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聖者の生涯&言葉&聖者についてコミュの聖者の生涯 『アドブターナンダ』

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「ラーマクリシュナが見せた最大の奇跡」と言われていた、アドブターナンダ(すばらしい、驚くべき歓喜)の生涯です。



☆Shavari先生(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=535251&from=navi)の書かれたアドブターナンダの生涯をご紹介いたします。

コメント(14)

 ラーマクリシュナ・パラマハンサは、カルカッタの北にあるドッキネッショルという田舎町のカーリー寺院に住んでいました。その熱情と霊的修行が最高潮に達したとき、ついに彼は明智を得たのでした。
 
 完全な悟りの境地に達したラーマクリシュナは、約束された弟子や信者たちを待ち望むようになりました。彼はよく、寺院のテラスに立って、
『お前たちはどこにいるのだ? 早く来ておくれ! でないとこの肉体はいつまで持つかわからない。』
と大声で叫んでいたといいます。

 そして実際に多くの弟子や信者たちが集まり始めました。その最初に集まり始めた弟子の中に、ラームチャンドラ・ダッタがいました。

 ラームチャンドラには、ラトゥという名の召使の少年がいました。あるときラトゥは、ラームチャンドラが、ラーマクリシュナの教えのいくつかを他の人に説いてあげているのを耳にしました。

『神は人の心の中をご覧になる。その人が何者か、どこにいるのかは気にしない。神を慕う人、神以外の何ものも求めない人、そのような人に神は自らを現わされる。純真で清らかな心を持って神を求めなければならない。心から神を慕わなければ、神を見ることはできない。人は一人で神に祈り、神を思って泣かなければならない。そうして初めて、神は恵みを与えてくださる。』

 これらの言葉を聞いて、ラトゥは強い感銘を受けました。時々、ラトゥが毛布に包まって横たわりながら、そっと涙をぬぐっているのが見られました。しかし彼は自分がなぜ泣いているのかを、誰にも打ち明けませんでした。


 ある日曜日、ラームチャンドラがラーマクリシュナのもとへ行くとき、ラトゥもついていきました。こうして初めてラトゥはラーマクリシュナに会ったのです。
 ラーマクリシュナはラトゥを見ると、ラームチャンドラに言いました。
『ラーム、お前がこの子を連れて来たのかい? どこで彼を知ったのかね? 彼には尊い印がある。』

 その後、ラーマクリシュナに深く帰依するようになったラトゥは、ラームチャンドラの家で召使として働くことに困難を感じるようになってきました。ラーマクリシュナはラトゥに言いました。
『この場所に来たために自分の仕事を怠るようになってはいけないよ。ラームはお前に住まいや、食べ物、服、お前の必要なものを何でもくれる。ラームの家の務めを怠るのは良くない。恩知らずにならないように気をつけなさい。』

 お叱りを受けて、ラトゥの目に涙がにじみました。ラトゥは言いました。
『私はこれ以上仕事に就きたくないのです。私はここにとどまってあなたにお仕えすることだけを望んでいます。』
『しかしお前がここにとどまったら、誰がラームの家族のために働くのか? ラームの家族は私の家族でもあるのだよ。』
 ラトゥはとうとう泣き出して、言いました。
『私はあそこにはもう帰りません。ここにいたいのです。』
 また別の日、ラトゥはラーマクリシュナを訪ねてドッキネッショルにやってきましたが、そのときはちょうど、ラーマクリシュナが故郷の村に一時的に旅立っていたときでした。
 しかしその話を聞いても、師に会いたいというラトゥの気持ちは決して弱まりませんでした。ラトゥは寺院のそばにあるガートに座って泣き始めました。
 ラトゥは以前、ドッキネッショルのカーリー寺院を訪ねる者には、ラーマクリシュナは必ずお会いくださると、誰かから聞いていました。ラトゥはその信念を持って、夕方までそこに座り続けました。
 寺院の者が、何度もラトゥに、「師は故郷にお帰りになった」と言いましたが、ラトゥは、
「いや、あなたはわかっていません。」
と言って、帰ろうとしませんでした。

 1881年6月、ラーマクリシュナの甥で、ラーマクリシュナに使えていたリドイが、ドッキネッショルのカーリー寺院を去っていきました。そこでラームチャンドラは、ラーマクリシュナを心底愛していた召使の少年ラトゥを、ラーマクリシュナのもとへと送り出しました。そして二日後、寺院に来たラームチャンドラに、ラーマクリシュナ自身が言いました。
「この子がここにとどまるのを許してやっておくれ。彼はとても清らかな人間だ。」
 ラームチャンドラは喜んで了承しました。こうしてこの日からラトゥはカーリー寺院に住み、師の召使として身の回りの世話をしながら、修行に励むことになったのでした。
 
