■独で女性襲撃多発、難民への反感強まる メルケル氏窮地
(朝日新聞デジタル - 01月11日 03:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3797573
難民問題の解決方法は、善意に立っての解決方法はない。
難民の受け入れが、金持ちが貧乏人に対する、憐みの気持ちだったり、周りへの体面の問題から受け入れている限り、決して、難民の気持ちは和まない。
「お前たちはどうしようもない国の民だ。貧乏で自浄能力もない、我々以下の人間だ。民族だ。国民だ。そんなどうしようもない連中に、お前たちよりも金持ちで、知恵があって、慈悲深い我々が、助けの手を差し伸べてやる。感謝しろよ」
という上から目線がある限り、難民は反発する。
反発する難民の感情を内部から煽り、扇動し、難民のコミュニティの中で、政治的な地位を築こうとする人間がいるとして、それが日本でいうところの暴力団や、海外でいうところのマフィアのようになっていけば、暴力での支配が起こる。
支配するための方法の一つが、共犯者を作ることだ。実行犯は刑事罰。傍観者は倫理的な罰則で縛るのだ。女性襲撃。すなわち集団レイプがそれだ。下記リンクの女性の悲鳴を聞くがよい。
http://www.liveleak.com/view?i=457_1452466677
実際には集団レイプではないかもしれない。被害者はドイツ人ではないかもしれない。しかし、この悲鳴を聞いて、何もなかったということは、私にはできない。考えられない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
古今東西、他所からの人が受け入れられるには、他所よりも自分のところの倫理、利益、道徳、伝統、習慣、やり方を尊重し、受け入れ、実行しないと受け入れられなかった。
現在でも、一方的に自分の意見を押し通す人間を、友人、家族、仲間として受け入れはしない。受け入れる人は、聖人か奴隷だ。
聖人と奴隷の違いは、守るべきものを守っているかどうかだ。それは信念、哲学、倫理、道徳、信仰など、心の問題だ。
自分の気持ちを自分で決めず、他者に決めてもらう人間が、奴隷だ。
自分の気持ちを自分で決めて、他者に決めてもらわない人間が、自由人だ。市民だ。人間だ。
自分の気持ちが周りと合わさり、自分も残る人だ。周りとは、社会かもしれない、神の意志かもしれない、般若かもしれない。
孔子なら君子といっただろう。
キリスト教なら神に愛されし人というだろう。
仏教なら(自分が残るというのは間違いだが)ブッダ(目覚めしもの)というだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
難民は受け入れられる行動をとっていない。
イスラム教にはじまる、自分たちの生活スタイルを変えようとしていない。
それに加え、受け入れる欧州の国々の人々は、上記のように、優越感から難民の扱いをしている。施しを与えるつもりで世話をしているのだ。
南アフリカの黒人解放運動家の一人、スティーヴ・ビコは、白人内のリベラル派・・・人種平等派をこう言って批判した。
「あいつらは、おかわいそうな黒人たちに、施しを与えるつもりでいやがる。
ためしに、「そんなに人種平等というなら、黒人用の施設で生活してみたらどうですか」
って言ってみろよ。
なんのかんの理屈を並べ立てて、絶対に拒否するだろうさ」
「黒人」を「難民」に置き換えれば、この言葉は今でも通じる。
ビコの言葉を国として考え、国民一人一人が考え、さらにそれを発表し、議論し、許しあわない限り、難民の受け入れは、決してうまくいかない。どんな国でも、どんな時代でも、どんな状況でも、決してうまくいかない。
難民は、奴隷ではない。人間なのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ビコは、黒人たちの意識改革も行った。黒人は劣っている存在ではない。誇りを持てと主張した。
そのうえで、上記の批判を、白人に対して行った。
黒人はそのままでいいという、甘やかしの言葉を言わなかった。
黒人でも、技術を持つことはできる。知恵が劣っている存在ではないのだと主張した。
それは、日本人が、幕末に黒船を見て
「俺たちも作れる」
と、考えるように考えろということである。
ビコは日本のことなど知るまい。影響があったはずもない。だが、それはそういうことだ。
難民は、欧州で平和に暮らしていきたいというならば、それは、どんな社会に適応するつもりなのかを、はっきりしないといけない。
誰かに与えられる生活を享受するだけの存在ならば、それは奴隷だ。
人間となれ。
欧州は、日本は、ビコの言葉を思いだせ。
難民は奴隷ではない。
そして私たち一人一人も、考えろ。
私は奴隷か?人間か?
ログインしてコメントを確認・投稿する