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暦 こよみコミュの記念日や祝・祭日設定の月日問題

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 今、政府が休日を地方ごとにずらそうと構想している。その理由として、経済効果をねらって、と謳っている。お金を理由に記念日や祝・祭日の根拠を犠牲にされては困るが、実のところ祝日と休日を別にするという法改正のよう…


 さて、記念日や祝祭日は必ず理由を持っている。その理由があるから、日が記念日や祝・祭日として成立するのであり、その理由を無視するならば記念日や祝・祭日などの記念や祝・祭は全く意味を失い、動かされた休日は“無意味なただの休日”となることは言うまでもない。

 記念日や祝祭日には、例えば彼岸や中秋の名月、復活祭のように月日の固定しないものがあるが、その記念日や祝祭日の理由を考えれば当然である。記念日や祝・祭日が全部月日で固定されなければならないという理由はない。場合によっては月日で固定することがかえってその記念日や祝・祭日によってはその意義を失いかねない。記念日や祝・祭日を月日で固定しようという発想はそもそも安直な観念かもしれない。とは言え、そうすることが分かりやすく便宜上良い場合はそれが良いかもしれない。但し、決して暦に完璧などありえないわけだから、その場合暦上の月日のズレの影響は免れない。例えば、キリスト教では春分をMarchの21日と固定視するが、現在の新暦(グレゴリオ暦)も約2600年で1日ずつずれていくので、このグレゴリオ暦もいずれまたいつか暦日の削除や改暦をしなければならない宿命にある。ちなみに、すでに閏年とその翌年の正確な春分はMarch20になってきている。現在の日本では、グレゴリオ暦基準主義が権威であり、グレゴリオ暦に変換した月日こそが正しいと考える風潮が強い。だが、現在の新暦(グレゴリオ暦)も長い年月の間には日が季節とずれていくのだから、グレゴリオ暦月日に変換することは決して万全ではないことは最初に確認しておきたい。

 記念日や祝・祭日には必ず理由があるので、以上のことを前提に記念日や祝・祭日を設定する理由や根拠をつき詰めて考察していけば記念日や祝・祭日を設定する場合の最も適切な月日はおのずと明白になる。つまり、記念日や祝・祭日のアイデンティティは何であるのかという問題なのだ。すると、記念日や祝・祭日が、“月日で固定されるべきもの”と“固定されるべきでないもの”、また、月日を固定される場合は“どの暦に拠るべきか”、が分類されてくるだろう。

? 例えば、一月一日に因んだ出来事を記念する場合には、改暦がどんなに行われようとも一月一日が記念されるべきだろうと思う。「建国記念日」は初代(神武)天皇の即位日を元にしているが、神武天皇の即位記念日は『日本書紀』編纂者が暦上の節目として紀元前660年の陰暦一月一日の元日と設定したのだ。だから、グレゴリオ暦に改暦しようとも、公式な神武天皇即位の記念は“元日”である公式新暦一月一日の元日だろうと思う。

? 太陽の昇る位置、沈む位置あるいは夏至や冬至など、太陽の位置に基づいて祭りを行う場合には太陽暦にもとづくべき。グレゴリオ暦も太陽暦ではあるが、天文現象に因む祭りなのであるから天文に完全に準拠している二十四節気にもとづくことが完全である。西洋では冬至祭(クリスマス)をDecember25に固定してしまっているが、日本は「お彼岸」を現代の天文学で計算された二十四節気の春分、秋分に基づいており素晴らしいと思う。

? 日本では伝統的に“ひな祭り”や“七夕”などの節供行事を行っている。表面的にはぞろ目月日の迷信に基づいた祭りのようにも見えるが、これらの伝統行事は陰暦月日の季節位置や月齢に関係している祭りであり、これらの祭りを正しく行うためには陰暦に基づかなければならない。現在の日本ではぞろ目月日の迷信だけを尊重して、節供行事を新暦上の同月日で行うことは祭りが歪み不当である。節供行事は政府が関与する国家的な公式行事ではないので、政府公用の新暦に則る必要はないのである。伝統行事は伝統暦に則ったら良いと思うのだが。暴力的に陰暦を隠滅させた明治以降の日本文化の傷か? 政府は、伝統行事・文化を保護しようと思うのならば、役所・事務・ビジネスの公用暦(グレゴリオ暦)とは別に、伝統行事を設定するための暦として伝統的な陰暦を位置付け設定し認めるべきだと思う。

?-2 近頃の記念日はむやみに語呂合わせ月日が多い。ほとんどは、ビジネス絡みか衛生・医療関係である。日を記念する由来があまりにも安易・軽率で意味の深みがないとも思うが、語呂合わせ記念日も?と同様に暦の種類に関係なく月日が固定されなければならない。