 ラトゥは愚直なまでに、ラーマクリシュナを愛し、ラーマクリシュナの言葉に従いました。
 あるとき、ドッキネッショル寺院から、カルカッタのラーム・バーブという信者の家におつかいに行く途中、酒屋があり、その酒のにおいをかいだラトゥの心は、落ち着かなくなりました。それを聞いたラーマクリシュナは、酒のにおいを避けなさい、と言いました。するとラトゥはその後、ラーム・バーブの家に行くまでに、酒屋の前を通らないために、通常なら6キロの道のりを、大きく遠回りして13キロかけて歩くようになりました。これを聞いたラーマクリシュナは、ラトゥに言いました。
「わたしは酒屋の前を通ることを禁じたのではない。酒のにおいをかぐなと言ったのだ。酒屋の前を通るのはかまわないよ。私のことを思い出しなさい。そうすれば、酒がお前を惑わすことはできない。」

 ラトゥは朝起きて一番最初にラーマクリシュナの顔を見、挨拶しなくては、一日を始めようとはしませんでした。
 ある朝ラトゥが目覚めると、何かの理由で、ラーマクリシュナがいませんでした。ラトゥは、「どこにいらっしゃるのですか?」と叫びました。ラーマクリシュナは、「ちょっと待ちなさい。すぐ行くよ。」と答えました。ラトゥは師が来るまで目にしっかりと手を当てて目をつぶっていました。そして師がやってくると、手を離して目を開けて、挨拶をしたのでした。
(3)


 ラーマクリシュナはほとんど正規の教育を受けていない無学の聖者でしたが、ラトゥはそれ以上にまったく学校教育を受けていない少年でした。そこでせめて基礎的な教育だけでも身につけさせようと、ラーマクリシュナ自ら、ラトゥにベンガル語のアルファベットを一通り教えようとしました。
 しかしラトゥの発音は正規のベンガル語の読みとはかなり違っており、ラーマクリシュナはたいそう面白がりながら、何度も彼の発音を正しました。師もラトゥも二人で笑い出し、その日の稽古はおわりになりました。
 三日間、この試みは続きました。しかし結局ラーマクリシュナはがっかりしてあきらめ、
「お前の本の勉強はもうやめだ」
と言いました。こうしてラトゥの教育は終わったのでした。


 インドでは、早朝の日の出前と、夕方の日が沈む時間は、昼と夜が交わる、最も神聖な時間とされています。
 ある日の夕方、ラトゥはぐっすり眠ってしまっていました。ラーマクリシュナはそれを見つけると、ラトゥを起こし、厳しく戒めました。
「夕方に眠ったら、いつ瞑想するのだ? 気づかないままに夜が過ぎるくらいに深く瞑想しなければならないのだ。なのにお前のまぶたは、すばらしいこの時間に眠りでふさがりそうだ。お前はここに寝に来たのか?」

 このように叱責されて、ラトゥの心に大変動が起こりました。ラトゥ自身、後にこのように語っています。
「師のお言葉を聞いて私が陥った深い悲しみをどうあらわしたらよいだろうか? 『私はなんと哀れな人間だろう』私は思った、『こんな神聖なお方のそばにいるというまれな祝福をいただきながら、時間を無駄にしている』――私は心を鞭打ち始めた。思い切って目に水を打ちかけ、ガンガーの河辺を足早に歩き出した。体が火照ってくると、戻って師のおそばに座った。またうとうとしたら、また歩き出した。こうして私は一晩中戦ったのだ。戦いは次の晩も続いた。ひどい戦いだった。日中眠りが私の目を打ち負かしたが、私はあきらめなかった。戦いは昼も夜も続いた。そしてついに、夜の眠りを征服した。しかし昼の眠りはだめだった。』

 
 ある日の夜明け前、ラーマクリシュナは、ラトゥを含む弟子たちを起こして、座らせて言いました。
「今日は主の御名を一心に繰り返して深くもぐりなさい。」
 そして皆を瞑想に入れると、ラーマクリシュナは歌い始めました。
「目覚めよ、おお、マザー・クンダリニーよ、目覚めよ!」
 そのように歌いながら、弟子たちの周りを何度も回りました。
 すると不意に、弟子の一人であるラカールの全身が、激しく震えだしました。そして同時に、ラトゥが叫び声を上げました。師はラトゥの肩に手を置き、ラトゥを押さえて言いました。
「立つな。そのままでいなさい。」
 ラトゥは激しい苦痛を感じているようでしたが、師はラトゥを立ち上がらせませんでした。そしてラトゥは通常意識を失いました。
 このように、歌を通じてさえ、ラーマクリシュナは弟子たちに霊的な力を注ぎ込んでいたのでした。


