今月から長良川完全遡行をすることにした。
長良川の全長は約170km。
岐阜県の中心部を流れる、ダムのない大河だ。
河口の伊勢湾から始まり、最後の源流は奥美濃の大日ヶ岳(1709m)頂上にある。
木曽川、飛騨川のときのように、楽しい出来事や出会いがあるといいなあ。
12月6日(土)
名古屋駅から長島温泉行きの名鉄バスに乗る。
終点の長島スパーランド入り口が出発点だ。
少し寄り道をして木曽川河口まで行ってみる。
フジツボが張り付いたコンクリートの堤防だ。
伊勢湾が目の前に広がる。
すべてはここから始まったのだ。
あらためてスパーランド入口付近へ戻る。
午前9時30分、河口から北へ向かって歩き出す。
長い堤防が続いている。
川幅は1キロほどもある。
すぐに伊勢湾岸自動車道の橋をくぐる。
ところどころ堤防の補強工事をしている。
通行禁止になっているから、外の道路に出て歩く。
国道23号線、揖斐長良大橋をくぐる。
長良川河口堰が見えてきた。
河口堰の端に着いたのが午前11時だ。
堰のすぐ上流に「魚道観察室」というのがあった。
地下室のようなところに入ってみる。
魚道というのは、アユなどの魚が川を遡上できるように、堰の横に作った水路だ。
いろんな魚が遡上しやすいように3種類の魚道が作ってある。
観察室からは水族館のように、魚道の一つをガラス越しに見ることができる。
今は冬だから泳いでいる魚はいなかったけど。
堤防の上には「アクアプラザながら」という建物があった。
長良川河口堰のPR館だ。
河口堰は住民にとって必要なもので、塩害や水害を防ぐ大事なものだ。
また自然環境を守るために、魚道の設置など最大限の努力をしている。
ということを写真や映像やジオラマで説明していた。
たしかに環境保護の努力はよくやっている。
でも、そもそもこんなものを作らなければよかっただろうに。
河口堰で確保した水資源は使い道がなく、魚は激減した。
水の需要を計り間違えた役人は犯罪に問われないのだろうか??
PR館の隣に「なばなの里」という植物園がある。
大きなレストランや商業施設があって、今の時期は水上イルミネーションがきれいだそうだ。
でも入場料が2000円もするので、さっさと先に行く。
長良川河口堰の上は舗装道路になっている。
一般車両は通行禁止だけど、歩いて渡ることはできる。
右岸に渡り、細い堤防を歩く。
いままで河口から約7キロを歩いてきた。
だけど、ここまでは長良川じゃなくて揖斐川なのだ。
どうして、こういうことになっているかは書くと長いので省略する。
ということで、あらためて長良川完全遡行が始まった。
すぐに国道1号線をくぐる。
そこから、けっこう交通量の多い堤防道路を歩く。
右が長良川、左が揖斐川だ。
それぞれの対岸には街があり、建物が並んでいる。
堤防には道路があるだけだ。
殺風景なうえに小雨が降ってきた。
ちょっと気分が沈みがちになる。
近鉄名古屋線の鉄橋に来た。
大阪行きのアーバンライナーが通りすぎた。
JR関西線、東名阪自動車道も越えていく。
とにかく何もない道路だから、こういうものしか変化がない。
松並木が見えてきた。
千本松原だ。
並木の端が三重県と岐阜県の県境になっている。
そしてここは岐阜県の最南端だ。
どうしてこんなところが県境になっているかというと、いままで歩いてきた下流の堤防は明治時代にできたもの。
ここから先は江戸時代に薩摩藩が作った。
宝暦治水という、大変な難事業だった。
だから薩摩藩は記念に、鹿児島産の松を堤防に植えた。
いまでもその時の松並木が、こうして残っている。
松並木を抜けると治水神社がある。
治水工事を終えて、切腹した薩摩義士たちをお祀りしてある。
賽銭箱にも薩摩藩の丸十字マークがついていた。
治水神社のとなりは三川公園だ。
高さ56メートルのタワーを中心にして、広い公園や遊戯施設がある。
併設のレストランで昼食を食べた。
ナマズのフライの丼で、ままず丼という。
「ままず」というのは、この地方の方言でナマズのこと。
白身魚のあっさりした味だった。
いちおうタワーにも昇り、博物館も見学する。
木曽三川の水害に悩まされた歴史が紹介されていた。
それにしても明治時代の三川分離工事には、当時の国家予算の12%が使われたそうだ。
東日本大震災の復興予算なんかより、ずっと多い。
そりゃそうだろうなあ。
これで愛知と岐阜の地形がすっかり変わってしまったのだから。
三川公園を出てから、そのまま右岸の堤防道路を行く。
かなり交通量が多い。
4キロほど歩いて海津温泉に到着した。
今日の宿だ。
天然温泉で、お風呂がたくさんあって良いところだった。
朝晩で4回も温泉に浸かる。
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