?-2 季節の天気は気象の統計によって年間の傾向が分かっている。だから、統計上晴れが多い月日とか天気がくずれやすい月日などがある。それを“特異日”という。もしこの特異日に基づいて記念日を設定したならば、その記念日はその特異日から動かすべきではないだろう。体育の日は現在ビジネス向けに10月第2月曜日だが、東京オリンピックの日を記念して以前は10月10日だった。この日がそもそも東京オリンピックに選ばれた理由はこの日が東京で統計的に晴れやすい”晴天の特異日”であったからである。だから、10月10日は気候変動などで気象統計の値に大きな変化でもない限りグレゴリオ暦10月10日が適切だと思う。

?-2 伝統的なひな祭りの日は、古くは流し雛をしたように年間でも満潮と干潮の差が大きくなる潮干狩りの適日である。地球は月の引力の影響を受けており、海の潮汐のみならず地殻も同様である。だから、大地震が起きる時の月齢には偏りがあり、そのような研究がある。大地震に季節は関係ないから、季節的な厳密さを少し大雑把に考えて同じ季節頃の同じ月齢の日をもし選ぶとすれば、大地震の記念日を陰暦で設定することに妥当性があるかもしれない。防災の日は関東大震災が起きた大正12年9月1日をもとに9月1日と制定されている。ところで、この日を旧暦に直すと文月二十一日となる。月齢が二十一頃というのは月が下弦の頃であり、月が下弦の頃に大地震が比較的多いという考察がある。防災の日は9月1日という覚えやすい月日でもちろん良いのだが、震災だけに防災を考えるには同等月齢日となる旧暦同月日がふさわしいかも、という一案である。ちなみに同じく下弦の月の頃(旧暦の二十一〜二十三日頃)には昭和19年の東南海地震や昭和23年の福井地震、平成4年の釧路沖地震、平成5年の北海道南西沖地震などがある。
 また、自然出産の場合の出産にも月齢が関係するとよく言われる。海が大潮となる満月や新月の前後に自然出産の出産は増えると言う。かく言うわたしも新月生まれである。月齢に関係して生まれた自然出産の人は誕生日は陰暦で捉えるのが妥当かもしれない。しかし、現代の産科医療では出産を日曜祝日を避けるように出産日をコントロールするから、出産曜日をコントロールされた場合の誕生日のアイデンティティは曜日と関係するかもしれない。

? ユダヤ、キリスト、イスラム社会では曜日を守ることは絶対であり、キリスト教に感化された日本も政府・ビジネス・社会において曜日は非常に尊重されている。だから、宗教やビジネスが絡んだある曜日の出来事を記念する場合には、キリストの復活祭(Easter)のようにある方法で一つの日曜日が設定されるか、○月第○曜日という具合に記念日が設定される。母を亡くしたアメリカ人女性が母の追悼式をしたことに由来するMay第2日曜日の“母の日”や、行楽にちょうどいい日として春めくMarch第2日曜日の“遊園地の日”など。

? 日を選んだ出来事の場合は、その選ばれた理由によって日のアイデンティティが生まれるが、思いがけない事件や歴史上の出来事の場合はどうなろうか? ある事件を記念する多くの場合は、たいていその月日を記念することになる。現在公用のグレゴリオ暦が制定されて以降の事件は、事件が起きた同月日で記念すればいい。
 が、現在公用の新暦に制定される以前の事件等の月日はどの暦に則るべきか? 明治改暦以前の出来事として、赤穂浪士の討ち入り日である元禄十五年十二月十四日を記念した義士祭は現在この月日だけをとって新暦12月(December)14日に行われるが、この事件の場合、雪の舞う月夜という季節と月齢の選定から?の節供同様に陰暦(旧暦)の同月日の日を取るのが妥当と思われる。たまに、日本史の事件月日もとにかくグレゴリオ暦月日に換算するのを良しと考える人がいるが、電気の無い時代の月は恰好の照明であり夜の事件などは月齢を考慮に入れるべきであるから、グレゴリオ暦換算月日よりも旧暦同月日の方が妥当なことが多いだろう。
 では、グレゴリオ暦が始まる1582年10月15日以前の事件はどうなろうか? おそらく、世界史においてグレゴリオ暦開始以前であるユリウス暦時代の年月日をグレゴリオ暦へ換算することはほとんど行われていないだろう。月日を換算しても最大10日しか違わないのだから換算することに大した意味は無いはずだ。それよりも、実際に運用され、そして記録された年月日の方がずっと意味があろう。ザビエルの鹿児島上陸日である天文十八年七月二十二日はグレゴリオ暦開始以前の出来事であり、ザビエルが使っていたはずのユリウス暦では、つまりザビエルとっては1549年8月15日である。ザビエルはきっとこの日付で鹿児島上陸を記録しただろう。なのに、1582年10月15日改暦以降はこの歴史日付が現行暦8月25日と書き換えられなければならないだろうか? そんなことはあるまい。歴史上の年月日は当時実際に運用された年月日を尊重すべきではないだろうか? だから、もし仮にザビエル上陸記念日を設定するならば新暦8月15日だろう。

参考:「1582年以前の火山噴火の日付をいかに記述するか―グレゴリオ暦かユリウス暦か?」
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/seminar/Julian.html



