肥後藩には、肥後六花といって、江戸時代から品種改良を重ねた門外不出の六種類の花があったそうで、そのひとつ、肥後椿がちょうど咲いていました。赤い花の中の黄色いところがすごく大きい。このほか、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後山茶花の計4種類をこの庭園
肥後細川庭園には松聲閣という建物があって、一階が集会室ですが、二階は展望所になっていて誰でも入れます。玄関でスリッパに履き替えます。二階へは、廊下をいちばん奥まで行ったところにある狭〜い階段を登っていくんですが、その狭さにドキドキしたりして
神田川沿いを歩いて、肥後細川庭園まで行きました。庭園内にはあまり桜がなくて、池の向こうに小さいのがひとつ。とはいうものの、逆に、庭園内から外を見ると、神田川沿いの桜並木が借景となってお花見をすることができます。隅っこにある広場のところにうん
最近は都電荒川線に乗ることが多いんですが、終点早稲田のひとつ手前に面影橋という素敵な名前の停留所があります。由来は諸説あって、在原業平説、徳川家光説、於戸姫説等ありますが、姿見の橋という呼び方もあるようで、川面に姿が映ることから来ています。
今この建物がどういう風に使われているのかよくわかりませんが、現役のようです。裏のほうに回ると、立派な桜が咲いていました。赤煉瓦に桜もなかなかいいですね。お花見の名所飛鳥山の近くに、こんなお花見の穴場があったんですね。こういう発見は嬉しいです
桜の名所、飛鳥山の近くに桜の咲いている一画があったので、入ってみました。レンガの門があって桜の咲いている道を歩いて行くと広場あって、その向こうにレンガの建物と桜が見えました。近くまで行ってみると、レンガの門があって「国重要文化財 旧醸造試験
暖冬の上に、急に暖かくなって、例年より早く咲いた桜。まだ定番の桜の名所は5分咲きから8分咲きといったところですが、場所によっては満開のところがあります。この児童公園はすっかり満開。コロナウィルス騒ぎとも関係なく花は咲きます。福島の立ち入り禁
帰りは御殿山庭園を通って帰って来ました。マリオットホテルの裏側に広がる庭園ですが、人工の滝があります。庭園の上の遊歩道から見下ろすと、なかなかの迫力です。角度的にはナイアガラの滝を眺める気分。つい近くまで行ってみたくなりますよね。で、滝つぼ
帰りがけに、玄関の奥のほうにも作品があるのに気付きました。Tみたいな石と金属柱の組み合わせ。柱にわたしが映っています。余計な心配ですが、こんな重い物を持ち上げるの、大変だったでしょうね。最初に重心を見極めて組み合わせないと傾いちゃうし。まさ
2階の展示作品は撮影禁止でしたが、興味深いものがたくさんありました。あの、終戦後にマッカーサーと昭和天皇が並んだ写真。ふたりとも森村さんが扮しているんですが、森村さんはこれを昔ながらの結婚写真のようだと言います。マッカーサーが新郎で天皇が新
原美術館に来たお目当ての企画展は、「エゴオブスクラ東京2020-さまよえるニッポンの私」というもの。あの、なりきりポートレートで有名な森村泰昌さんの個展です。昨日ご紹介した不思議な部屋の作者でもあります。最初の部屋にあるイスとスーツケースと
(都知事の外出自粛要請よりも前の話です。)品川駅の高輪口から御殿山方面に歩いて行った先に、原美術館があります。久しぶりだなあ。門を入ってすぐのところに三角のオブジェがあったので、真似してみました。人じゃないものの真似は難しいけど、三角の気持
高輪ゲートウェイからまた品川に戻って、ちょっと時間は早いけど駅前でランチを食べることにしました。イタリアンレストランの前に出ているメニューを見ていると、オーナーと思しきイタリア人のおじさんが出てきて、どうぞどうぞ、今オープンしましたと、招き
新しもの好きなわたし、最近オープンしたばかりの駅に行ってみました。JR山手線30番目の駅、高輪ゲートウェイ駅です。目的地は品川だったんですが、折角だからお隣の駅まで足を延ばしました。ホームに降りて何か違うと思ったら、床が木目調のタイルでした
そして、雲霧林を抜けたいちばん奥に喫茶室がありました。ランチもあったので、ここで食べることにしました。いちばん高いところにあって、窓から温室の中を見下ろすことができます。メニューはアジアン・フードで、4種類のカレーのほかに、ガパオライスやナ
小屋はマレーハウスとのことですので、マレーシアにある小屋がモデルですかね。大きなバナナの葉に模した身長計がありました。バナナの葉っぱって、2mくらいあるんですね。目盛りは5cm単位で、25cm毎に表示がありましたが、わたしは175cmの表示
先日行った小石川植物園の温室は学術的な感じに鉢が並んでいたのに比べると、こちらは東南アジアの熱帯雨林を演出していて、温室に入ると、そこはジャングルの雰囲気。地下に水族館があったのも、海から山へという環境を立体的に表現しているということだった