仕事も少し一段落したので、今年も“お城めぐり”を再開しよう。
そこで・・昨年は『軍師官兵衛』をきっかけに備中の城を色々と見学したので、今度は“備後の国”に足を延ばしてみた。
過去に訪れた備後地区の見学先は、福山城、鞆城跡、大可島城跡、神辺城跡の4箇所だけで、さらに復元された天守閣や櫓となると・・唯一、福山城だけである。
それが今一つ後回しになっていた理由だ。
それでも立派な石垣が残されたお城なら他にもたくさんある。
そんな中で昨日は「三原城跡」を尋ねてみた。
「三原城跡」は広島県三原市の中心部にあり、かつては瀬戸内の要所を押さえた“海城”であった。
尚、三原には仕事で何度か訪れた事があるが、城跡のある北側は今回が初めてだ。
・TOP左画像
「JR三原駅」
三原は新幹線も留まる山陽本線の駅で南側が商店街で賑わう表玄関になる。
しかし、ここから瀬戸内に面する三原港まで歩いても僅かな距離なので市街地の面積はあまり広くない。
・TOP右画像
三原の町がどんな所なのか?
まずは駅の観光案内所(うきしろロビー)で無料の観光パンフを集めてみよう。
観光先のチェックポイントを事前に調べて、さぁ行動開始だ!
↑
「絹本著色登覧画図」(けんぽん-ちゃくしょく-とうらんがず)
このレリーフはJR三原駅の玄関先で見学出来る。
享和2年(1802年)に旧広島藩士の画家“岡岷山”(おかみんざん)が画いた一部分の複製である。
原画は「三原城」を中心に「妙正寺」全景を近景に入れ、東町の町並みや「佐木島」等、瀬戸内の島々を遠望したもので、三原市重要文化財に指定されている。
さて、ここで「三原城」について簡単に解説してみよう。
「三原城」は毛利一族の小早川隆景が水軍の拠点として、永禄10年(1567年)に築城。
その後、隆景の死後、関ヶ原の戦い以降は福島正則の養子・正之が城主となり、城の規模は大幅に修築している。
続いて元和5年(1619年)に正則は安芸・備後50万石を没収され、変わって浅野忠吉が入り、広島城の支城として幕末まで使用されている。
しかし、明治になって廃城となったが、江戸期の一国一城令が発布されている中で、支城の使用が認められたのは珍しい例だと言われている。
↑
JR三原駅構内に見る三原城跡の石垣
橋上駅の施設が「本丸」の石垣に食い込んでいる。
こんな風景を見るのは非常に悲しい・・・
↑
「三原城の天守台」
ここは駅の北側に保存されている。
↑
「隆景広場」
三原駅の北側は市内の裏手になるので周囲は比較的ゆったりしており、内堀周辺は発掘調査中でまだ整備中のようである。
↑
「小早川隆景像」
駅の西口に設置されている。
↑
駅の北口に見る「三原城天守台跡入口案内看板」
ちなみに駅構内の南側からも入る事が出来る。
↑
駅の構内へ入る北側入口
石垣が無残にくり貫かれている。
↑
駅構内に見る「三原城天守台跡入口」吊りサイン
JR三原駅構内の2階から入るようになっている。
↑
この入口から外に出ると天守台へ上がる階段が設けられている。
↑
「天守台」
ここには休憩用のベンチが置かれているだけで特に何も無いが、駅北側の眺めは非常に良い。
しかし、天守閣復元の予定は?・・と思っていたが、どうやら天守台にはもともと天守は建てられていない。
↑
「天守台」から望む「三原城本丸」外周風景
周囲は内堀に囲まれており、新幹線と在来線の線路が「本丸」を貫通している。
「福山城」のように線路はもう少し南へずらせなかったのだろうか?
お城ファンの一人として非常に残念でならない。
こんな「三原城跡」ではあるが、三原の町の散策見学はまだ続く。
ログインしてコメントを確認・投稿する