mixiユーザー(id:7184021)

2014年12月12日06:49

2881 view

瑞穂町さんぽ「狭山神社から元狭山神社・兜稲荷神社」

瑞穂町さんぽ「狭山神社から元狭山神社・兜稲荷神社」

◎『日光街道(千人同心街道)』
箱根ヶ崎宿を通る日光街道は、「八王子千人同心」が日光東照宮火番のため日光へ赴く街道として整備されました。八王子千人同心は、江戸幕府の職制のひとつで、武蔵国多摩郡八王子に配置された郷士身分の幕臣集団のことです。その任務は甲州口(武蔵・甲斐国境)の警備と治安維持でした。徳川家康の江戸入府に伴い、慶長5年(1600)に発足しました。千人同心は、甲斐武田家の滅亡後に徳川氏によって庇護された武田遺臣を中心に、近在の地侍・豪農などで組織されました。甲斐が天領に編入され、太平が続いて国境警備としての役割が薄れると、1652年からは交代で家康を祀る日光東照宮を警備する日光勤番が主な仕事となりました。毎年旧暦5月25日と11月25日に八王子を出発し、拝島・箱根ヶ崎・二本木・扇町屋(入間)・鶴ヶ島・坂戸・松山・行田・館林・佐野から、鹿沼を経て日光まで22宿、40里、3泊4日の行程でした。
http://www.buyo-gas.co.jp/exchange/public/kaidou/kaidou01.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%BA%BA%E5%90%8C%E5%BF%83%E8%A1%97%E9%81%93

○「狭山神社」(箱根ヶ崎52)
箱根ヶ崎駅から北に向かうと、狭山池公園の東方の小高い山上に「狭山神社」があります。一の鳥居をくぐるとすぐ二の鳥居があり、そこからかなり急な長い石段が丘の上へ続きます。途中三の鳥居をくぐって石段(約100段)を登った先に拝殿があります。拝殿は木々に囲まれて、静かなたたずまいを見せています。由緒は次のとおりです。
《創建年代不詳。木花咲耶姫命ほか二柱は源頼朝の関東五百社勧請の一社と思われる。主祭神の伊邪那岐尊・伊邪那美尊と泉津事解男命は、近古時代すでに奉斎されていたと思われ、それを証する古代瓦が発見されている。箱根大神は、永承年間(1046〜1053年)に源義家が奥州征伐の折当地に宿陣、霊夢を感じ勧請したとされる。江戸時代には箱根権現・三社大権現などと言われ箱根ヶ崎村の鎮守として信仰された。箱根ヶ崎は青梅街道と日光街道が交差する交通の要衝で、かつては宿場町としても栄えた。旧鎌倉街道と称される道もある。》
神社の裏側は、時期には斜面一帯が紫色の花で埋まるカタクリの里になっています。境内には「狭山茶場之碑」があります。
【狭山茶場の碑】
狭山茶は地場産業であり、本殿左手には明治11年に建てられた勝海舟筆の「狭山茶場の碑」があります。
【機神社】
境内に「機神社」があります。江戸時代の頃から絹織物(村山大島紬)が盛んに織られていました。
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/cb340782857c3b5564cfb837b2a0fba1
http://www.portaltokyo.com/guide_tama/contents/c49010sayama.htm

○「八雲神社」(箱根ヶ崎2604)
狭山神社から東に向かうと、日光街道の八雲神社入口の三差路に「庚申塔」があります。庚申塔の右の道を行くと「八雲神社」と「浅間神社」があります。浅間神社の参道入口の横にある八雲神社は、江戸時代には牛頭天王社といい明治2年「八雲神社」に改めました。後に、松原の日枝神社・浅間谷の愛宕神社・狭山池の厳島神社を合祀して祭神が4柱となりました。
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/ef02a4f4c9ea7112556a608a630402d3

○「浅間神社」(箱根ヶ崎2585)
「浅間神社」は八雲神社の右の参道(坂道)を上ります。浅間神社は、箱根ヶ崎と富士山の人々によって祀られてきた神社です。宝永7年(1710)両村で当社の帰属をめぐって争いが起こり、幕府評定所の裁定で箱根ヶ崎村のものと決しました。富士山村では地名の由来ともなった鎮守を失い、村側へ通じていた参道もいつしか埋もれてしまい、駒形富士山からの参道は今ありません。
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/6ebdf8d160be0b3744426bbe4f3c4e6e
【ヒノキ(ご神木)】
八雲神社・浅間神社の両神社の入口にありますが、浅間神社のヒノキとして認識されています。目通り幹周り3.5m、樹齢350年、指定瑞穂町指定天然記念物。
http://www.ittenbee-tokyomizuho.jp/entry-info.html?id=27511

