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2017年04月04日06:35

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新解 如来神力品第二十一−2(P546)

 ところが、本門にいきますと、仏とは、地上に出現された釈尊という限りある寿命をもったお方だけでなくて、すべてのものごとを生かしている久遠実成の本仏であることを、お明しになりました。そして、人間が最終的に救われるのは、また人間世界にほんとうの平和をうちたてるのは、すべての人間がこの仏と一体になる(帰依する、帰命する)ことよりほかにはないのだ、ということを教えられたのです。
 そうすると、迹門は、地上に出現された人間としての釈尊の教えであり、本門は不生不滅である久遠実成の本仏の顕現である・・・とか、迹門は、人間及び人間関係の正しいありかたが説かれ、そのような相対関係には正しい智慧がなにより大切だから、迹門は智慧の教えであり、それに対して本門は宇宙の万物を生かしている久遠本仏の顕現が説かれている。久遠本仏の顕現とは、すなわち本仏の大慈悲であるから、本門の教えは慈悲の教えである・・・というような区別を立てることができます。「法華経」の教えを詳細に研究するためには、こういう区別を立てることも、たしかに必要に相違ありません。
 およそものごとをくわしく調べるには、「分析」ということが大切です。そのものを細かく分けて、どんな構造になっているか、どんな要素から成り立っているか、その一つ一つにはどんな意味や役目があるのか、ということを調べあげるのが分析です。
 しかし、分析だけに終わってしまっては、中途半端です。研究の成果は出てきません。細かく分けて、その一つ一つについてくわしく研究したら、こんどはその全体を大きくまとめて考えてみなければなりません。そこではじめて、全体に通ずる真理というものが確かめられるのです。これを「総合」といいます。どんな学問の研究でも、この「分析」と「総合」の二つが揃わなければ、真の成果はあげられません。



昨日は入社式でした。
うちの会社も、今年は15人の新入社員が入りました。
会社始まって以来の数です。
会社も様変わりしてきました。

ってな感じの
火曜日です。
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