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2022年05月06日16:59

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無条件の愛は二度与えられる

無条件の愛は二度与えられる。
一度目は特に生まれてから、幼少時代に掛けて両親から。
二度目は得に社会に出てから、青年期に掛けて自分自身から。
一度目は他者から注がれるという意味で受動的。
それに対して、二度目は自分自身で注がれるという意味で能動的。
一度目から二度目に移行する時には、それは様々な外部要因との葛藤を経て行われる。
いわゆる疾風怒濤の青年期というやつである。
そうして無事、二度目へと移行し、人は成熟した一人の独立した人間へと成長していく。
どうやら僕はその二度目への移行で失敗したらしい。
ここ最近、ようやくそれを自覚するに当たり、またどこでどう間違えたかの心当たりも、分析することが出来るようになってきたのだ。
一度目の無条件の愛ならば、僕は両親から存分に注いでもらった。
ただ僕はそこから脱却出来ずにいた。
幼児特有の万能感から抜け切れずにいたのだ。
それが完璧主義に結び付いていたのだと思う。
それでも20歳までは良かった。
それ以降、特に広い世界へ出て、社会に揉まれるようなってからは、自分の思い通りにいくことなど何もなく、否応なしに自分自身の妄想であった、万能感から引きずり降ろされることとなったのであった。
だが、完璧主義に憑かれた僕は、それを許さず、自分の努力が足りないのだと、自分自身を精神論で叱咤激励しては、極限まで追い込んで行ったのだった。
他人と比較しては気を病んでいた。
醜い話だが、他人が自分より優位に立つことは、あってはならなかったことであった。
しかもその他人は、あらゆる他人であった。
そんな最上級に醜悪な欲と怒りを抱きながら、青年期を生きていたのだ。
そこには自分自身に注がれる、無条件の愛など微塵もなかった。
自分自身に注がれるのは、どこまでも続く、怒りと欲に満ちた、叱咤激励のみであった。
そんな中、僕は初めての大きな鬱病を患うこととなる。
今思えば、それは必然的結果で、なるべくしてなった病気であった。
誰のせいでもない、自分自身のせいであった。
それでも、僕の肉体は良く頑張ってくれた。
静養と投薬治療を通じ、ほぼ元通りの健康を取り戻したのだ。
だが、相変わらず、元となる僕の精神構造は変わっていなかった。
全く変化しないまま、今まで通り、怒りと欲に満ち、𠮟咤激励を繰り返していたのだ。
そんな考えのままの僕にとって、周囲の状況は更に悪くなっていくのであった。
時間の経過と共に、周囲は一人前の社会人として確固たる地位を築いていった。
結婚、子育て、昇進、家の購入など、具体的な幸せの形を手に入れていくのである。
僕の最上級の醜悪な精神構造が、それを手放しに祝福出来る訳がなかった。
僕はどんどん追い詰められていくのであった。
その時には僕は、気が付くと難治性の慢性鬱病患者に成り果てていた。
僅かなストレスでも簡単に精神を病み、人様の半人前は愚か、三分の一人前にもならない有様であったのだった。
そんな中、僕はそんな自分自身を呪うようになった。
何故、自分だけがこんな風に不幸せのターゲットに晒されなければならないのだろうと。
今となっては、根本原因は自分自身の無知による欲と怒りであることは明白であるのに、完璧な自分自身を求めることからは、度合いは下がったものの、不完全な自分を嘆くという、本質的には変わらない欲と怒りから、逃れられずにいたのだ。
挙句の果てに僕は、自分自身を悲劇のヒーローに仕立て上げることさえ始めたのだ。
小説という架空の世界の登場人物を通じて、鬱病という病に侵され続ける、可哀想な悲劇のヒーローを演じ、慰めていたのだ。
何よりも自分自身が鬱病の元凶であるはずなのに、悲劇のヒーローを臆面もなく演じるとは、これ以上に無い程の醜悪で滑稽な姿だ。
そうありながらも、僕は何としても鬱病を治したいと奔走していた。
醜悪で滑稽な心のまま、様々な治療法に手を伸ばして、その効果を時折、体感しては、ぶり返してしまうという繰り返しに、絶望していったのだった。
その都度、いよいよ悲劇のヒーロー度合いは増していったのだった。
だが、僕はこんな醜悪で滑稽な心の中で考え続けた末、ふと、あることに気付いたのである。
それは
「自分には鬱病を治すよりも大切なことがある。そして自分には鬱病を患っている期間よりも、ずっと長く患っている病がある。それは自己肯定感の低さであった。実は鬱病になる以上に、それは不幸なことであるのだ。それ故、鬱病が治るか治らないかは問題ではない。ただ、それ以上に大切なことがあるという、真実があるのみである」
ということであった。
あまりにも低い、いやマイナスですらある自己肯定感を、何とかしなければならないということであった。
思えば僕は一度目の両親から注がれる無条件の愛を離れてから、本当の意味で自分自身に愛情を注いだことはなかった。
それらしい愛情を注いだこともあったが、それは他人との比較に勝利した時のみに注がれる、条件付きの愛情であった。
そこまで思った時、そのことは僕自身にとって、とても有害であると同時に、無条件の愛を注いでくれた両親に対しても、酷い親不孝の行為にあたるのではないかと思ったのだ。
僕は何とかしなければならないと思うようになったのである。
それまでずっと低かった、自己肯定感を高めて行くことに対し、自分の愛し方すら知らなかった僕は、それがどういうことか、全く検討すらつかず狼狽した。
だが、僕には一度目に両親が注いでくれた、無条件の愛というものが、確かに存在したのであった。
それを元に、僕はまさに無条件で、自分自身のことを愛していこうと思ったのであった。
その決意をした際、今までの自分自身の酷く屈折した半生が、明瞭になって浮かび上がって来たのである。
鬱病の原因は取りも直さず、僕自身の屈折した精神構造、つまりは心にあったのだった。
酷い無知と、酷い欲、怒りである。
まさに仏教用語の貪・瞋・痴(人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つで,人を毒するから三毒,三不善根などとも呼ばれる。)の塊のような半生であった。
鬱病にもなる訳である。
ならない方がおかしい程であった。
もはや鬱病が治るか治らないかは関係がない。
その上で僕は、あの日、無条件に注いでくれた両親からの愛情に習い、僕自身が本来行うべき、二度目の無条件の愛情を自分自身に注ぎ、残りの反省を生きていこうと思うのである。


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