シリーズネタが浮かぶ。
多分、戯曲の尺で物語を考えてしまうからであろう。
因みに、某有名劇作家に言わせると、10分もあれば関係性の逆転は可能だそうだ。
ま、手法も考えればもっと逆転することは可能である。
ただ、そうする事で伝えようとする事がボケてくるので余り使えない手法ではある。
でも、それは演劇と考えるから難しいだけで、映像と捕らえれば可能であるのも事実。
結局はそれが何を表現するか、表現できるからどの手法を使うかに至らねば明確化はしない。
とぴう訳で言い訳として畑違いだよなとも呟ける訳で。
ただ、そこに囚われる限り、進化はありえない。
だからこそ、挑まねばならない。
その咲に目的につながる道はあるのだから。
必要なのは結果ではない。
そこに向かう経緯であり、葛藤である。
だから考えるのである。
ログインしてコメントを確認・投稿する