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2012年02月27日22:07

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Peaceful body (安からなからだ)

 アピカルイン京都で行われたアレクサンダーテクニークの2daysワークショップですが……タイトルが『Self Care & The peaceful body』となっているところに、まさにその特徴が表われています。The peaceful mind ではなく、The peaceful bodyだというところがすてきです。

 ブルース氏はこう言っていました……「私はもう長い間ワークをしてきたけれど、自分のからだを好きな人にひとりも会ったことがない、、そしてまた、その人のことを好きじゃないからだにも出会ったことがない」と。

 ぼくたちはからだに対して色々と難癖をつけ、アラを探し、ぶつぶつと文句を言い続けているけれど、からだの方はぼくたちの欠点や過ちを突いたりせず無条件の愛を送り続けてくれている……と。

 ぼくたちが peaceful bodyを体験できない最大の理由がそこにあるようだとブルース氏は言っていました。(愛の一方通行性ですね。なぜコーラルが鍵を握っているのかもわかりました)
 
 ぼくたちはからだの外面、見かけや、顔つき、プロポーション、着ている服や装飾品などはたくさん気にかけられ、面倒を見られるのだけれど、もっと内面にあり、感じられるものは見逃されてしまう。最近は、もう少しからの内側、筋肉のレベルに対しても意識が向けられ、そこにお金も投資されるようになってきたけど、これらはいわばコスメティク・ボディとでも呼ぶべきものであり、ほんとうに内面にあるものとは違うということです。

 機能をもったからだを内側から感じ取り、そこに意識を向けるとき、そのとき初めてからだは peaceful bodyになってゆく……

 いわば表のからだと裏のからだがあるようなものなのだけれど、ブルースが働きかけてゆくのは、この裏のからだ、内側から感じ取られる身体感覚の領域であるということです……

 実際、2日目のブルースのワークは、もうこれはあけみちゃんの養成講座に参加している人には必見というか、ぜひ機会があれば参加してみて欲しいと思うほどに、あけみちゃんが伝えようとしているボディ・サイコセラピーの理想の姿、最高の開花のかたちのひとつをそこに見る事ができました……。

 ぼくはあれほどまでにフェルトセンスを大切にしたケーティワークを見たことがありませんし……そしてまたそこには(もちろんブルース氏自身まったく予想もしていないことだと思うけれど)、サガプリヤが用いるベーシックなワークの構造とみごとに重なり合うものがあったのです……。

 つまりこれまでぼくが体験してきた様々なワークのエッセンスというべきものの見事な統合がそこにはあったのです……

 たぶんそれは、単にアレクサンダー・テクニークだけではないブルース氏がこれまで体験してきた様々のワークの統合があるからだと思います……。

 ブルース氏は、2日目にはバイロンケーティワークのデモンストレーションを何度かくり返しましたが、確かにそれはケーティワークなんだけれど、もうこれはブルース氏でないとリードできないようなオリジナルな仕上がりをしています。

 『ホールボディフォーカシング』というボディ・サイコセラピーがあって、これはアレクサンダー・テクニークとフォーカシングのハイブリッドになっていますが、ブルース氏のアプローチは、同様にアレクサンダーテクニークをベースにしながらゲシュタルやケーティワークを巧みに織り込んだひとつの芸術作品だと言えます。

 たとえば、ブルース氏はこのようにも言っていました……からだのムーブメントを注意深く観察するアレクサンダー・テクニークとこころのムーブメントを注意深く観察するバイロンケーティワークは、非常によく似ている、と。そしてさらに僕が感動したのは、その手法が「信じること」に基づいているのではなく、厳密な意味での作業仮説に基づいていたこと……これで信じることを遠回しにであっても強いられると暴れるマインドの抵抗値は限りなくゼロに近くなります。

 バイロンケーティワークの置き換えが、ひとつの作業仮説であって、信じることではないのと同様に、ブルース氏のものやひとへの関わりに光を当ててゆくワークにおいても信じることはかけらも求められず、ただただ、作業仮説の実験へのひそやかな誘いがあるだけなのです。

 まったくほんとうに脱帽でした……からだの働きに光を当てるワークの先達として、ぼくはまたひとりの師匠をここにみつけたことになりました。ほんとうにありがたい出会いです。

 先日の日記に「実は、このワークに参加しようと決意したのは、まさにこの「マフラーの巻き方」に惹きつけられたからです」と書いたように、実は、まったく何も知らないブルース氏のワークを受けようと決意したのは、“マフラーを巻く”ということばからくるフラートへの応答でした。今回、ぼくはこのほんのわずかのフラートを見逃しませんでした。ワークを受けるお金にもゆとりがあるわけじゃないのに、からだの芯から湧き上がってくる決断には微塵のゆらぎもありませんでした。

 この呼ぶものと呼ばれるものとの関係についても、ブルース氏は何度も何度もくり返していました……触れるものと触れられるものとは同時存在的に関わりという次元に置き換えて……こちらが向こうに触れるとき、向こうもまたこちらに触れてきている、、、、このベクトルの二方向性に対する感度は、ブルース氏においてほんとうに際立っていました。

 まだまだ伝えたいことはたくさんたくさんあるのですが、きりがないのでこのあたりで止めておきます……またご縁のある方は、これからオープンしてゆこうと思っている「マフラーを巻くワーク」にご参加ください。

 最後に、ぼくはこの2日間の体験を通して、紐を結ぶのがかなり面倒なシューズと初めて仲良くなることができたことをお伝えしておきます……これはとってもささいなことなのだけれど、ぼくにとっては画期的なできごとでした。

 フラートに関する関連日記へのリンク

 フラート(ふと気を引きつけるもの)
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1253712604&owner_id=64170

 ノイズ、フラート考(白い仔犬)
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1577005841&owner_id=64170


 
 



 
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