目白台台地一帯は江戸時代中頃まで、旗本の邸宅があったところ。その後、幾度か所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷になり、明治時代には細川家の本邸となった。江戸時代に熊本藩主・細川家の屋敷であったが、現在は、東京都のもの、文京区は、「新江戸
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644〜1694)が、2度目の江戸入りの後、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていたので、芭蕉はこれにたずさわり、水番屋「龍隠庵」に、1677年から4年間住んだといわれる。後に芭蕉を慕う人々により、こ
武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し、神田川に面したこの土地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれており、江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だった。明治の元勲である山縣有朋は西南戦争の功により年金740円を