 あるときはラーマクリシュナは、ラトゥを瞑想のためにシヴァ聖堂の一つに行かせました。午後遅くになってもラトゥの姿が見えないので、様子を見に行くと、ラトゥはまだシヴァ聖堂の中で、汗びっしょりになって、不動の姿勢で深い瞑想に没入していました。ラーマクリシュナは自ら、ラトゥの体を扇で扇ぎました。
 しばらくして、ラーマクリシュナは言いました。
「さあ、もうたそがれ時だよ。お前はいつ明かりをともしてくれるのかい?」
 師のお声で、ラトゥはゆっくりと通常意識を戻し始めました。目を開けると自分の前に師がいらっしゃり、自分を扇いでいるので、びっくりして叫びました。
「何をしていらっしゃるのですか! これでは私の面目が丸つぶれではありませんか! おつかえすべきなのは私なのです!」
 師は愛情をこめて言いました。
「違うのだよ、私がつかえているのはお前ではなくて、お前の中にいらっしゃる主シヴァなのだ。こんな耐え難い暑さの中では、主は居心地がお悪かっただろう。主がお前の中に入ってこられたのを知っていたか?」
 ラトゥは答えました。
「いいえ、わたしは何も知りません。リンガ(シヴァ神の象徴)をじっと見つめていると、すばらしい光が見えました。その光が聖堂全体に満ち溢れたことを覚えているだけです。その後私は意識を失ったのです。」
(4)

 「おお、心よ、主の御名を唱えよ。
 そして、どんな食べ物であれ水であれ衣服であれ、
 主がお前に下さったものに満足せよ。」

 ラーマクリシュナがよく歌うこの歌がラトゥは大好きで、自分でもよく歌っていました。

 あるときラーマクリシュナはラトゥに言いました。
「他に何がしたいのかね? これ(師の身の回りのお世話をすること)自体が、お前に完成をもたらしてくれるのだよ。」

 ラーマクリシュナとラトゥは、非常に近しい関係にありました。時にはラトゥは、ラーマクリシュナが十分に食事をとっていないからといって、まるで幼子をしかるように師をしかりつけました。あるいは子供を気遣う母親のように師のそばに座り、なだめすかしながら、もうちょっと、あともうちょっと、と食べさせるのでした。
 師がサマーディに入っているときには邪魔が入らないようにし、師が眠っているときには見張りをしました。

 また、ラトゥは、ラーマクリシュナの弟子の中で、ラーマクリシュナの妻であるサーラダー・デーヴィーと親しく交流があった数少ない人物の一人でした。サーラダー・デーヴィーは控えめで謙虚で恥ずかしがりやな性格だったので、男の弟子たちとはほとんど顔を合わせることもなかったのです。
 あるときラトゥが瞑想していると、ラーマクリシュナはそれを中断させて、言いました。
「お前はここに座っているが、ナハバトにいる彼女には、チャパティの生地をこねる者がいないのだ。」
 そう言うと、ラーマクリシュナは、ラトゥをサーラダーのところへ連れて行って、言いました。
「この少年は非常に純真である。君が必要とすることは何なりと手伝ってくれるだろう。」
 ラトゥはとりわけ無邪気なたちで、年少でもあったので、サーラダー・デーヴィーは非常に彼に打ち解けていました。彼女はラトゥを自分の息子のように思っており、ラトゥもサーラダー・デーヴィーを、師に匹敵するくらいに尊敬していました。

 
 1885年、ラーマクリシュナは咽頭癌を患い、弟子たちは師を、治療のためにシャンプクルという場所に移し、後にコシポルのガーデンハウスに移しました。
 若い弟子たちはつきっきりで師の看病と身の回りのお世話をしました。もちろんラトゥもその一人でした。
 師が徐々に衰弱していき、トイレに行くのも困難になったとき、ラトゥは師に向かって、真剣な顔で言いました。
「師よ、私がおります。あなたの掃除人です。私が何もかもお世話いたします。」

 病の痛みが激しさを増したとき、ラーマクリシュナは笑ってこう言いました。
「肉体と痛みとは仲良くさせておけ。私の心よ、お前は常に至福であれ!」

 そして1886年8月16日、ついにラーマクリシュナはマハーサマーディに入り、肉体を捨てられたのでした。
(5)

 ラーマクリシュナが死んで後、彼の若い弟子たちの多くは、俗世を捨て、出家修行者となりました。ラトゥもまた、正式に出家の誓いを立てたのでした。
 このとき、彼らのリーダー的存在だったナレーンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は、ラトゥに「アドブターナンダ」という出家者名を与えました。これは、「すばらしい、驚くべき歓喜」というような意味です。
 前述のように、ナレーンドラのように優秀な学生も多かったラーマクリシュナの弟子たちの中で、ラトゥは、ラーマクリシュナ以上に全くの無学の少年でした。しかしこの無学の少年が、どんな学者もかなわないような多くの智慧を語る聖者となったのです。よってラトゥは、「ラーマクリシュナが見せた最大の奇跡」とも言われていました。そこでナレーンドラは、その奇跡、そしてラトゥの驚くほどの純粋性や智慧に敬意を表して、「アドブターナンダ(すばらしい、驚くべき歓喜)」という名を与えたのでした。

