mixiユーザー(id:8591631)

2018年08月21日15:46

239 view

歌枕紀行「高野山」

 かねてよりずっと気にかかっていた高野山に初詣でしてきました。せっかくなので、大阪の日根野から歩いて紀州の粉河寺で一泊し、翌日はJRの高野口から、昔の参道をたどってテクテク高野山に向います。

 実際歩いてみると、高野山がいかに山奥にあるのかをまざまざと実感しました。道には一町(110m)ごとに鎌倉時代の卒塔婆が残っていて、それを数えきれないほど通り過ぎて、ほとんど力尽きそうになった頃に突如姿を現した宗教都市・・・。なにやらキツネに化かされてるようでした猫

 宿坊では三日間お世話になりました。宿泊客はほとんど外国人。幽谷の清風に煩悩が吹き払われた私の心も、ヨーロッパ美女を見てあえなく乱れてしまうのでした目がハート

------------------------------------

◎(+アル夜)高野の奥の院の橋の上にて、月明(アカ)かりければ(+西住ト)もろともに(+朝マデ)ながめ明かして、その頃、西住上人、京へ出(イ)でにけり。その夜の月わすれがたくて、また同じ橋の月の頃、西住上人のもとへ言ひ遣(ツカ)はしける(+歌)

    こととなく 君恋ひわたる 橋の上に
      
                   あらそふものは 月の影のみ

(何となくあなたを恋しく思いながら渡る橋の上で、恋しさゆえの涙と争うものとては、それに映りこむ月の光だけでしたよ。一人はやはり寂しいものです)

 (+西住ノ)かへし

    思ひやる 心は見えで
 
            橋の上に あらそひけりな

                       月の影のみ

(あなたを思いやる私の心に気づかず、橋の上であなたの涙と争ったのは月影だけだったとは・・・。離れていても一人ではありませんよ)


【西行】1118-1190、藤原氏の傍流・佐藤氏。武士として鳥羽上皇に仕えていたが、23歳で突然出家。以降は作歌と漂泊の人生を送った。高野山には1149年ごろに入り、30年ほどを過ごした
【奥の院】高野山を開いた空海(774-835)を祀る。山内でもっとも神聖な場所
【西住】西行の無二の親友
【同じ橋の月の頃】同じように橋の上で月が見える頃

                               西行『山家集』             


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する