六難九易(ろくなんくい)の法門
そのとき釈迦牟尼如来は、塔の中から大音声をもって、・・・だれかこの娑婆世界で「法華経」を説くものはないか、わたしはもうすぐこの世を去るのだから、みんなにあとのことを頼んでおきたいのである・・・とおっしゃって、末世において「法華経」を説くことのむずかしさを、つぎのような、いろいろなたとえによってお説きになります。いわゆる「六難九易」の法門です。
たとえば、須弥山(しゅみせん)を手にとってほかの世界へ投げることも、足の指で大千世界を動かすことも、この世界の一番上に立って「法華経」以外の教えをあらゆる衆生に説いて理解させることも、むずかしいことにはちがいないが、仏の滅後の悪世において「法華経」を説くむずかしさに比べればものの数ではない。また空を手につかんで飛びあるくのも、大地を足の甲の上にのせて、天まで飛びあがるのも、この世界が焼け尽す時代に乾草を背負って火の中にはいって焼けないでいるのも、末世においてこの「法華経」を持(たも)ち、読み、人に説くことに比べたら、まだ易しいことである・・・などと、ことばを尽くしてそのむずかしさをお説きになっておられるのです。
昨日、一昨日と、本部団参に行ってきました。
今回は、よく飲んだ・・・
次の日完璧に酔っぱらってました。
わっはっは
しかし、今日もなんだかまだクラクラしている・・・
酔っぱらっているのか、クラクラする病気か(名前ど忘れ)?!?
今朝、母親の夢を見た。母親も、ときどきその病気が出てたけれど・・・
眠い・・・
ってな感じの
月曜日です。
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