同じニュースの他の記事では
つぶやきに皮肉を書いたけど
そろそろ建設的な対応を考えるべきではあるまいか。
「公益(保育園確保)のために
私欲(子供の声がうるさい)は我慢しろ」という
「私欲 vs 公益」という二元論に押し込めて、
抑圧してしまうのはまずいと思う。
なにせ、保育(幼稚)園を作ろうとしたら
周辺住民から反対の声が上がったのは
これが初めてではない。
第一、高齢化によって
今後年寄りが増えるのは確かだから、
老害のなんのと怒ろうとわめこうと、
必然的に年寄りの声が大きくなる。
はっきり言って、
私欲よりも公益を優先する「公益老人」が増えることを
期待することはできない。
「私欲老人」への対策を
考えないといけない時代である。
そんな時代に
「保育園=うるさい=迷惑施設」という
印象が広まってしまっては、
今後建設計画が持ち上がった時に
反対運動を招くことになって
挙句の果ては、
近くに民家のない僻地にしか
保育園を作れないということにも
なりかねない。
また、それを押さえつけて
ムリヤリ保育園を作り、
住民との間にしこりを残したら、
園や園児・保母に対する嫌がらせが起こって
育児環境が悪くなるおそれもある。
この手の記事のコメントを見ると、
園児の声以上に
送迎の時の親の話声や車の音とか、
放送の音がうるさいという意見が目につく。
そんなら、そういう要素を除去した保育園を作り、
園と地域と共存できるようにせねばなるまい。
というわけで、考えてみた。
□子供の声がうるさい
→高い防音壁で囲い、音を外に漏らさないようにする。
高速道路のような透明な壁を作るとか、
植え込みをして内部の音を吸収するとかしたら
威圧的な感じも少しは軽減されるであろう。
□送迎の保護者の声や車の音がうるさい
→送迎バスを導入し、
親が直接送り迎えしないようにする。
こうしておいて、
子供が欠席の時は
送り迎えに同乗する保母さんに
通園手帳を渡すようにすれば
前に話題になった、
「子供が病欠することになったとき、
他の子供に手帳を渡して出してもらうのが大変」
という問題もなくなる。
□放送がうるさい
→一つか二つのスピーカーで
大音量で音楽や音声を流すのでなく、
小さなスピーカーをたくさん設置して
音量は絞りながら、
中に居ればどこにでも聞こえ、
外には音を漏らさないようにする。
今では指向性スピーカーというのもあるから
そういうのを活用できれば
なお望ましい。
□地域との共存
→保育園が休みの時は
園の庭を開放するとか、
高層の建物にして
上層を保育園にして屋上を庭にし、
下層を老人ホームや
医療センターとかデイケアセンターとか何かにして
(もちろん、普段は相互に行き来できないようにする)
周辺地域の老人に配慮する。
……とか、少なくともこれぐらいの
対応を考えないといかんのでは。
この問題を
「私欲老人が浅ましすぎる」というような
道徳の問題に帰してしまったら
悪玉にされた地域の人々に深い遺恨を残し、
将来の災いの種になるだろう。
もしかしたら
「保育園=うるさい」と頭から決めてかかっている周辺住民には
どういう対応策を講じても通じないかも知れないが……。
――――――――――
■「私欲」老人が浅ましすぎ!
過熱する「市川市保育園建設断念」騒動で
「子どもが騒々しい」反対に絶望
(Business Journal - 04月13日 15:01)
千葉県市川市で4月に開園予定だった私立保育園が「子どもの声でうるさくなる」などと近隣住民から反対されて建設を断念した。待機児童が大きな社会問題になる中で、物議を醸している。
全国でも9番目に待機児童の数が多い市川市(4月時点で373人)。そんな中で定員108人の保育園新設は若い保護者のみならず市や関係者としても期待の星だった。しかし、近隣住民から反対の声が怒涛のように押し寄せ、建設断念となったようである。
反対の理由は「子どもの声や泣き声で騒がしくなる」「保育所前の道が狭い上に車の往来が多く、危険だ」という意見が中心。断念する前に市民に理解を求めたのか、建設を予定していた社会福祉法人・成未会と市がしっかり連携していたのかなど、待機児童問題が大きくなる中で断念した市に対する不満が全国から押し寄せてきたようだ。市の対応が後手後手に回ったのは確かなようだ。
反対意見の大きな一つである「道が狭くて危険」という意見にはまずまず納得はできる。保護者や保育園の職員としても、ただでさえ子どもの動向に気を配らねばならない状況下で、道路に注意を払うという状況になるのは確かに危険だ。当該の場所では過去に事故も起きているという。
しかし、「子どもの声や泣き声で騒がしくなる」という意見ははっきりいって意味不明だ。保育園側は防音壁なども設置すると近隣への配慮を訴えたが、聞き入れられることはなかったのだとか。調べてみると、この地域は一軒家が多く、高齢者の世帯が多いという情報があった。「やっぱり老人か」と思った人も多いだろう。「静かに暮らしたいから子どもの声は邪魔」「静かに暮らす権利がある」などと主張しているという話も。
はっきりいって、これこそが「老害」。市や地域周辺を自分のものだとでも勘違いしているのだろうか。無意味にビルを建設することで日照権が侵害されるなどとはわけが違う。待機児童という社会問題を少しでも解決するという明確な「目的」がある。「子どもが騒がしい」と語った人間の発言はあまりにも想像力に欠け、社会性がない。これが何十年も生きてきた大人の発言だろうか。自分たちにうるさい子ども時代はなかったのか。
若者の一部を「ゆとり」というなら、すべてではないがこのような発言をする一部の老人はみな「私欲」の世代といえるのではないか。子どもや若い夫婦が今後の日本を支えていかねばならないことは避けられない事実にもかかわらず、それに対する協力がまったく見えない。「自分はその頃生きていないから」という思考停止状態なのだ。
市川市は今回の騒動に対し、会見で私見ながら「子どもの声が聞こえない街はよくないと思っている」と発言した。まったくその通りである。「騒々しい」などと発言した人間はこの言葉をどう捉えるのか。それとも捉えることもできないほどの思考停止なのだろうか。
車の往来なども考えれば、今回の保育園建設は難しかったのかもしれない。しかし、その有無よりも重要な問題が露呈した出来事だったように思う。少なくとも、下の世代のことなどまったく考えていない老人が多いのは間違いないようだ。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=3944901
ログインしてコメントを確認・投稿する