mixiユーザー(id:6225375)

2017年07月27日08:31

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スマホ中

知り合いのウチの近くで大雨洪水警報が発令された昨日朝、お久しぶりのLineを使い「大丈夫か?」と送ってみた。どうやら、その時間すでに職場へ向かっているらしく、その時点での、発令された場所の案配というのはわからないらしいが、おそらく大丈夫だということ。考えてみれば周りに山はないし、倒壊しないい限り浸水は考えなくて良い階層に住んでいる。まあ無事でよかった。

それにしても、Lineを始めスマホを使った、ソーシャルメディアのお陰で、誰かしらとの繋がりというのは、頻度が上がり、かつ低コスト(というかタダ)になってきた。コミュニケーションホリックなヒトには(嬉しくて感涙し)痺れるような世界だろうが、そうでもなかったり、どちらかというと苦痛をともなう性癖(自分を含む)にすれば、イヤな世の中になったもんだと思う。自分の外側のフローに負荷がなくなり、情報なり想いなりというのが流れやすくなると、己の中に負荷が貯まる。もの凄い量がもの凄いスピードで飛び込んでくる。心や脳にダイレクトにぶちあたるのだから、たまらん。ちなみに、個人的な話としては、昨年春先まではそんなことにも悩まされることもなかった。

なぜなら携帯、スマホの類いを所持していなかった。SNSはやっていたモノの、SKYPEかFB、メッセンジャーくらいで、PCの前に座っておる時でしか捉えられることなく、なにかしら伝えたいコトがあり、伝える余裕があるときに伝え、時間がある時に投げられたメッセージを読むということができた。まあ、スマホで常時アクセスが可能になった今でも既読無視など、自分がマウントした使い方をすればいいのだが(実際そうすればいいと納得しスマホを買った)そうでもなかった。お陰で自分の自由やらというのを絡め獲るのは、絡め獲ろうとする誰かしら、でも、スマホそのものでもなく、自分自身だった、ということなのだろう。

マップと翻訳くらいがあれば便利で、ソレすら無くてもなんとかなる、便利でカインドリーな世の中、それでもここまで普及しているのはやはり理由があるのだと、所有してみて解った。スマホフリーの時代は、電車に乗ると、老若男女、立っている人座って居るヒト、車輌にいるすべて、ホームにいるヒトすべてがスマホをいじっている。なかなか異様な後継だなあ、と思っていたのだが、いまではそんな景色も目に入らないくらい、自分も画面を見つめていたりする。やれやれ。

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