル。
もう全員元気になって楽しい夜を迎えた。
11月8日(木)
昨日はたくさん歩いた。
だからナムチェバザールまですぐに着いた。
8時15分、モンラ発。
11時55分、ナムチェバザールに到着。
ロッジの前のベンチでイギリス在住男がのんびりと座っていた。
声を掛けると二階の窓が開きKさんが顔を出した。
二人とも元気そうだ。
やはり高度が下がると誰でも普通に戻る。
夜になった。
ネパールではティハールというお祭りの時期らしい。
お店の入り口では神様を呼び込むためのお飾りが作ってあった。
ロッジにも子供たちが踊りと歌を披露しに来た。
ゲストはチップを出して拍手しながら一緒に楽しんでいた。
それで、ロッジはずっと二人部屋に泊まった。
わたしはネパール大好き夫婦の夫の方と同室だった。
彼がこのころからひどい風邪になった。
声が出なくなり、くしゃみと咳を連発する。
それが夜通し、連日続いた。
だからわたしも風邪をひいてしまった。
せっかく下痢が治ったのに。
11月9日(金)
8時、ナムチェバザールを出発。
谷へ降りる道の休憩所で最後にエベレストを眺めることができる。
記念に写真を写す。
今度また来ることがあるかなあ。
12時30分、パクディンに到着。
午後は読書をして過ごす。
というか、他にやることがない。
夜はまた地元の人たちがロッジに入ってきてネパール民謡や流行歌を踊り歌ってくれた。
11月10日(土)
8時、パクディンを出発。
11時10分、ルクラに到着。
ディナーはガイドさん、ポーターさんたちと一緒に食べる。
海外登山の習慣で、最後の夜は労いのためゲストと一緒にテーブルを囲むことになっている。
このとき酒を出すこともあるけど、今回は飲まない人たちばかりだった。
それぞれにチップも渡す。
ゴーキョまで行ってくれた二人には、もちろん多く上乗せした。
11月11日(日)
ルクラから飛行機でカトマンズへ。
到着するとカトマンズがすごい都会に思える。
ディナーは皆さんの希望で日本食レストラン「モモタロウ」へ行く。
鯵の塩焼きとコロッケとご飯と味噌汁が美味しかった。
11月12日(月)
今回のトレッキングをアレンジしてくれたのはネパール大好き夫妻の知り合いの人だ。
ネパール人の金持ちファミリーでタパリアさんという。
そのタパリアファミリーの家長がランチを食べに来いと言っている。
ネパール大好き夫妻に任せておけばいいのだけど、夫はひどい風邪で、妻は山の疲れが残っている。
わたしも付き合うことにした。
高級住宅街にある三階建ての大邸宅だ。
食堂でネパールの家庭料理をいただく。
ネパールでは、とにかくたくさん食べると喜ばれるらしい。
体調不良の夫妻に代わってわたしが大量摂食を引き受けた。
皿の上の料理が少なくなってくると次のおかわりが盛られる。
「もう食べられません。お願いですやめてください」と言うまで際限なく食料が投入される。
日ごろのデカ盛りで鍛えた甲斐があり、かなりたくさん食べた。
夕食は一人で繁華街タメルにある中国料理の店に行く。
ひさしぶりにビールを酔うほどに飲んで満足した。
11月13日(火)
今日がやっと帰国の日だ。
飛行機は夜に出発だから時間がある。。
昼間からビールを飲んで、ふらふらとタメルの街を歩き回る。
カトマンズには交通信号がない。
自動車にひかれないように、道路を横断するときだけは細心の注意を払う。
11月14日(水)
日本に帰国。
すっかり風邪がひどくなり数日間寝込んだ。
ネパール風邪は凶暴だった。
日本に帰ってからも忙しかった。
すぐに長野でお泊りの飲み会があり、翌週は京都で面接授業、今週末は奈良で面接授業だ。
風邪を治す暇がない(´・ω・`)
おわり
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