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2018年03月18日07:22

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山陰遠征−41/淀江御台場跡

米子観光ネタの続編です。
「尾高城跡」の次は・・日本海沿岸の淀江町に足を延ばした。
ここ「淀江漁港」に程近い海岸線に江戸時代の「御台場跡」が保存されている。
国の文化財史跡に指定。

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↑(TOP左画像)
「御台場公園」
外国船の来襲に備えて、江戸時代末期の文久3年(1863年)に築かれ、現在は長さ約65m、高さ約5mの土塁が残っている。
昔の絵図を見ると、現在の土塁の両端がさらに延びており、現存する部分は海に面した一部であり、もとの高さは現在の3倍あったと言う。

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↑(TOP右画像)
ここは今津の大庄屋の松南徹翁が自らの私財を投じて築造し、鳥取藩に献上。
その松南徹翁は、明治維新の戊辰戦争で戦った兵士でもあった。

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「御台場から見える日本海」
当初は国産の大砲3門が備えられ、後でさらに8門が増設された。
大砲の射程距離は約4kmで、佐陀川の河口に標的を置いて射撃訓練を行なった記録がある。
ただし、実際に外敵に向けて発砲した事はないと言う。

さて、こちらの瀬戸内圏と違って、さすがに日本海側の御台場構築場所は数が多い。
鳥取藩は計8箇所が構築され、現在では由良や境等、5箇所が保存されているようだ。
他の場所も別の機会に見学したい。

米子観光ネタ日記は・・まだつづく。
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