mixiユーザー(id:4855000)

日記一覧

横幅30メートルほど、奥行150メートルほどの谷戸を利用した町立の公園で、ハナショウブや紫陽花やハス池が有ります。特に、ハナショウブ(見頃は、6月上旬〜中旬)で「かながわの花名所100選」に選ばれています。ハナショウブの田んぼにカワニナを放

続きを読む

大磯オープンガーデン2016神奈川県大磯町の3日間限りのイベントに行ってきました。http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16086/16086.htm

続きを読む

西湘の開成町のホタルも比較的早く飛び始めるので、下見のつもりで行きました。折りから今夜は「満月」辺りを煌々と照らすので、ホタルの飛翔は芳しく有りませんでした。http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16085/16085.htm

続きを読む

照ヶ崎海岸は「大磯照ヶ崎のアオバト集団飛来地」として神奈川県の天然記念物に指定されています。鳩のフンを調べたところ、大磯から20〜30キロメートル離れた丹沢山地からの飛来が証明され、2002年には丹沢での繁殖が確認されたそうです。夕方、誰も

続きを読む

旧岩崎邸庭園
2016年05月16日04:25

明治29(1896)年に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の岩崎久彌氏の本邸として造られたもの。往時は約1万5千坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたそうです。戦後GHQに接収されていました。返還後、昭和27年に国有財産となり、昭和36年に洋

続きを読む

音羽御殿の薔薇
2016年05月14日05:35

鳩山和夫(鳩山一郎の父)が音羽に居を構えたのは明治24年(1891)、関東大震災の翌年、大正13年(1924)に鳩山一郎により洋館が音羽の丘に出来た。鳩山一郎はバラを愛した。洋館の設計は一郎の友人の岡田信一郎(大正・昭和初期を代表する建築家

続きを読む

戦争の被災木のイチョウがあるのは、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地ですが、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。観潮楼は、鴎外の没後しばらくは家族が暮らし、その後は借家となりました。1937(昭和

続きを読む

久し振りに「戦争の被災木めぐり」をしてきました。文京区の「栄松院」・・・墓地内の通路を進むと、枯れ死した根幹と祠が有りました。上野一帯を狙った東京大空襲の焼夷弾に直撃された幹ですが、根元まではダメージが及ばなかったようで、樹が死に絶えること

続きを読む

花街・湯島天神の夜景
2016年05月11日07:30

湯島天満宮は西暦458年の創建、古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているので受験シーズンになると、願掛け絵馬が鈴なりになるのが風物詩の一つです。ところで、大正12年の「関東大震災」では、

続きを読む

花街・安浦の夜景
2016年05月09日04:45

安浦は、横須賀軍港発展に伴い住宅地を確保するために、もともとは大正期に海岸部を埋め立てて造られた土地です。住宅とともに歓楽街が設置され、公娼地であった柏木田よりも安く庶民的だった安浦は地元の漁師や船乗りにウケ、その後の発展へと繋がってます。

続きを読む

横須賀港の夜景
2016年05月07日06:13

本日の撮影計画は、「昼に横須賀しょうぶ園」そして「夜は横須賀の赤線跡」でしたが、夜のとばりが降りる頃に、JRの横須賀駅に近づきました。急遽、横須賀駅で下車、軍艦が停泊している横須賀港で撮影しました。トワイライトタイムの軍港を激写しました。ト

続きを読む

『横須賀しょうぶ園のハナショウブ』は全国屈指の規模を誇ると、PRしていますが、未だ行った事が無いので、下見を兼ねて現地取材です。折りから、「ふじ苑」においては、『ふじまつり』(4月23日から5月5日)の期間中でも有り、見頃終盤の「一瞬の美し

続きを読む

花街・中野新橋の夜景
2016年05月03日04:48

都庁から直線で1600メートルほどの場所ですので、まぢかに超高層ビル群が目に入ってきます。『神田川』と言えば、 かぐや姫の歌にある「神田川」が想い出される事でしょうが、都心の下水工事の結果、川底は、大雨の際の増水を飲み込むため深く掘り下げら

続きを読む