ところで、休日を地域によってずらす分散化という政府のアイデアをどう思いますか?
「成人の日」は1月15日、「海の日」は7月20日、「敬老の日」は9月15日、「体育の日」は10月10日にそれぞれ平日化しながらも戻そう、というのは評価できますが…。



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GWなど5地区で休日分散化 政府が提示
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100303/stt1003032354019-n1.htm (msn産経ニュース 2010.3.3 23:52)
 

 政府は3日開いた観光立国推進本部(本部長・前原誠司国土交通相)の分科会で、休日の「分散化案」を提示した。

 全国を北海道、東北、北関東▽南関東▽中部と北陸信越▽近畿▽中国と四国、九州、沖縄−の5地区に分割。ゴールデンウイークは憲法記念日、みどりの日、こどもの日をそれぞれ記念日として残したまま、南の地区から順番に土日を合わせて5連休とする。

 一方、秋の大型連休では海の日、敬老の日、体育の日を残し、その3日分の休日を土日と合わせ、北の地区から5連休をとるという内容だ。春と秋の大型連休の時期をずらすことで、観光地の混雑緩和や雇用創出を図る。

 祝日法改正も視野に政府は早ければ平成23年度からの実施を目指す考えだが、産業界には「中小企業は有給休暇を取りにくい」「製造業は受注状況によって休みを取りにくい」などとまどいの声もあり、実現には時間がかかりそうだ。
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コメント(3)

おもしろい!
ここまで展開するとは流石ですね〜

グレゴリオ暦は意外と短命なんですね(笑)
参考になりました。
全部目を通せなかったので、また後ほどちゃんと読ませていただきます。
>風月さん、
しばらく書き込みを休んでしまいましたが、
なかなか文章がまとまらなかったからなのです。
でも、うっちゃって置いたテーマをがんばってまとめてみました。
関心を持ってくださったようで嬉しいです。
■ 記念日、祝・祭日設定の思想性


 記念日、祝・祭日の設定の根拠とは一種の思想表現である。

 日本の伝統の祭事であるひな祭りの節供は三月三日、端午の節供は五月五日のように、月名の数と日の数とが奇数の同じ数で一致する日に設定される。ところが、端午の節供設定の本来は午の月の午の日であった。ここに、例えば節供の日取り設定にしても午の月の午の日という月日設定方法と、五月五日という二つの月日設定方法があることが分かる。

 さて、午というのは干支(十二支)であり、その理論の母体は陰陽五行説である。陰陽五行説とは、陰陽説と五行説という二つの理論が統合された中国の自然観または宇宙観であるが、この理論の基礎は太陽の周期的な動きによって生まれる世界の循環の法則である。その意味において陰陽五行説とは太陽に基づく世界の循環現象を説明するのもであり、干支はその循環における位相を表す符号または記号である。だから、太陽が生み出す基本的な周期として、一日や一年という周期が基本的な周期である。そして、一日という周期の中における時刻に対して、また一年という周期の中の季節に対してその各位相を干支で表すのが本来である。この干支が日の区別や年の区別にも用いられて、午の日とか午年というような配当も行われるようになったが、これはあくまで干支の発展的な応用の使用であり干支本来の意味を表すものではない。もし、日の干支や年の干支に自然や宇宙の法則に基づく根拠があるならば、12.00日あるいは12.00年という周期に自然または宇宙の周期としての根拠がなければならないことになるだろう。ただ、日や年をカウントするということが暦の一つの役割でもあるために、日や年に対する干支の配当が暦においては重視され、本来の意味を表す時刻に対する干支や季節に対する干支配当があまりにも自明であるためにこの自明すぎる干支の配当が現代においてはないがしろにされているというのが実情である。この干支において、干支が一致するということは干支の性格を強め合うということであり、循環の作用が大きく現れることを意味する。例えば、午の季節(=夏至)の午の時刻(=正午)などを想起すれば明らかだが、この時は太陽が最も高く昇る象徴的な時であり、植物にしても人間にしてもその生理が活性化するめでたい時である。
 陰陽五行説を干支(十二支)によってこのように理解すると、端午の節供を午の月の午の日に設定するということの理由も見えてくる。日の干支は日を呼び分ける日付のようなものだが、この日付が月の干支と一致する時その干支は響き合う。だからこの日を祭りの日に設定することによって人は陰陽五行説の思想を呼び覚まし干支の作用を意識することになる。つまり、端午の節供を午の月(五月)の午の日に設定するということは陰陽五行説という思想の尊重だということが言えるわけである。

 それに対して、端午の節供を五月五日に設定するということは、奇数が陽性の数であるというような、数には霊力があるという信念に基づいた一種のオカルト思想の尊重であるということが言えるわけである。

 そしていずれにしても、そのような祭日の設定によって人はそれらの思想を活用することになるわけである。

 ところで、近頃は「3月3日は耳の日」のように記念日を語呂合わせによってめっぽうに設定されている。語呂合わせとは言葉遊びであり、このような方法による記念日設定の増加は、思想の衰退、無思想化と大衆迎合(商業)主義の席巻なのではないのだろうか?

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