無条件の愛は二度与えられる。一度目は特に生まれてから、幼少時代に掛けて両親から。二度目は得に社会に出てから、青年期に掛けて自分自身から。一度目は他者から注がれるという意味で受動的。それに対して、二度目は自分自身で注がれるという意味で能動的。
この期間、小説を書いたり、色々な人の話を聞いたり、mixiに考えを書いたり、鬱病を患う自分との整理や、新しい生き方の模索をして来たけれども、色々考えた末、この「病への流儀」に到達しました。そもそも、何故自分が鬱病になったかと言うと、自分の場合、
父は物凄いズレた男でした。感性、考え方が一般的ではなかった。悪気はなくても思ったことを、口に出してしまう人でした。良い人なのだけれども、猛烈なKYでした。今で言えば、アスペルガー症候群だったのだと思います。でもそのズレた感覚が、時に光り輝く時
治るか、治らないか分からない病を前にした時の選択。僕は、病と闘うか、積極的に諦めるかの二択しかしてこなかった。でもふと、僕の親父のことを思い出しました。親父も精神的病を患っていた(統合失調症)のだけれども、親父の場合は、呆気にとられる程、自