 ラーマクリシュナが亡くなって間もないころ、出家した弟子たちは「バラナゴル僧院」と呼ばれたボロ屋に住み、修行に励んでいました。
 
 このころのバラナゴル僧院の風景について、後にアドブターナンダ自身が、次のように語っています。

「そのころ、私たちは互いに心から愛し合っていたので、たまに誰かが誰かに対して怒っても、長続きはしませんでした。いつも、私たちの会話の話題は、師の卓越した愛のことになりました。
 誰かが、『彼は私を一番愛しておられた』と言うと、別の者がすぐに反論して言うのです、『いや、彼は私を一番愛しておられた。』
 ある日、そのような議論の最中に、私は彼らに言いました、『師は、財産を一切お残しにならなかったのに、それでも君たちの口論は果てしがないようだ。もし、彼が少しでも財産を残しておられたなら、君たちは訴訟を起こしていたかどうか、知れたものではない。』私の言葉に一同どっと笑いました。

 またあるとき、兄弟弟子たちの間で、白熱した議論がありました。ある在家の信者の心無い言葉を聞いて、ブラザー・シャシは非常に心を乱され、厳しい調子で言いました、『あんな信者の金なんか、棒の先でも触るわけにはいかない! のろわれている!』ブラザー・ロレン(ナレーンドラ)は、ブラザー・シャシが怒るのを見ると、いつも面白がりました。
 彼は、ブラザー・シャシに言いました、『よしわかった、では、君の師の召し上がりものは君が乞いに行け。』
 ブラザー・シャシは答えました、『いいとも、そして私は君の金にもびた一文触るものか! 私の師に差し上げるために、私は乞食をする。』
 なおも微笑みながら、ロレンは言いました、『では、乞食で得たルチ(高価な揚げパン)を彼に捧げるのだろうね。』
 ひるまず、シャシは答えました、『そうだ、私は彼にルチを捧げよう。それから、おさがりを君にやるから、後でがつがつと食いたまえ。』
 するとロレンは怒ったふりをしました。『いや、われわれに食べ物がないときに、ルチなどを師にささげさせてなるものか! そんな師は放り出してしまうべきだ。君がしないなら、私が自分で放り出そう!』
 こう言うとロレンは、はじかれたように立って祭壇に向かっていきました。シャシは英語で何か言いながら彼を追いました。
 起きたことを見て、私は間に入ろうとしました。私はロレンに言いました、『兄弟、どうしてあなたは師にルチをお供えしたいというシャシの望みに反対するのですか。彼には彼が好むようにさせ、あなたはあなたが好きなようになさい。』
 ロレンは言い返しました、『黙れ、ばかもの!』
 激しい反撃が私の口をついて出そうになりました。そのとき、ブラザー・ロレンがおなかを抱えて笑い、シャシも笑い出しました。数分後、私たちは一緒に座って、師の礼拝の準備について話し合っていました。」
(6)

 バラナゴル僧院において、アドブターナンダはしばしば食事もとらずに深い瞑想修行に没頭していました。心配した兄弟弟子たちが、アドブターナンダを通常意識に引き戻して無理やり食事をとらせるために、多くの策略をめぐらせました。

 また、アドブターナンダは夜、全く眠りませんでした。最初、アドブターナンダは眠る振りをするのですが、兄弟弟子たちが眠りについたころ、一人で起き上がって、静かに数珠を繰ってマントラを唱え始めるのでした。ある世、これに気づいたサラダーナンダは、笑って言いました。
「ああ、君は私たち皆を追い越そうとしているのだね! 私たちが寝ている間に、君は数珠を繰っている!」

 
 あるとき、多くの兄弟弟子たちが、バラナゴル僧院を離れ、タパシャー(苦行)の旅に出ようとしていました。スワーミー・トゥリヤーナンダもまた、インドの各地の修行者たちに会いたいという思いに駆り立てられ、僧院を出ることを考えていました。するとそのとき、トゥリヤーナンダの心の内側から、一つの声が聞こえてきました。
「彼ほどのサードゥをどこで見つけられるだろう?」
 トゥリヤーナンダがハッとしてあたりを見渡すと、アドブターナンダが、横たわりながら深い瞑想に入っているのが見えました。そこでトゥリヤーナンダは思いました。
「まったくだ。どこで彼のようなサードゥを見つけられるだろうか。」
 そのようにトゥリヤーナンダが考えたまさにその瞬間、アドブターナンダが言いました。
「君はどこに行くのか。ここでタパシャーに励むほうがよい。」
 こうしてトゥリヤーナンダは僧院にとどまりました。


 またあるとき、トゥリヤーナンダはある紳士と「神」について話しながら、次のようなことを言いました。
「主は、無慈悲とか不公平とかいう欠点はお持ちではない。」
 その紳士が帰った後、アドブターナンダはトゥリヤーナンダに言いました。
「君はなんという事を言ったのか! 君が主の母親のように、『彼』の弁護にまわらなければならないとでもいうのか。」
 トゥリヤーナンダは、釈明して言いました。
「『彼』は気まぐれな専制君主、ロシアのツァー(皇帝)のようなものだろうか。『彼』は優しくて慈悲深いのだ。」
 アドブターナンダは再び言いました。
「君の主を非難から救うのは結構だ! ただ、君は専制的なツァーですら『彼』に導かれているという事は認めないのか。」

