mixiユーザー(id:4457508)

2016年01月22日23:15

990 view

TRIPLE STARS PRESENTS 国際映画社作品CDサントラ発売記念『国際映画社ナイト2009』イベントレポートその6

注:このイベントは、2009年8月20日に開催されたもので、レポートは、2009年8月26日に執筆開始したものです。
当時からかなりの時間が経過しているため、現在の認知と、当時の認知が異なっていることなどをあらかじめご承知おきください。以下の文書で書かれる「今」は、すべて2009年8月当時のものです。


当時の日記タイトル バイファムと、アクロバンチと、ガリアンと(TRIPLE STARS PRESENTS 国際映画社作品CDサントラ発売記念『国際映画社ナイト2009』個人的徒然雑記その6)

アクロバンチのアフレコ…というか、中原茂氏の苦労話を聞いていて自分が何となく連想したのが、概ね同時期に放映されていた「銀河漂流バイファム」と、「機甲界ガリアン」のことだった。

なんでかというと、前者は、割とデビューしたての声優やら、10代の少年など、割と年代の近い人ばかりを集めた「高校の文化祭のようなノリ」でのアフレコだったこと。後者は、当時まだ10代だった菊地英博氏が、加藤精三氏、千葉繁氏、小林修氏といった当時レベルでも大御所の声優に揉まれながらアフレコをした現場。中原茂氏が新人としてたった一人もまれた現場だったアクロバンチを思うと、同時期でありながらアフレコ現場の空気の対比が非常に面白いな、と思ったから。

そういえば、バイファムの本放映当時、自分は「銀河漂流」というタイトルだけで見て、これもJ9シリーズの一つなのかと勘違いしていた覚えがある。

さて、イベントはなおも続く。

アクロバンチという作品の思い出は、四辻氏は前に書いた理由からあまりなく、山本優氏も、実は「自分が手がけた作品を見ると、その作品の視聴率が下がる」というジンクスを持っていたらしく、見ていない。中原茂氏は、「ただただ恥ずかしい」そうだ。「下手すぎて…」。

アクロバンチといえば、ナレーター専業だったハズの窪田等氏にR.Cなるロボット(四辻監督曰く『C3POみたいなヤツ』)や、ガヤの声をやらせた、なんて話もある。こういうナレーションの使い方もやっぱり四辻監督の「趣味です」の一言であっさりと説明がつくのだった。

話はJ9に戻る。
J9シリーズは、監督曰く「自由度の高いアニメ」。やりたいようにやっていたのが功を奏して、プロデューサーも信頼を置いていって。ノリのよさが周囲に伝染していったという。

で、ブライガーの1枚目のLPなんだけど、これが、なかなかスポンサー側からOKが出なかったそうだ。主にジャケットが理由で。
何故か。
「銀河旋風ブライガー」のLPなのに、ジャケットのイラストにはブライガーがいなかったから。…もっとも、これは、それが理由でOKを出さないってのはなさそうな気がするけど(それを言い出したらボルテスは?ダイモスは?ってなっちゃうし、時期的にバルディオスとか、ゴッドマーズなどもあったから、『ロボットアニメのLPでロボットのイラストがないもの』が出てくるのなんて時間の問題だったと思うし)。

ブライガーのLPのジャケットを描いたのが、樋口氏だったという。
繰り返すが、樋口氏は、ブライガーのメカデザイン担当者。その人が、こともあろうにキャラクターしか描かなかったのだというから確かにある意味驚きではある。

樋口氏は、イデオンのポスターのイラストなども手がけたというが(…てことは、もしかして、アオシマのプラモデルのパッケージイラストなんかも手がけてたり…する?)、何がしか表に出るようなものがやりたくて、四辻監督に談判したという。そしたら、監督から「ロボットを出すな」と言われ、「人も描けるよ!」と自己主張した結果が、LPのイラストジャケットなのだとか。

樋口氏は、これとは別にポスターでちゃんとブライガーも描き、アクロバンチも描いたという。と、いうことは、あのインパクトの強い鼻リベットのアクロバンチは樋口氏のものだったのか…。実は、イラストのタッチから推して高荷義之氏だとばかり思っていたのはここだけの話。ちなみに、バクシンガーだけは違うという。

