入山料500円を支払境内へ
https://goo.gl/maps/V9m3u1DWCit
平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁上人が大治5年(1130年)に高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことに始まる。
覚鑁上人は鳥羽上皇の院宣を得て高野山に大伝法院と密厳院を建立、金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する強大な勢力を持ち、当時堕落していた高野山の信仰を建て直し宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発、覚鑁一門と反対派は対立しあうようになり、覚鑁の住房密厳院・覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされてしまいます。
覚鑁一門は高野山を下りて、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移した後、新たに円明寺を建て伝法会道場とした。その後2寺を中心として院家が建てられ一山総称としての根来寺が形成されました
大伝法堂
国宝 大毘廬遮那法界体性塔(大塔)
高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔です
豊太閤の紀州征伐の時に焼かれず残ったのは奇跡ですね
基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残っているそうです
大師堂
真言宗を開宗された弘法大師・空海像を本尊として祀っています。
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