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2018年09月18日19:34

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歌枕紀行「姫島」6(了)

 なにわ島めぐりリゾート 今回の姫島は以前の御幣島のすぐ南。この辺、ほんまに島だらけやな冷や汗
 名前の由来はというと、はるか昔、ヤマト(日本)の皇女さまが朝鮮半島の新羅(シラギ)という国の皇子さまに嫁いでゆきましたが、夫のDVに耐えかね泣く泣く逃げ帰ってきて、この島で裁縫術を教えながら余生をお過ごしになったとか・・・。
 ほかに、朝鮮とゆかりの深い仁徳天皇(5c)の逸話もあり、大阪湾岸に朝鮮人の移住者が多かったことを伺わせます。神崎川は平安時代になって新たに開削されたものだそうなので、それ以前はここが、難波津(天満橋の辺り)に渡る中継港として「안녕하세요(アニョハセヨ)〜!」と賑わってたのかも双子座
 
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◎和銅四年歳次辛亥、河辺宮人(カハベノミヤヒト)の、姫島の松原に嬢子(ヲトメ)の屍(カバネ)を見て、悲嘆して作りし歌二首

    妹(イモ)が名は 千代に流れむ

               姫島の 小松がうれに 苔生(ム)すまでに

(美しい嬢子の評判は千年先まで伝わるであろう。姫島の小松の枝に苔が生えるほどの未来まで・・・)


    難波潟(ナニハガタ) 潮干なありそね

                 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも

(難波潟よ、どうか潮を引かせないでくれ。水に沈んだ嬢子の姿があらわになるのがつらいんだ・・・) 

【和銅四年】711年、元明天皇(女帝)の治世。前年に藤原京(橿原市)から平城京(奈良市)に遷都
【河辺宮人】未詳。姫島は摂津国の河辺郡(尼崎・伊丹)に近いので、そこの出身の官人か
【なありそね】「な・・・そね」で禁止の意
【沈みにし】入水自殺か

                           『万葉集』巻二・228,229


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