そして、山本優氏がここで「そうか、アクロバンチはロボットだったのか…」と衝撃の告白をする。山本氏に、その意識はなかったのだそうだ。誰だったかメモを取っていないんだけど、「そりゃ玩具メーカーもつぶれるわ」ってこのとき発言があって、さもありなん、と思った。

サスライガーの話。前にも書いたとおり、J9シリーズで、ひいては国際映画社作品、四辻たかお監督の作品の中で一番これが好きな自分。

で、サスライガーは監督曰く「自由にできた悪い作品」。スタッフを、全部自分の息のかかったスタッフにして、自らが音響監督となり、アフレコに最初から立会い、「互いにおかしかったら言い合え」とスタッフに伝え、「声優全員に音響ディレクターをやらせ」、キャスティングも声優に聞いて、その結果90%まで声優の望みどおりとなり、音響の費用は飲み代に消えたのだとか。…そう聞くとヒドい、って思えるけど、悔しいけど、当時の自分はサスライガーの劇中の雰囲気に夢中になったんだよなあ…。

ここで、監督に「四辻監督はサスライガーでレギュラーじゃなかったでしたっけ?」とツッコミが入る。思わず「フルザ・ケルナー」と声が揃ってしまう自分とマイミクさん。
で、この話になると監督は妙に歯切れ悪く、決まり悪そうになる。「中原さんを悪く言えなくなる」確かになあ…。

ちょっと説明しておくと、サスライガー劇中で、JJ9チームを執拗に付け狙う殺し屋フルザ・ケルナーってのがいたんだけど、その声をやっていたのが四辻監督その人だったんだな。元々キャラを作るうえで、「喋らない役にしよう」というのがあったみたいで、でも、誰も演じる人がいないから「しょーがないんで監督がやろう」ということになったらしい。アフレコルームで、みんなを帰してから一人で演じていたという。
ちなみに、ケルナーは、森功至氏あたりからは監督が演じると言う行動が不評だったみたいで、「やるな」と言われたこともあったらしいが、そこは趣味ではなく、「しょーがないんだよ」とのことだった。

サスライガーは、スタッフもかなりノリノリだったみたいで、ミキサーの人もガヤ録りで声優をやることもあったという。

サスライガーの製作技法としては「映像を音に合わせて台詞も入れる」だったそうで、これを周囲に徹底していたそうだ。

サスライガーといえば、かの久石譲氏が音楽を担当した作品で、ロック調…というか、監督が趣味としている音楽を全部聞かせてやったのだそうだ。

ここで、山本優氏がまたしても問題発言。「サスライガーも(BGMは)山本正之がやっているのだと思ってた」のだとか。

このあたり、詳しくメモが取りきれていないんだけど、山本正之氏は、サスライガーを作るにあたってかなりゴネたらしいのだ。もっとも、四辻監督はそれもある程度「(山本正之も)天才だから」というので許容していたようだが。

もっとも、音楽担当が変わったからといって、作品全体に漂う「四辻テイスト」は変わるものではないようだ。監督の側としては乗せているつもりはないのだが、スタッフの側から乗ってくるという。このことに対しては、さすがに監督も「俺は詐欺師か」と苦笑いをしていた。

「長く好きでいられる作品を」「(スタッフの側が、作品そのものを)楽しもうと作っていた」、後者のフレーズは、このイベントで何度も出た四辻監督のJ9観とでも言うべきもの。その結果、仕事なんだけど、作品としては仕事を離れた何かが機能していくことになったのだそうだ。

話は、再び中原茂氏に振られる。
中原氏は、飲み会でいじめられていた。まあ、ベテラン声優の所謂「新人イビリ」というヤツだ。アフレコの後、必ず飲みに行って、必ず芝居の話になり、それがエキサイトした挙句にケンカとなることも多かったという。ただ、同時に雰囲気も学んだというので、必ずしもそれが悪いことではないみたいだ。