 これを聞いて、トゥリヤーナンダは、
「彼はこの問題に、なんというすばらしい光を投げかけたものか!」
と思いました。このときのアドブターナンダの言葉は、トゥリヤーナンダの心に深く刻み込まれたのでした。
(7)

 あるとき、ギリシュ・ゴーシュ(ラーマクリシュナの有名な在家信者の一人)は、ある信者に言いました。
「ギーターに書いてあるような僧に会いたければ、ラトゥに会いに行きなさい。」

 その信者は、ギリシュの言わんとすることが理解できませんでした。そこでギリシュは言いました。
「あなたはギーターの第二章を読んでいないのですね。明智を持つ人の性質がそこに書かれているのです。そのような性質のすべてが、ラトゥの性格に現われていることがわかるでしょう。」

 ギーターの第二章、明智を持つ人の性質についての説明とは、以下のような内容でした。
「逆境に心を乱さず、幸福を追い求めず、恐怖を知らず、怒りを知らず、物欲を知らぬ者。私はその者を、賢者、明智の人と呼ぶ。」


 1893年、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(ロレン)は、世界宗教会議にヒンドゥー教の代表として出席するために、アメリカへと旅立ちました。
 アドブターナンダは、後にこう語りました。
「私はホーリーマザーから、ブラザー・ロレンがアメリカに旅立ったことを伺った。私は彼の様子を聞きたくてたまらなかった。
 師がお亡くなりになった後、師がブラザー・ロレンの輝かしい未来についておっしゃったことは間違っていると言う人々もいたが、私は彼らを決して信じなかった。私は彼らに面と向かって言ってやった。
『師がそう宣言なさったからには、あなた方にもいつかわかるだろう、それは言葉の端々に至るまですべて実現するだろう。いつの日か彼は私たち全員を超えるだろう。』
 そしてついに、スワミジー(ヴィヴェーカーナンダ)のアメリカでの活躍が新聞に載ったとき・・・おお、私の喜びをどうやって表すことができるだろう!」


 ギリシュ・ゴーシュはこう言いました。
「ラトゥはよく私のところに来て、アメリカでのスワミジーの華々しい活躍をことごとく聞きたがった。彼の振る舞いはまるで子供で、信頼と感激でいっぱいだった。スワミジーの講演が最良のものだとみなされたのだと教えてやると、彼は少年のように大喜びに笑って、言った。
『当たり前のことです。彼には18の力がその最高の形態で働いている、と師はおっしゃったではありませんか? それ以外になりようがありません。師の予言が間違うはずがありますか?』
 ある日、彼はあまりの喜びにわれを忘れて叫びました。
『彼に手紙を書いてください。「恐れることはありません、師があなたを見守ってくださいます」と。』
 そして別の人に彼は言いました。
『見てごらん、師が「偉大になる」と目印をお付けになった人が、隠れたままでいられるかね?』」
(8)

 1897年2月18日、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、大成功した欧米の布教の旅から、インドのカルカッタへと戻ってきました。兄弟弟子やその他多くの人々が彼の元をたずねてきましたが、その中にアドブターナンダはいませんでした。
 ヴィヴェーカーナンダは、アドブターナンダはどこかとたずね、戸外の群衆の中にいると知ると、自らアドブターナンダを探しに出かけました。

 ヴィヴェーカーナンダはアドブターナンダを見つけ出し、たずねました。
「他の者はみな来た。どうして君は来なかったの?」
 アドブターナンダは答えました。
「あなたはいまや男や女の西洋人の弟子たちを抱えている。私はあなたが私を覚えているのかどうか、いぶかったのだ。」
 ヴィヴェーカーナンダは、アドブターナンダの手を握り締めて、言いました。
「君は私の同じ昔のブラザー・ラトゥだ。そして私は君の同じ昔のブラザー・ロレンだ。」

 ヴィヴェーカーナンダはまた、カルカッタに着くとすぐ、西洋で身につけていた高価な洋服をやめて、以前と同じように、粗末な布と靴だけを身につけていました。こうしてアドブターナンダは、ヴィヴェーカーナンダと話すことで、彼が西洋で大成功して多くの弟子たちを得ても、自尊心に心が曇らされることがなく、以前と同じように自分たちを見ていること、名声も地位も彼の自分たちに対する愛を損なわなかったということを理解したのでした。


