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2016年02月13日10:28

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誇り高き帝国海軍の残影

以前大学の名物先生のことを書きましたが→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945515789&owner_id=62249729今回は中学時代のユニークな先生のことをお話します。ユニークと申しましたが、こんな教師など実にけしからん、と憤慨される方もいらっしゃると思われます。しかし、時代背景が現在とは大きくことなることに留意してください。昭和40年頃のお話です。

それはOという体育の先生でした。私が2年生になった時、O先生は転勤されてきたのですが、全校生徒の前で新任の先生が紹介された時、お父さんお母さんにトラのような先生がやってきたと伝えてくれ、と言われたのを、鮮明に覚えています。

今昔の感ひときわではありますが、O先生は旧帝国海軍の出身でした。折に触れて、先生は海軍時代の話をされました。海軍の話ではなくても、時々海軍の専門用語というか、いわゆるスラングが混じるので、何だか意味がわからないこともありました。旧海軍のスラングは英語およびその訛り、あるいは英語らしき造語が多いのです。私たち戦後派は、戦時中は英語は敵性語として使用が厳しく制限されていたと聞いていましたので、それは意外なことでしたが、なぜか海軍の部内では特に制限されないばかりか、兵学校での英語の授業も終戦まで継続されていたというから、驚きです。

印象に残っているのは、ドイツの潜水艦から電気洗濯機をもらったというお話です。そんなことがあったのかと思って調べてみたら、確かに日独両国の潜水艦がどこか日本の占領地の港で落ち合って、物資や情報をやりとりしたことがあったらしいです。O先生は、その日本の潜水艦の乗り組みだったのですね。

戦前戦中は、陸軍士官学校や海軍兵学校は超難関校だったようです。戦後も20年を経て、そんなことを知っている人も少なくなりつつあるのを、O先生は面白くなかったのかも知れません。ある日

「お前ら高校受験が大変だ大変だなんて大騒ぎしてるが、競争率はせいぜい5倍か6倍だろう?俺が行った海軍兵学校はな、37人にひとお〜り!」

最後のひとお〜りのところが、いかにも海軍らしかったです。

いかにも海軍出身らしいことは、他にもいくつもありました。ある日体育の授業の前の休み時間になった時、O先生がひょっこり教室に現れ、次の授業はちょっと別のことをやるから着替えずに教室で待っておれ、と言うのです。何だろう?と思っていると、授業が始まるとO先生は黒板に大きな字で5つの標語みたいなものを書いて、1項ずつ自分が読んだ後生徒達に唱和させるのでした。

ひとお〜つ! 至誠に悖(もと)るなかりしか

ひとお〜つ! 言行に恥づるなかりしか

ひとお〜つ! 気力に欠くるなかりしか

ひとお〜つ! 努力に憾(うら)みなかりしか

ひとお〜つ! 不精(ぶしょう)に亘(わた)る勿(な)かりしか

声が小さーいっ!なんて言いながら。これは旧海軍兵学校で自己を戒めるために作られた「五省」というもの、つまり五つの反省ですね。

他日、国語の授業を受けていると、外からパシーンパシーンという音が聞こえてきました。乾いた小気味の良い音です。用務員さんが薪でも割っているのかと思って、下の校庭を見下ろすと、何と!O先生がちょっとグレたTIという生徒の横っ面をひっぱたいていたのです。後でそのクラスの友達に聞いたところ、長距離走の練習の時、TIが近道をして帰って来て、それを咎められたら反抗的な態度を取ったんだそうです。それで、O先生の海軍伝来のビンタが炸裂したというわけでした。

何の行事の折だったか忘れましたが、海上自衛隊の音楽隊が学校へやって来たことがありました。当然O先生が招いたのです。体育館に全校生徒が集まって演奏を聴きましたが、演目はポップ調の軽いものばかり。我々はみんなしてO先生を観察していましたが、不満そうな顔をしていました。ところが、これが最後の曲となったら「行進曲軍艦」を演奏したのです。いわゆる軍艦マーチですね。そのときのO先生の様子と言ったら!腕を組んで目を瞑り、大きく頷いて実に満足そうでした。

我々が卒業した後O先生がどうされたか、噂も聞いたことはありません。でも、あの調子では教育現場で生き残っていくことは難しかったような気がします。教育における体罰も良いこととは思えません。にもかかわらず、私はO先生のことを思い出す時、嫌な気持ちはしません。思いもよらずエリート軍人としての将来を絶たれ、教員として一から出直すことを余儀なくされた戦後のO先生の精神的な支えになってきたものは、帝国海軍への熱い想いだったのでしょう。海軍にも良い伝統は少なくなかったんだ、そう言いたかったのではないでしょうか。先の五省にしても、なかなか良いことが書いてあるな、と思いますし、実際現在でも兵学校の後身たる海上自衛隊の幹部候補生学校でこれは唱和されています。

おそらくO先生は、とうに鬼籍に入られたことでしょう。生涯の最後の瞬間まで、かつて帝国海軍の一員であった誇りがO先生を支え続けたことを願って止みません。
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