職業に貴賎なしというならば、風俗嬢はどうなのだろうか。
売春婦はどうなのだろうか。
江戸時代には、男娼がいた。
貴賎なしというならば、自分がその職業についてもいいはずだ。
父が、母が、息子が、娘が、売春婦になってもいいはずだ。認めるはずだ。
差別しないというのなら、認めるはずだ。
憐れむこともしないはずだ。
貶めることもしないとともに、憐れむこともしないはずだ。貴賎などないのだから。
憐れむならば、なぜ憐れむのか。
自然と人々は、自分より「下」となる存在を作る。作り出す。自分は人よりましと安心するために。
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