 アドブターナンダは、ラーマクリシュナの教えを守り、色欲に心がやられてしまわないように、女性に近寄ることを極力避けていました。ある日、ヴィヴェーカーナンダとアドブターナンダがハウスボートに乗っていたとき、ヴィヴェーカーナンダは面白がって、ハウスボートの主人の若い娘に、アドブターナンダにキンマ巻きを渡してくるように頼みました。アドブターナンダは、ヴィヴェーカーナンダが自分をからかっているのだと気づいていましたが、彼はこの種の悪ふざけが大嫌いだったので、娘が近づいてくると、泳げないのに、氷のように冷たい水の中に飛び込んでしまいました。ヴィヴェーカーナンダは、アドブターナンダのこのような極端な反応は予想していなかったので、ボートの主人の助けを借りて、あわててアドブターナンダを救助しました。


 またあるとき、ヴィヴェーカーナンダは、ある古い寺院を訪ね、戻ってくると、その寺院はおそらく3000年前のものだろうと言いました。
 アドブターナンダが、
「どうしてそれがわかったのか」
とたずねると、ヴィヴェーカーナンダは冗談交じりにこう答えました。
「それを君に説明することは不可能だ。もっとも、君が少しでも教育を受けていたら、やってみないでもないが。」
 それを聞いて、アドブターナンダは言いました。
「わかった! やっと君の学識の深さがわかった。あまりにも深いので、私のような愚か者に説明するために浮かび上がってくることができないのだ。」
 これを聞いて、居合わせた者たちは大笑いしました。


 またあるとき、ヴィヴェーカーナンダと同様に西洋に布教の旅に出ていたサラダーナンダが、帰国し、そのころラーマクリシュナの弟子たちの僧院として使われていたベルル村のガーデンハウスに住み始めました。
 サラダーナンダはすっかり垢抜けて、部屋や持ち物をきちんと整理していました。
 アドブターナンダはよくサラダーナンダの部屋にやってきては、本を机からベッドに移したり、インク壷を片隅に隠したり、そんなことをして、整然と整理された部屋をかき回していました。それはほとんど彼の日課になっていました。
 また、サラダーナンダのベッドのシーツは清潔で真っ白でしたが、アドブターナンダは時々、清潔なベッドの上をわざと汚れた足で歩き回り、汚れた体でごろごろと転げまわり、そのあいだ笑い通しでした。
 サラダーナンダが、
「何をしているんだ、ブラザー・ラトゥ?」
と言うと、アドブターナンダは、笑ってこう答えるのでした。
「何もしていないよ。ただ、君が私たちの前の暮らし方を覚えているか試して、君がどれだけ西洋かぶれしたかを調べているのさ。」
 これを聞いてサラダーナンダも笑いました。
(9)

 12月のある夜、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、欧米への二度目の布教旅行からインドにもどってきて、出し抜けにベルル僧院(ラーマクリシュナ・ミッションの本部)に現われました。

 そこには多くの兄弟弟子がいて、ヴィヴェーカーナンダと再開を喜び合いました。
 しかしアドブターナンダはそのとき僧院内におらず、僧院のそばの船着場に座っていました。ヴィヴェーカーナンダが帰ってきたという知らせを受けても、アドブターナンダはそこを動こうとはしませんでした。

 ヴィヴェーカーナンダは僧院で食事を終えた後、船着場にいるアドブターナンダに会いに行きました。二人は抱き合い、少し挨拶を交わした後、ヴィヴェーカーナンダは言いました。

「どうしたんだ? 君以外はみな、私に会いに来た。君は私が嫌いなの?」

「嫌いなはずがないではないか。私の心がここにいたかったのだ。だからここにいたのだ。」

「君は僧院に滞在していないと聞いた。どうやって生活しているのだ?」

「ウペーン・バーブが助けてくれたのだ。頼まないと食物がもらえないような日には、私は彼の店の近くに立っていたのだ。彼はすぐに察して、四アンナや二アンナの硬貨をくれた。」

 これを聞いて、ヴィヴェーカーナンダは天を仰いで言いました。
「おお、主よ。ウペーンに祝福を。」

 まるでこの簡素な祈りがかなえられたかのように、ウペーン・バーブはこの後、非常に裕福になりました。

 

 アドブターナンダは自分では文字が読めなかったのですが、聖典の朗読を聴くのは大好きでした。
 あるとき、一人の僧が聖典カタ・ウパニシャッドを、アドブターナンダに読んで聞かせていました。

「プルシャ、親指ほどの大きさもない、内なる自己、これは人の心の中に常に存在している。人をして彼を忍耐強く肉体から分離せしめよ。草の葉から柔らかな葉柄を分けるように。」
 
 この一節を聞いたとき、アドブターナンダは、「まさにそのとおり!」と叫びました。彼は文字は読めませんでしたが、このような聖典に説かれる境地に実際に達していたのです。
(10)

 あるときスワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、カシミール旅行のお土産として、高価なショールを買い、それをアドブターナンダにプレゼントしました。

 その翌日、アドブターナンダはそのショールを着けて、ヴィヴェーカーナンダの弟子であるシャラト・チャンドラ・チャクラヴァルティの元を訪れました。シャラトがそのショールを褒めると、アドブターナンダは言いました。

