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2017年12月04日20:41

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死とは?たましいは死なない、たましいは永遠。

カルマ。即ち業。
地上に再生するたましいの中には、カルマの清算のためにやってくるものもいる。
多くがそのためと言っても差し支えないだろう。
また、一部には、再生の必要がないほど霊格が上がっているにも拘らず、人類の救済のために地上にきているたましいもある。
死が何を意味するのかは、その対極にある生に注目すればいい。
生きるとは何ぞや?私が思うに、それは顕現ではないかと。

肉体という物質をまとい、己を表現する、己の自我を発揮する。

そのため、神は我々に自由意志を与え給うた。
そこで、それ故にカルマが生まれることとなった。
カルマを解消するには、この世である物質界に生まれてくることが一番なのだ。


過去世において人を傷つけた者は、今生では傷つけられる役割を担う。そうすることで、傷つけられる側の気持ちがどういうものか経験し、たましいを向上させる。
こんなケースもあった。
酷い頭痛に悩まされている人の過去世を退行催眠で探ると、その人は前世で銃で頭を撃ち自殺していた。
自殺というのはまったくもって無意味なことで、来世において一から同じ経験をして学び直すことになる。


我々には自らの命を絶つ権利などない。熟す前にもぎ取られた果実は渋い。
熟せば自然に落ちる。同じように、人間も還るときがくれば、どんな手段をもってしても肉体からたましいが離れるのを阻止することはできない。

それが自然の摂理なのである。
しかし心配には及ばない、滅ぶのは肉体だけなのだから。
たましいは、生き続ける、完全への成就に向けて、終わりのない永遠の旅を続ける。

我々が死後に向かう先は、安らぎ、安堵、平安、静寂の世界。心の底から幸福感を味わえることだろう。
そこが本来の住処であり、本来の姿なのだ。

安心してほしい。
大丈夫。
死ぬことは怖いことじゃない。
だからと言って、自殺を勧めているわけではない、自殺はいけないこと。
これは事実。

来世で幸せになりたければ、種を蒔くこと。
そうすれば、寸分の狂いもなく返ってくる。
自ら蒔いた種は、自ら刈り取らねばならない。
これがカルマの法則。

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