○「耕心館」(駒形富士山317)
日光街道に戻り北に向かうと「耕心館」があります。建物の原型は、江戸時代の末期に建てられた豪農・旧細淵家の家で、その後、醤油の醸造、養蚕、レンガ製造が営まれます。昭和50年代に大幅な改装が行われてフランス料理店になりますが、瑞穂町が取得・整備し社会教育施設としました。1階には茶会などに利用できる和室や喫茶店、2階にはサロンコンサートや展示会に利用できる大広間があります。敷地内には土蔵があり、細淵家の品々を展示しています。国道16号の喧噪とは無縁で、館内は違う世界のように静かでゆったりと時間が流れています。カフェでゆっくりしてみるのもいいところです。
http://miiko-pota.com/blog/2010/08/post-242.html
http://www.koshinkan.jp/

○「五輪様と柿の木(富士山公園)」(駒形富士山329)
耕心館からすぐ北の庚申塔のあるところを東に入り、次に北に向かうと「富士山公園」があり公園中央に「五輪様と柿の木」があります。周りをフェンスで囲まれていますが、鍵がかかっていなくて入ることがでました。柿の木は、高さ14m、目通り2.1m、樹齢300年の巨木で、根元にある五輪様は、冨士山地区の先住者である細淵家が、江戸中期に先祖を祀るために建てられたといわれています。現在は冨士山公園として整備され、人々に親しまれています。
http://toma.ootaki.info/apr/2012/2012-0415-toma/
http://blogs.yahoo.co.jp/tiro0304tiro/57614475.html

○「元狭山神社」(駒形富士山609)
富士山公園から日光街道を北に向かい、東京環状16号線を横切っていくと「元狭山神社」があります。元狭山神社は、高根村の高根神社・駒形村の駒形神社・駒形富士山の八雲神社・富士山栗原新田の子安神社、この狭山村にあった4箇所の神社を合祀して大正7年に創建されました。本殿は八雲神社、拝殿は駒形神社より移したものを使用しています。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/24_nishitama/24097.html
http://namdak.blogspot.jp/2013/06/blog-post_30.html

○「兜稲荷神社」(駒形富士山100)
元狭山神社から東に東京環状16号線に出て、北に向かうと二本木交差点の手前東側に「兜稲荷神社」があります。ちょっと分かりにくいかもしれません。現在、元狭山神社に合祀されている駒形神社はこの付近にありました。駒形神社は当地の領主、旗本太田氏によって創建された神社で、栗原氏はその神職を務めていました。栗原氏はもと小田原北条氏の家臣で、北条氏滅亡後に土着しており、社名の言われもそのあたりに由来しているかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/5dc0a4773ba42531e877e8bec48c9888
http://namdak.blogspot.jp/2013/06/blog-post_5002.html

○「不老川源流」(駒形富士山)
「不老川」(年取らず川)は、武蔵野台地の伏流水や狭山丘陵から流れ出る小さな流れを集めて生まれます。東京都瑞穂町から入間・所沢・狭山市を通り、川越市で新河岸川に合流します。全長約17.4km。江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」には「年不取川(としとらずかわ)」と記されています。その理由は、夏は水量が多く、雨が少ない冬は一時的に川が干上がることにありました。旧暦では、立春が新年の始まりで、節分は年越しとして重要でした。不老川は、節分のころに水が流れないので、年を取らない(取りたくない)川、つまり「としとらず川」と呼ばれるようになりました。不老川の上流端は、東京環状16号線沿い駒形富士山のあたりになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E8%80%81%E5%B7%9D
http://chigaku.web.fc2.com/arakawa/shizenteibou/shingashi/furou/furou.html

○「駒形水天宮」(二本木894)
東京環状16号線三小入口交差点から南に向かうと、高槻通りの水天宮前バス停近く、釣り堀のとなりに「駒形水天宮」があります。駒形水天宮については、氏子1人、つまり個人の神社のようです。このあたりには狭山池を源流とするもう一つの川、不老川(年取らず川)があります。
【馬頭観音】
水天宮前バス停からすぐのところに「馬頭観音」があります。茶畑の手前にあります。詳細不明。
http://www.town.mizuho.tokyo.jp/kouhou/report23-2.htm
http://kzmuraoka.wordpress.com/page/62/

○「福泉寺」(高根79)
駒形水天宮の西に「福泉寺」があります。臨済宗建長寺派ということまでは分かっているのですが、由緒などはさっぱり分かりませんでした。
http://city.tachikawaonline.jp/view.php?area=27&id=954&mode=details

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する