思想とか哲学がある。いろんなことを思索する。その思考のするどさにすごいと思う。だけれど、その方が数学が出来ない人だと定量的に考えられない人がいる。数学が苦手な人も思想家にはなれる。しかしながら、倫理的なことであれ、社会的なことであれ、数学的
宗教について。欧米では、なぜかキリスト教徒の方が、仏教系的な瞑想に興味を抱いているようです。これは禅とキリスト教的な本をみたときになぜと思ったときがありました。禅的な瞑想は行法として、キリスト教に違和感がないのかもしれません。宗教は神道にし
中学英語ができると、日常生活に不自由がないとよく言われる。なるほど、わたしもそう思う。でも、中学英語ができるようになるのってむずかしいのではないか。よく言われるのは中学校の英語の教科書の日本語訳を瞬時に英語に換えることができれば完成と言われ
最近、文系は数学が出来ないとダメダメ。などという言説がある。では、数学ができる人とはなんだろうか。というのが明らかになっていない気がする。というのは数学ができる人は自分のテリトリーから出ない人が多い気がする。例えば、経済学などに数学を教える
世の中の英語の出来る人に、日本人は英文法の些末なことにこだわるから英語が出来ないのだという。まちがえたって、話せばいいという。(笑)。しかしながら、そんなことをいう人はたいてい一流大学卒。つまりはある程度文法みたいなものを身に着けている。だか
ある作家の受験参考書みたいな本を愛読していた時期がある。そんなときに”みてすぐわかる○○〇”みたいな本はダメだと書いてあった気がする。(笑)。だが、その人は、進学校を経て、一浪、駿台予備校。一流大学法学部卒業の経歴だった。つまりは独学をしてい
小学校とか中学校の頃、さまざまな要因で、授業を聞いてないこととかが多々あり(笑)。何かが決定的に抜けていると思う。体育でも、音楽でも、算数でも英語でも。もろもろ。(笑)。さまざまなものができる方はやはり恵まれていると思う。(笑)。本人の努力という
デジタルデバイドなどという。しかしながら、デジタルばかりではないと思う。料理ができないならば、コンビニに依存、外食に依存。→部屋がゴミだらけになる一歩ではないだろうか。新聞とか読む習慣がない。など。→世間知に疎くなる。などなど。こういう差が
最近、気づいたことがあって、本が読めないことに気づきました。(笑)。何かを身に着けようと思って、入門書なりを買います。根気がないとか。読み続けられなくて、読めない。(笑)。読める人は、しらっと読んで、頭に入り、暗記してしまう。ように私は思えます
世の歌の中には出会ってよかった、出会いの喜びを歌う歌がある。それに対して、孤独の裡の歌もある。上記には恋愛も含む。あなたにあえてよかったなどというもの。わたしがひねれくれているからかもしれないけれど、出会いのよろこびだけを歌っていアーティス
いろんな本を買う。時に、人生を狂わす本に出合う。(笑)。別に、普通のこと。何かを身に着けようと本を買う。ところが飛躍が多いとか、説明不足があったりとぜんぜんわからない。ということで人生が狂う。(笑)。案外そんなこと日常的にあるのではないかと思う
中国の有識者が日米の協力に対して、不利益をもたらすと反対の意向を示していた、この方は学者でした。反対だけで、不利益をもたらすという強迫みたいな言い方だったのは、なんだかなと思う。結局のところ、何も変えたくなくて、反対だけを述べるという価値観
藤井という将棋棋士というと藤井聡太さんが有名かもしれない。しかしながら、その前は藤井猛という人が注目であった。藤井さんは羽生さんと同年代。しかしながら、小学4年で将棋を覚え、高校ぐらいで奨励会に入会。断然の遅さ。しかも、戦法は、どちらかとい
変なトピですみません。あとで消すかもしれません。男性にとって女性のお胸って、目についたりします。それで、目がいくと、見てはいけなと思って目をそらしたりします。ややこしいです。でも、女性らしいフォルムをつくっている要素だから、むずかしい。お胸
人は何かを学ぶために本を読んだりすることが多いと思う。わたしもそう。算数でも英語でも、音楽でも、その他でも本を頼ることが多い。近隣の本屋さんに行って本を買ったりして、勉強する。(笑)。ところが、その手の本を買って、実は、かなりの確率で挫折する
早稲田卒の予備校講師の方が、親御さんがかりで学習環境を整えらて東大に入った人は東大までの人になりやすいとか。述べていた。そういう環境を整えた学習環境でなければ東大に入れなくて、それを東大までの人というのであれば、企業などは東大以外の人を採用
低山登山が流行である。そのほかぽつんと一軒家みたいな山暮らしも脚光をあびている。低山登山と山暮らしに差異はあるのだろうか。それは生活の有無のような気がする。低山登山には生活がない気がする。山暮らしには生活がある。雑草を刈り、自給自足的な農業
藤原正彦さんの著書とか、英語研究者の人の本を読んだりする。そうすると算数を低学年でやる必要がない。英語を低学年でやる必要がない。でなくても数学者になっていたり、英語学者になっていることを言っている。例えば、公認会計士の資格を大学に行って初め
性愛って何だろうと思う。そこには美しさはあるのだろうか。わたしはあると思う。また、男性と女性だとすると、性愛的なものに触れえない人も出てくるのだろう。そういう人は、どうするのだろうか。性愛は、普遍的な愛とは違う極私的なものに近い愛なのだろう