山登りに行った時のことです。ジュースを飲んでいると、カラスが飛んできて、僕の隣りに座りました。そのカラスのテリトリーだったのですね。以来、そのカラスは、この近所に住みつくようになりました。鳥とは縁が深いのです。何もない空間のように見えて、この世界は実にタイトに線引きが引かれています。鳥は不思議な生き物で、予兆を人に教えてくれます。
まるで神の使いのように、飛翔し、実に様々な様子を見せてくれます。俗に神様がいる立場を唯心論と呼びます。ライプニッツとデカルトはもちろんこの立場です。スピノザは自然を神とします。自然の恵みは実に多様な様式を取ります。猫、蟻、蜘蛛その他です。
実体論となると、神か、人間か、その他の動物です。17世紀、神は様々な様式で顕現しました。宇宙の解明、微粒子の存在、物理学などです。マルブランシュは、機械原因説を説き、神によって、人間の情動や体の働きを動かすと言う説を唱えました。
僕はもちろんスピノザ主義ですが、唯心論の立場も理解できます。いわゆる心の中に神がいると言う説ですね。スピノザは徹底的に機械化を推し進めて、人間の自由意志までも機械論的に働くとしました。ライプニッツは、それでも人間には自我があるので、それを許しませんでした。
本当に神がいるとしたら、それは様々な形をとって、我々に顕現することでしょう。
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