「シャラト、気に入ったか? それは良かった。
 このような高価な贈り物は、私のような出家修行者のためのものではない。
 ヴィヴェーカーナンダからの贈り物だから、私は一日だけ着けた。君が受け取ってくれると私は非常に嬉しい。」

 アドブターナンダはこう言って、ショールをシャラトに渡しました。シャラトはまごつきました。
「いいえ、これは私のグルからあなたへの贈り物ですから、私が受け取るわけにはまいりません。」

 そう言って、シャラトはショールをアドブターナンダに返しました。

 後日、この話をシャラトから聞いたヴィヴェーカーナンダは、シャラトに言いました。
「君が受け取ってくれたほうが良かった。彼はあのショールを、多分別の人にあげてしまうだろう。」



 ラーマクリシュナの在家信者であったバララーム・ボースは、ラーマクリシュナの出家弟子のために、自分の家に一部屋を用意しており、幾人かの修行者たちは、ときおりそこに滞在していました。
 バララーム・ボースは、アドブターナンダにもそこに滞在してほしいと懇願しました。アドブターナンダは、自分の生活は時間が非常に不規則なので、一家に迷惑をかけるだろうと言って、辞退しました。しかしバララーム・ボースは、聖者を家に住まわせることは、祝福にこそなれ迷惑になるはずがない、われわれはアドブターナンダの不規則な生活に合わせて都合をつけることができると言い張って、強く懇願しました。
 ついにアドブターナンダは同意し、バララーム・ボースの家に行き、結局その後9年間、その部屋に住むことになったのでした。

 バララーム・ボースの家に住むようになってからも、アドブターナンダは以前と変わらぬ厳しい修行生活を送り続けていました。部屋には、小さなベッドと、茶を沸かす囲炉裏以外、何もありませんでした。
 アドブターナンダは一日のほとんどを外ですごしていましたが、朝方と夕方のほんのちょっとの時間は、この部屋で信者たちと、神聖な事柄について語り合っていました。
(11)

 あるサンスクリット詩人は、理想の人格像を称えて、
「それは雷電のように厳しく、花のようにやさしくあらねばならない」
と書いています。
 アドブターナンダの第一印象は厳格で、ぶっきらぼうで、ときには近づきがたく感じるものでもありましたが、ひとたびその外面を通り過ぎると、その内面は柔和と優しさの権化であることを、皆知るのでした。
 彼は気まぐれではありますが実はとても気さくで付き合いやすく、子供たちでさえ、彼に会いたがり、彼の肩に登ったりして遊んでいました。
 あるとき、スワーミー・プレーマーナンダは、アドブターナンダをまだよく知らない親しい信者の一人にこう言いました。
「怖がることはない。あなたはアドブターナンダの恩寵を受けている。あれほど情け深い修行者は滅多にいない。彼と同じ空気に触れるだけでも、あなたは清められ、祝福されるだろう。」

 アドブターナンダは信者たちに、面白おかしい冗談や物語を通じて教えを与えることもあれば、厳しい叱責や沈黙を通じて教えを与えることもありました。ある日、ある信者がアドブターナンダにこう言いました。
「マハラージ、あなたのお叱りは、銃剣の形をしたチョコレートのようです。とても優しく、情愛があります。親は子供に良かれと思って叱りますが、あなたのお叱りはなお甘いのです。」


 1912年10月、アドブターナンダは、カルカッタのバララーム・ボースの家を去り、ヴァラナシへと向かいました。この後、カルカッタには二度と戻りませんでした。
 出発の直前、彼は永い間暮らしたその部屋をじっと見つめ、
「マーヤー(幻影)、マーヤー、マーヤー!」
と言うと、ラーマクリシュナに礼拝して、部屋を出ました。

 カルカッタの駅で、アドブターナンダとの別れを悲しむ一人の信者が、アドブターナンダを迎えました。アドブターナンダは彼に言いました。
「さあお前、私の出発を悲しむな。あそこに聖なるガンガーが流れている。母なるガンガーは、悲しみに沈んだ寄る辺なき魂を救ってくださる。できる限り頻繁に、ガンガーの土手に座りなさい。修行者のそばにいれば清められるという。母なるガンガーのそばにいるのも同じことだ。あそこで瞑想しなさい。祈り、マントラを唱え、数珠を繰りなさい。そうすれば、心と肉体が清められるだろう。
 不安に襲われたときは、いつもあそこに行って、静かに座りなさい。そうすれば、心が落ち着いてくるのがわかるだろう。ガンガーの波を見つめているうちに、あなたの心の波も静まるだろう。」

 
(終)

 アドブターナンダは、生涯最後の八年間を、聖地ヴァラナシで、町のあちこちに滞在しながら過ごしました。彼は毎日深い瞑想に没入していたので、睡眠時間や食事の時間などは全くの不規則でした。

