かねてよりずっと気にかかっていた高野山に初詣でしてきました。せっかくなので、大阪の日根野から歩いて紀州の粉河寺で一泊し、翌日はJRの高野口から、昔の参道をたどってテクテク高野山に向います。
実際歩いてみると、高野山がいかに山奥にあるのかをまざまざと実感しました。道には一町(110m)ごとに鎌倉時代の卒塔婆が残っていて、それを数えきれないほど通り過ぎて、ほとんど力尽きそうになった頃に突如姿を現した宗教都市・・・。なにやらキツネに化かされてるようでした
宿坊では三日間お世話になりました。宿泊客はほとんど外国人。幽谷の清風に煩悩が吹き払われた私の心も、ヨーロッパ美女を見てあえなく乱れてしまうのでした
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◎(+アル夜)高野の奥の院の橋の上にて、月明(アカ)かりければ(+西住ト)もろともに(+朝マデ)ながめ明かして、その頃、西住上人、京へ出(イ)でにけり。その夜の月わすれがたくて、また同じ橋の月の頃、西住上人のもとへ言ひ遣(ツカ)はしける(+歌)
こととなく 君恋ひわたる 橋の上に
あらそふものは 月の影のみ
(何となくあなたを恋しく思いながら渡る橋の上で、恋しさゆえの涙と争うものとては、それに映りこむ月の光だけでしたよ。一人はやはり寂しいものです)
(+西住ノ)かへし
思ひやる 心は見えで
橋の上に あらそひけりな
月の影のみ
(あなたを思いやる私の心に気づかず、橋の上であなたの涙と争ったのは月影だけだったとは・・・。離れていても一人ではありませんよ)
【西行】1118-1190、藤原氏の傍流・佐藤氏。武士として鳥羽上皇に仕えていたが、23歳で突然出家。以降は作歌と漂泊の人生を送った。高野山には1149年ごろに入り、30年ほどを過ごした
【奥の院】高野山を開いた空海(774-835)を祀る。山内でもっとも神聖な場所
【西住】西行の無二の親友
【同じ橋の月の頃】同じように橋の上で月が見える頃
西行『山家集』
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