以下は、私が長年悩んできたことに対する、稚拙ですが、真面目に考えた哲学です。人間の活動の重要なものに「認識」というものがある。この認識とはどういうものか現象学のテーゼにそって分かり易く説明する。それは「現象は光のうちで視られうる」というもの
レヴィナス哲学が本質的に倫理学であるならば、そこでは当然、善と悪とが問われる。 悪は存在への固執に由来する。主体が自己の存在を肯定するために他者と関係する時、他者の他性は必然的に否定される。<他>は<同>によって承認される場合にのみ<他>
化学で重要になる物理量にGibbsの自由エネルギーがある。エネルギーとあるが、普通の意味のエネルギーではなく、Gibbsの自由エネルギーはエネルギーとエントロピーを組み合わせた概念である。Gibbsの自由エネルギーGは G
認識するというのは学問に通ずる楽しい行為だが、自己ならざる他者の理解とは、知りえぬ他者を自己に同一化しようとする、征服であり、暴力ではなかろうか。相手が物質といえども他者である。相手が人間ならば言うまでもない。他者を知りえぬものとして、自
子供の頃、両親は私に勉強しろ、とは言ったが、友だちを作れ、とか友だちを大切にしろ、とは教えなかった。よい両親だったが、それだけが残念だった。そのかわり、大学で教授が、そのことで心配してくれた。26歳で会社に入って、少し反省して、友だちを作
知識欲というふうに「欲」という言葉がついているから、知識欲も欲望の一種なのだろう。歳をとっても、食欲と知識欲だけは衰えない。その他の欲望には衰えを感じるが。外に散歩にでる以外の自宅でのほとんどの時間は読書に費やしている。読書依存症といった