引き続き、超個人的思い出にまつわる日記である。
読んで判らん人はスルーして下さい。
同級生と会った後は大学訪問ですが、その前に自分の下宿先を訪ねて見ました。
私は1年次に津島福居、2〜4年次には三野本町と言うところに住んでいた。
まずは津島福居に行くと相当様子が変わっています。
「道が狭い???」
通学路を移動すると、道が狭く感じられます。
当時は原付、今は車ですので道路に対する占有率が変わっているためか、人間の感覚・記憶という物はいかに当てにならないか実証した気分。(ボケたのではない!)
すると目に飛び込んできたのは、
おぉ〜まだ営業している。
この食堂私が岡山に住む遙か前から営業しており、2階部が下宿になっている。良く食べに行きました。
ここの路地から西へ2通りの路地中に住んでいたので行って見ると、
残念ながら駐車場になっており、住んでいた建物はありません。
がに奥にあったN崎くんが住んでいたアパートはまだ建っています。
近くにあったはずのK村くん・K子姉さんの下宿も探して見ましたが、記憶が曖昧。探しきれませんでした。
続いて三野本町に移動します。
移動の車窓に見えたのは
私の下宿を斡旋した不動産屋。
ここの親父がいなかったらK山くんと1軒屋を借りて住むことには為らなかった。
同居人K山を苦しめた踏切。
車をここの支柱に良く擦っていた。卒業時に復讐したっけ。(内容は書けん!)
伝説の心霊スポット首灯籠。
自分の下宿に着く前に入り浸っていた下宿が見えてきました。
車を止めて懐かしさに浸ります。
サンマツ荘。
I村くん・M月、T倉先輩などなど入り乱れるように住んでいた場所。
まだ有ったんだと近づくと様子が変です。
ああ、今は使われていないんだ。
するとH本くんが住んでいた棟から人が出てきました。声を掛け話を聞いて見ると
・10年以上前から学生は住んでいない。
・今の学生はこんな汚い所には住ない。
・この棟は自分が買って自宅にしている。
・隣の棟はずっと空き家。
・Mヤケのおじさんは知らない。
時の流れを感じます・・・
ちなみに近くにあった通称「留年荘」も探したけど廻りに家が建ちすぎ不明。
気を取り直して我が下宿に向かいます。
細い路地の奥なので、車を止める場所を探していると
旭川。
岡山市内を流れる1級河川。
当時のまんまです。
ここで魚釣りをしたり、泳いだり、植物採取をしたり、当時の彼女と散歩したり・・・思い出している内に思わず笑みが溢れてきました。
全く変わらない景色を見て初めて、ホントの意味で昔の気分が戻って来た感じ。
足を下宿方向に進めます。
根石商店。
タバコを買っていた店。(セブンスター180円の頃)
ここの脇の路地奥に住んでいました。
三野公園入口。
K山が無断駐車していた場所。
良く怒られなかったなぁ。大らかな時代であった。
下宿前の用水。
ゲンジボタルが生息していた。今もいるのだろうか。
我が下宿。
が、建物が変わっている。左右は全く当時のままなのだが・・・
まあ我々が住んだ頃で築20年以上。
建物が残っているわけがない。
残念なことは残念なのだが、旭川の河原で得た気分のおかげでさほどガッカリ感がない。
むしろ、さらに色んなことが思い出され楽しさが感じられる。
テレビで芸能人が昔関わりがあった場所を訪ねる旅番組がある。
が、楽しそうにしている出演者を見て、ヤラセっぽいと馬鹿にしていた。
反省しなければイケナイ。
楽しいのだ。
当時の仲間2〜3人と来たらもっと楽しかろう。
やはり同窓会は岡山でやろう。
通学路を学校の方に向かうとT内くんの下宿や千恵盛(日本酒)を売っていたちいさな酒屋は無くなっていた。昔の彼女の下宿は健在。どうでもいいが・・・
良く通っていたお好み焼き屋があった場所。
「樹々」って名前だったと思うが店をやめていた。
これまた近所で聞き込みをすると店主ご夫妻はご健在らしい。
自宅へ行ってみたがご不在であった。
次の機会には是非ご挨拶したい。
思い出を堪能した後、ゼミの教授(当時助教授)に会いに行ったのだが日記としてはここまでにしよう。
「なぜか福山〜そして岡山」 完
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