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2018年09月04日21:45

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老子 『玄妙さ』 (同謂之玄 玄之又玄衆妙之門 )

ーーーツイッターのつぶやきのまとめですーーーーー


老子は、無と有をなすものを、

『玄』と言ったみたいだ。

その玄と一体化するところの
妙を書いてるような気もする。


玄は、全てを成し遂げるが、
自分が成したと言わず、為したことも握っていない。

この玄妙なる摂理よ。

玄を持って、万物を成し、
玄によって世界は保たれている。

のだろうか。


玄に端を発してるとも言える。
私は、玄から来た とも言えるかもしれない。


玄を目指す働きを、

世界からの目覚めと呼ぶのなら。

玄から来た遊び
(全てのモノが知らずにそうかもしれないが)、

知って行う遊びをなんと呼べばいいのか。


禅をしていなかった、禅の霊照
という女の子によって、行われたような気がする


この玄に達し、
玄であろうとする働き 
ではなく、


玄から 気づいて来て、
世界で遊ぶ働きを、


「遊びが遊び」と仮に呼ぶと、


霊照のダンスが浮かび上がると思う。


そこには、恣意なく、
けれど ただの遊びと違って、
目覚めの芳香が背景にある。


遊ぶ中にその芳香が振りまかれる。


それは、玄なる場所を至極とし、
玄たろうとする努力は見られない。


それは、玄と自然に1つになっている。
この霊照に見られる、気づかれない卓越さ、
それは、新しい一ページに見える。
それは、楽しい。


楽しみ のアップデート版かもしれない。
それは、玄妙さの
無苦の背景からくる、圧倒的遊び感。


つまり、卓越っぷりは、
霊照の場合、歴代の禅者を包み込んでいるが、
誰にも気づかれない。


この玄なる表現者よ。


私は、霊照にインスパイアされるが、
彼女は、玄から来ているとすると、
その源に何かを感じずにはいられない。


彼女にとって、
世界は、目覚めて遊ぶ、
遊び場だったんだろう。


その極熱の輝きっぷり。
それは、強く熱い点であり、
世界にて創造を行い、

遊び場とする。


この生の新しい遊びは、
何かを解き放つと思う。


永遠なる無に、身を寄せて、
多くの人がそれを規範とし、
同じことを話すようになる。

なんと、それは、
玄から離れた事なんだろう。

霊照の背景にある妙さよ



もう、点Pでいいわ 笑。

点Pは、生命の玄妙を貫き、
玄妙に変わるが、
再び点Pを持つ自分を、
背景に玄妙さを持った上で、
世界に点として再び存在する。


それは世界からの離脱ではなく、
世界を覚醒されたもの
として見れる柔軟さを持ち、

かつ遊びとして
世界に目覚めを解き放つ
なのに意識していない


霊照という妙(みょう)を
いつか世界の誰かが
注目するのかもしれない。


この妙は、
極めて世界を眠りから揺り動かす、
玄妙さと創造の合体版かのようだ。

彼女は、禅の中にいながら、
禅をやっていないようだ。
まるで、禅で遊んでいるかのようだ。

じゃあ、彼女は何なのか?


それは、まさに
霊を照らすという名のごとく、

世界に遊び方をただただ
喜びから教えに来たかのようだ。

けれど、教えようという意図するない。


じゃあ、彼女を支える意図は
なんなのか?

まさに、タオと連動した
即応した動きの楽しみのように
思えてならない。

1人だけ、
ナニカが違いすぎる

彼女に、思想や、知識は
無いのかもしれない。

だけど、そのタオとの連動の凄さよ。


そして彼女は、
それを凄いとも何とも思っちゃいない。


思想ではなく、施策でもなく

けれど、彼女のその圧倒的な妙さに、
圧倒的にインスパイアされた。

妙を掴んで世界で遊ぶ。


世界がボーナスステージだ。
笑って世界を生きていきたい。

私も、彼女にならおう。

テーマが
似てるような気もするし。

無垢ではなく、
無苦の笑顔。

そこぬけの、そして創造という
世界の光の輝しさよ!

世界での輝きを楽しもう。

辛苦あるこの、
遊び心あふれた
世界で(^O^)


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