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2016年12月20日17:04

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飛行艇

昨日、飛行艇について調べていたら、奇妙な記述がありました。

ブローム・ウント・フォス BV 222 ヴィーキングは

ドイツ空軍運用の第二次世界大戦最大の実用飛行艇。

その記事の中に1944年にV2号機は、北極のアレクサンドラ島の

ドイツの気象観測所の病気の観測員を救援する"宝物庫作戦"に参加。

観測所近くへの着陸で損傷したFw 200の補修用タイヤを投下とあります。

実は、今年10月、TOCANAの記事に、北極で

「ナチスの秘密基地」が本当に発見される!と言う記事があり、

北極点から1000kmほどの「アレクサンドラ島」でロシア人研究者が発見と。

極寒地のため、第2次大戦当時の弾丸、石油缶、ブーツ、紙の書類など

500点以上の遺物も手付かずと言うことです。

イギリス紙「Daily Mail」は、この基地は1942年に建設されたドイツの気象観測所で、

正確な気象観測は戦略上極めて重要と、ヒトラーの肝いりで設置、

終戦前の1944年7月に破棄されたと。

その原因がホッキョクグマを生食したことで寄生虫に感染、重篤な旋毛虫症に罹患。

ホッキョクグマの肝臓には人間が摂取すると死に至る高濃度ビタミンAが含有、

肉にも旋毛虫が大量に寄生、生食だと旋毛虫症にもなるそうです。

旋毛虫症は、腹痛や下痢などの初期症状の後、大量の幼虫が血流で体内を移動。

筋肉痛、発熱、呼吸不全、脳炎など重篤な症状を引き起こし、最悪の場合死にます。

観測チームは、潜水艦に救助され、以来観測基地は破棄。

食料などの補給は航空機から投下されていたようで、

ホッキョクグマを生食した理由が不明だそうです。

記事はトレジャーハンターを意味する

「シャッツグレーバー(Schatzgraber)」という基地名から、

オカルト的な方向へ向かいますが、Schatzgraber自体は大方の資料では

「宝物庫」という意味で、宝探しとはあんまり関係ないようです。


しかし、この記事にはBv222の話はおろか航空機が登場しません、

そこで別口から調べると、気象観測所「宝物庫」という項目がありました。

「宝物庫」はフランツ・ヨーゼフ群島「アレクサンドラ島」の北部に


大戦中ドイツ海軍が設置した観測基地。

戦争開始以来、海軍は気象データを気象観察船で、観測していましたが、

戦時のため気象観測船の喪失に不安を感じたため、

気象観測所が、1941年10月のスピッツベルゲンを皮切りに設立されます。

「宝物庫」もその部隊の一つ。

極地観測の参加者の訓練は、戦争による人材枯渇の為1943年時点で

極地経験者はおろか登山経験者すら不足し、

フィールドワークが未熟な気象学者に極地状況下の訓練を施したのですが、

教育期間中スキー事故が多発する有り様だったようです。

観測部隊の指揮官にはハインツ・シュミットが選ばれました。

「宝物庫」の観測部隊はマクウス少尉が指揮、

その下に2人の民間気象観測技術者と3人の補助検査官、

2人の無線技師と2人の伍長という編成でした。


1943年9月の初め、気象観測器材の大部分は、キールから出発。

ナルヴィク湾とトロムソを経由、9月22日にUボートの助けを借りて、

器材を搬入、気象観測所は設立されました。

11月にはラジオ・ゾンテでの高空風向観測、気象観測と温度測定を報告。

補給は潜水艦U387か、Fw200コンドル輸送機により行われました。


1944年5月30日、気象観測官ゲルハルト・ヴァリクと

海軍伍長ワーナー・ブランケンブルグが北極グマを狩りました、

なぜか火を通す調理がなされず消費されてしまいます。

数日は、病気にかかりませんでしたが、1ヵ月もしない内に

菜食主義者で肉を食べなかったゲルハルト・ホフマン以外の

観測部隊の9人は、旋毛虫症を罹患、病状は無線で海軍司令部の軍医により確認。

直ちにFw200コンドル輸送機が救援に向かうことになります。

部隊に十分な治療を施すにはトロムソ海軍病院に搬送するしかないと判断。

KG40のパイロット、スタンケ中尉のFW200コンドル輸送機(F8+RL)

で医者を送る予定は7月の初めでしたが、遅れを見せ、

救出部隊が気象観測所「宝物庫」に到着したのは7月8日でした。

ウェント博士はパラシュートで降下を辞さない覚悟でしたが、

スタンケ中尉はFW200コンドル輸送機を着陸させます。

その際機体が損傷しました。BV 222(X4+BH)飛行艇がビスケー湾に移動し、

FW200輸送機の修理に必要なパーツをパラシュート投下しました。

7月11日。「アレクサンドラ島」で、FW200コンドル輸送機の乗員は機体を修理、

全員を救出し離陸させました。

顛末を併せると、救出にUボートがほとんど絡んでなかった事、

輸送機の損傷は足回りだった事、一人は罹患しなかった事、

BV 222飛行艇の参加の謎が解けたことの反面、

修理パーツの投下はなぜFW200コンドル輸送機の予備機で行わなかったのか?

はたまた予備機は無かったのか?

いろいろ小さな謎が生まれます。

そこから調べた事は多々ありますが、書ききれません、

こんな些細な事実でも、ちょっとした小説の題材になりそうですね。


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