それが素晴らしいのは、手に入れるつもりはなくても、手に入っているということだ。最初から、そこにある。外を探し回ることもできる。宇宙中を探索することもできる。決して失うことはない。だから、安心して探すといい。すべて失ったとき、気づくこともある
阿難とはアーナンダ。つまり、釈迦の筆記係、書記だ。釈迦の話した言葉は総て、諳(そらん)じれる。しかし、ひとつ問題があった。諳じれるが、なにひとつ理解できないのだ。それは見事に。駅の名前は、すべて言えるが、いちども旅をしたことのない人と同じだ。
本来の自分になれる。なぜならば、本来の自分である限り、悩みは絶対に起きてこないからです。逆から行けばいいのです。「悩まない」と決めれば、それが、そのまま、本来のあなたになります。悩まない人生は、本来のあなただ。
「神は、どこにいるの?」と聞く人よ。神は、あなただ。あなたが、神だ。それは、不可分だ。いちども離れたことはなかった。それは、影のようなものだ。影に気づく者は幸いだ。そんなものに気づくのは、子供だけだ。影は、あなたを見ている。あなたも影を見る
ふつう、「この人を一生かけて幸せにします」と誓うが、ぼくは「自分を一生かけて幸せにします」と誓った。どんなことをしても、どんな恥をかいても、それをする。あなたのためなら一生懸命になれる。ぼくは自分と結婚した。
幸福な人は、意外に少ない。いつも何かが欠けている。健康か、金か、人間関係か。百点満点ではない。よくて70点だ。なかなか30点は埋まらない。きっと、なにか方法があるんだろう。それを見つけた人がいる。その人が先生だ。世の中には数多くの先生がいる
焼きいもは愛だ。彼は焼きいもを食べた。だが、お金のことを気にした。「こんなもの無駄使いです」。マグダレーナも、そうだった。マグダラのマリアは、愛しい人のために香油をもってきた。イエスの足を洗い、髪でぬぐった。しかし、それを見ていたユダは言っ
ぼくたちは、ちがいを認める。大とか小とか、細いとか太いとか。遅いとか早いとか。まじめとかふまじめとか。優秀とか優秀でないとか。すばらしいね。ちがいはない。本当は、ちがいがないのに、ちがいを認める、この世界が好きだ。ぼくは
明石家さんまさんが、落語家だったことは、あまり知られていない。数年前、名古屋の大須演芸場に大槻ケンヂさんのサポートで行ったときに楽屋に入った。修行時代のさんまさんの落書きが残っていた。「今日も客なし」。1975年8月16日、真夏だ。一年前にデビュ