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2022年05月01日09:48

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父の姿勢、第三の選択

治るか、治らないか分からない病を前にした時の選択。
僕は、病と闘うか、積極的に諦めるかの二択しかしてこなかった。
でもふと、僕の親父のことを思い出しました。
親父も精神的病を患っていた(統合失調症)のだけれども、親父の場合は、呆気にとられる程、自分の病気に無頓着でした。
医者に通い、薬こそきちんと飲んでいたものの、それ以上のこと(自分の病気について知ろうとする行為)すらしてこなかった。
晩年、父は進行性の病で亡くなりました。
日に日に弱る中にいても、ひょうひょうとしていた。
その時も自分の病を積極的に知ろうともしなかった。
「なるようにしかならないから」
と父は言っていました。

その代わり、小さなことに喜びを見出せる親父でした。
「散歩していたらコスモスが咲いていたよ」
と喜んで母に話していたことが印象的です。
また、箱根駅伝の感動シーンでは人目憚らず、涙を流していたのも印象的でした。

ここで病に対しては第三の選択があると思うのです。
それは成すがままという生き方です。

抗わず、諦めず、身を任せるということ。

これも病に対する、一つの付き合い方なのかもしれません。
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