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2016年05月06日09:40

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新解 如来寿量品第十六−100(P378)

定根
「定根」というのは、その字のとおり「決定」した心です。いったんこの信仰にはいったら、どういうことがあっても、心をグラグラさせることはない。迫害があろうと、誘惑があろうと、じっとそれに耐え抜き、この教えひとつにつらぬいていこう・・・という大決心を立て、その決心を変えないことです。それがなくては、真の信仰者とはいえません。
慧根
「慧根」というのは、信仰者には智慧がなければならないということです。それも、いつもいいますように、自分本位の知恵でなくて、「我」を去り、「迷い」を吹きはらったほんとうの智慧です。こういう智慧をもっているかぎり、まちがった道へ踏みこむことはありません。
 日常生活のうえでもそうですが、信仰そのものについても、そのことがいえます。自分本位の小さな欲にとらわれていると、つい誤った信仰へ迷い込んでしまいがちです。誤った信仰では、いくらその教えを「信」じ、その道に「精進」し、つねにそれを「念」じ、その教えに「決定」したところで、もともとまちがった道なのですから、救われるどころではない、ますます迷いの世界へ深入りしてしまうのです。
 これは世間にはたいへん多くの実例のあることであって、まったく恐ろしい、残念なことだと思います。ですから、「慧根」ということは、五根の最後にあげられていますが、信仰生活にはいる順序としては、まず最初にこれが必要だということになります。


連休もあとわずか・・・
土曜日からは宿直、日曜には道場当番説くるので、
気分的には最後の休的な・・・
この休みは部屋の片づけ三昧でした。
今日も、出てきたごみをゴミ捨て場にもっていきます。
ってな感じの
金曜日です!
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