 この世を去る時期が近づくにつれ、アドブターナンダは、次第に世間から身を引きつつあるように見えました。彼はだんだん少しの人としか話をしないようになり、話すときは高い世界の話しかしないのでした。
 かつてはきわめて壮健であった彼の肉体は、年齢によって、そして永年にわたる厳しい修行と、物質世界への無関心な態度によって、次第に弱くなっていきました。

 アドブターナンダの生涯の最後の年、彼の足に疱疹ができました。それをしっかり治療せずにほうっておいたため、ついには壊疽が生じました。
 ある一人の信者がそれを心配し、医者を連れてきました。その医者が傷を手術したので、症状は一時的によくなりました。
 その信者は手術後の数週間、アドブターナンダを看病しました。しかしその信者の中に一抹の自尊心があるのを見て取ったアドブターナンダは、彼に言いました。
「君は私に仕えてくれているが、それを人に自慢してはならないよ。
 人は、神、グル、そして病人に対して、大きな愛と謙遜とをもって仕えなければならないということを覚えておきなさい。」

 このころ、ヴァラナシにあるラーマクリシュナ・ミッションに滞在していた、兄弟弟子のスワーミー・トゥリヤーナンダが、しばしばアドブターナンダのもとを訪れました。しかし彼はいつもアドブターナンダと一切話を交わすことなく、ただ黙ってじっと一時間ほど座って、そして去るのでした。
 不思議に思った一人の信者が、なぜ何も会話をしないのかとトゥリヤーナンダにたずねると、彼はこう答えました。
「ラトゥ・マハラージ(アドブターナンダ)はほとんど常に深い瞑想に入っておられる。どうして私と話せるだろうか? だから私はしばしの間ただ黙って座り、彼とともにいる神聖なひとときを楽しんで、そして去るのだ。」

 あるときは、スワーミー・サラダーナンダが、カルカッタからわざわざアドブターナンダをたずねてきました。彼はアドブターナンダの足の塵を取るという最上の礼拝をした後、言いました。
「やあ、サードゥ。調子はどうかね?」

 アドブターナンダは答えました。
「肉体があるというのはわずらわしいことだ。」

 後で、ある僧が、なぜこのときサラダーナンダがアドブターナンダの足の塵を取るという最上の礼拝をしたのかとたずねました。サラダーナンダは答えました。
「ラトゥ・マハラージは私たちの誰よりも早く師のもとに来た。彼は出家弟子の中で一番の先輩なのだ。敬礼をして当然ではないか?」


 アドブターナンダは、死が近づくにつれ、次第に人間関係の束縛を断ち切っていきました。彼はしばしば、このように口にしました。
「私はこれこれの人とのマーヤーを切った。
 私は信者たちの重荷をいつもになわなければならないのだろうか? 世間から心を退かせるときには、私は彼らのことを考えない。」

 アドブターナンダは、正式には生涯一人の弟子も持ちませんでしたが、死が近づいたころのこれらの言葉から、実際は常に信者たちの重荷をにない、他者の喜びや悲しみを心の深くで分かち合っていたことがうかがえたのでした。


 
死が近づいたある日、アドブターナンダはこのように言いました。
「神と結ぶことのできる関係には三つある。
『私の神』、
『私は神』、
『私は神のもの』。
 ――このうち、最後のものが最もよろしい。なぜなら、自尊心を誘わないからだ。」


 あるとき、ついに、疱疹に再び壊疽が生じました。医師たちは数日に渡って何度も手術をしましたが、今回は不成功に終わりました。どんどん傷が悪化し、肉体が衰弱していく間も、アドブターナンダは全く、痛みを感じたり苦しむ様子は見せませんでした。そして1920年4月24日、アドブターナンダはこの世を去ったのでした。

 
 彼の死後、スワーミー・トゥリヤーナンダは言いました。
「私たちはこの償うすべのない喪失で、さびしくなりました。
 実に、私たちはラトゥ・マハラージという霊性の巨人を失ったのです。
 彼は、真に熱烈なラーマクリシュナの帰依者でした。そして彼の無学と素朴な生活は、そのための最も大きな助けとなったのです。」

 スワーミー・ブラフマーナンダは、こう言いました。
「彼の外観は粗野だが、内面は愛と優しさそのものだった。
 彼とほんの数日でもつきあえば、彼には全く自己中心的なところがないことがわかっただろう。
 前世でよほど功徳を積んでいなければ、あれほどの修行者と近づきになれるものではない。」

 アドブターナンダに心から帰依していたビハリラル・サルカルは、こう言いました。
「偉大な霊的人格と接することで、人は必ず何かを得ます。
 ラトゥ・マハラージと接する幸運に恵まれた人は誰でも、はっきりとしたものを受け取りました。彼とともにいると、高められました。
 何千もの僧の中からも、その生涯をあれほど完全に神にささげた人、放棄と純潔のあれほどの模範となる人を探すことは難しいことです。」

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