アクロバンチの場合は、新人がほとんどいない、中堅どころ(アクロバンチのアフレコ水準を言うと、若本規夫氏のレベルで当時中堅)か、あるいは大ベテランばかりで、その視線が痛かったそうだ。ただ、アクロバンチの時は、そんな風にして上しか見ていなかったからそれに引っ張られる。そして、現場で怒鳴られて鍛えられていったのだそうだ。

中原氏は、柴田秀勝氏の店でも飲んだというが、柴田氏に「お前、上手くなったよ」と言われたのが嬉しかったのだそうだ。

同時に、音響監督の松浦典良氏からも「今は苦しいかも知れないけど、2〜3年でいなくなる人とは思っていないから、頑張ろう」と励まされたという。

さて、四辻作品ではアフレコにも特徴がある。どういう理由でか、はっきりとしたところはわからなかったのだけど、アフレコのマイクが普通3本あるところを、四辻作品では2本しかこれを置かなかったのだそうだ。
普通、台詞が自分の番になったら動いたりしそうなものだけど、イジワルな声優さんだとどかない場合もあるそうで、中原氏は時には「相手を蹴ってでも前に出ろ」といわれたこともあるそうだ。この方法は、演技が上手くなりはするのだが、厳しいのだそうだ。

そして、若本氏に「中原…オレをのけていけ」と言われるが、そんなことできるはずもなく、やらないとやらないで今度は「何故来ない」と怒られたのだそうだ。

塩沢兼人氏も、LPレコードなどの収録でナレーションをやらせると自由にやるという。

その、ナレーションつきでボーカル曲を作るのは監督の発案なのだけど、台詞自体は山本優氏が書き、それがいつしか自然とスタイルになるのだそうだ。
逆に他のものを知らないからそのようなやり方になってしまうのだという。これもまた監督の「趣味」なのだそうだ。

と、いうことで、このイベントも、恒例のプレゼントコーナーがあり、最後に監督と中原氏の挨拶があって、ようやく終わりを迎えた。

総括。
日が悪かった(木曜日)ってこともあったのかも知れないけど、去年(2008年)、水曜日にやっていたガリアンイベントの混雑具合を知っている身としては、ガラガラのロフトプラスワンにやや肩透かしを食らった感が強く、J9シリーズの人気については結局推し量れないままに終わってしまったように思った。自分は、否定的な声色の「コミケにおいて、J9シリーズで1つの島ができていた、所謂J9ロード」という周囲の評価を聞いていたので、自分が当時感じたものっていうのは欺瞞なのかと葛藤を覚えていた時期もあったりしたんだけど、少なくともそれはないと言い切ってよさそうだ。

もっとも、J9シリーズにつきまとう作画の悪さってのは事実なので、監督と声優、作画現場、音楽担当者の間に温度差があったとも解釈できるし、全てが「趣味」で片付くのもイジワルに思えば「監督の独りよがりの尻拭いを周囲がし続けた」なんていうことだってできるワケで。もっと多くの人の意見が聞きたいなと思った次第だ。

そして、自分と一緒にいたマイミクさん二人のJ9シリーズに対する思いは本物。…いや、自分が偽物かっていうとそれはないつもりなんだけど。ロフトプラスワンだけに、自分と3人して酒を飲み交わし、BGMとして流れてくるJ9ソングを歌いまくり、果てはバクシンガーのBGM「LETSU!」まで歌いまくるというガチっぷりを見せる。

自分だって、10代後半の頃から、当時30代、40代だった人たちと色々と話をして、そこを渡り歩いてきた身。自分が生まれる前の作品に夢中になることだってしょっちゅうだったけど、改めて10以上年齢が離れている人同士が等身大の同好の士となってしまい、語り合う場面を見て―――要するに、年齢差のあるはずのマイミクさん2人が、J9シリーズで盛り上がっている構図を見て―――自分もかつては、いや、今でもこういうことをやっているんだよなあと思いつつも、傍目で見たときにここまでシュールな光景だったのかとしみじみ感じ、こういうことがあるから、人の出会いは面白いと思うのだった。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する