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チョッキンユキトシコミュのチョッキユキトシ VOL.03 ゲスト:Ill-Bosstino 前編

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チョッキンユキトシ(以下 Y):今日は、オレの長年の後輩で、昔から一緒に遊んでいる吉田コウジの店でTHA BLUE HERBのMC ILL-BOSSTINOをゲストに迎えて色々な話を聞こうと思ってね。
後、昨日FUSIONIX(※1)をオーガナイズしたTATSUも特別参加で来てるんだ。BOSSがそろそろ放浪の旅に出るから、ちょっとした壮行会の意味合いを兼ねて、ここにみんな集まって貰った。

SAPPORO LIFEイズミ(以下 I):YOSHIDA BARでBOSSがゲストって言うのは、凄く嬉しいですね!

Y:BOSSからのリクエストもあってここに決めたんだけど、コウジ(a.k.a. JERRY 'KOJI'CHESTNUTS)は、BOSSがMCを務めるTHA BLUE HERBのツアーメンバーでBOSSの親友でもあるんだ。

ILL-BOSSTINO(以下 B):一緒にFUJI ROCKも出て。

コウジ(以下 K):楽しかったね、緊張したけど。

B:いや、違うよ!俺らは大観衆を前にして完全に飲まれそうになっていたけど、コウジはなんら普段と変わらなかった。度胸が座ってるのか、コイツ、スゲーッ!って思ったよ。

一同:ハハハハハハハ!(笑)


Y:BOSS、ONOチャン、コウジ、皆付き合い長いでしょ?どの様な経緯で現在のTBHが出来上がって行ったか教えてくれる??

B:大学で札幌に出てきて3〜4年してから、TBHトラックメーカーのONOチャンとクラブで出会って。そこから徐々にTBHが始動して行くんだけど、それまでONOチャンは「GHETTO」(※2)で、俺は「CIRCUS」(※3)に遊びに行ってたんですよ。未だ、接点が無い時期でしたね。

Y:へえ〜、その頃はバイトかなんかしてたの?

B:「CENTURY 21」って所でバイトしてましたよ。トップウェイターでした(笑)。

Y:キャバクラの?スケベな客に「お客さん、タッチはご遠慮下さい。」とか言ってたの?(笑)

B:その役目は黒服チームで、俺はどちらかと言うとそれを横目で見てる感じでしたね。黒服チームとウェイターチームがあるんですよ。俺はウェイターチーム。(笑)

Y:ONOちゃんは昔「BABE RUTHビル」(※4)で店やってたよね?

B:そうですね。俺がONOちゃんと知り合った頃は、未だDJやってなかった。
俺はその頃DANCERやってて、DANCEする時にかけるTRACKをONOチャンに作って貰ったんですよ。それから、ONOちゃんが本格的にDJを始めて「GHETTO」で毎週火曜日に回す様になって、俺も「GHETTO」に通い始めて、ONOちゃんと深く付き合う様になったんですよ。

Y:BOSSは札幌出てきて、すぐに「GHETTO」行ったのかと思ってたよ。

B:いやー全然でしたね。「GHETTO」なんて最初に行った時、メチャクチャ怖かったですね(笑)。

Y:何で?ヤマが怖かったの?(笑)

B:ヤマさんも怖かった。
俺が初めて「GHETTO」に行った時にマルコメが回してて、マルコメも怖かった。あいつは超不良だったし。
イノツメも怖かったね(笑)。
TATSUやコウジ、そして他の札幌勢の皆が横で繋がっている現状を、他の街から遅れて出てきた俺が目の当たりにして、俺なりにコンプレックスがあったし、そこを克服するのに凄く時間がかかった。
今は全然だけど、TATSUとか最初は話せなかったもん。

Y:自分から心を開かなかったとか?鍵を閉めてた所なかった?

B:もちろんあった。

Y:俺の時もそうだもん。札幌出身同士だと、中学・高校の時からお互い知ってるじゃない?でも、そこに入って行けない他の田舎から出てきた者同士は、コンプレックスの意識からだと思うんだけど、その共通項で仲良くなるんだよね。

B:地元の函館にはDISCOしか無かったし、「CLUB」なんて概念がなかった。12inchレコードなんて売ってなかったし。

Y:高校の時は何を聞いてたの?

B:高校の時はラフィンノーズとか、パンクばっかり聞いてました。

K:だって「GLAY」と対バンしたんだもんね。

Y:嘘!?

B:「GLAY」も函館出身で、同い年なんですよ。「GLAY」のメンバーは函館工業、函館商業で、俺は函館北高。
彼らは当時から「BOOWYのカバーをやっている、格好良い4人組」って、凄く有名だったんですよ。高校の卒業式の日に解散ライブがあって、俺等の前が「GLAY」。最後のライブだから、女子高生がメチャクチャ来ていて、彼等が終わっても皆「辞めないでー!」とか叫んでるんですよ。次、俺等の番なのに超入っていきにくくて(笑)。
結局「GLAY」が終わってから出て行ったら客全然いなくて。ホントに誰もいなかった。皆、外で記念撮影とかしていてさ(笑)。

一同:ハハハハハ!!(大爆笑)

B:「JUDY & MARY」のYUKIとかも函館出身の同い年なんですよね。BANDの世界だったんですよ。
全然、CLUBとかじゃあ無くて。

K:でも札幌だって当時、HIP HOP自体コアな所で盛り上がっている程度だったよね?

B:いや、でも函館とは全然違ったね。
そう言えば昔さ、開君主催でパーティやったでしょ。それがONOちゃんと知り合うちょっと前だったのさ。その時の写真を見せてもらうと、今いる全然変わらないメンバーが一杯いてさ。『あ、こいつも見た事ある。こいつ「Al's」にいつもいる奴だ。』ってチェックしてた(笑)。コウジなんてTOWERにいたでしょ?俺等の中じゃ、TOWERの兄ちゃんとして、凄く有名でさ。色々な所ですげえ会ってんだけどね!知り合うのはそれからかなり後だったもんなあ。
その頃からコウジは、「遊星`S」っていう札幌のFUNK BANDのボーカルをやっていて、一緒に遊んで行くうちに音楽での繋がりが密接になってきてオレが、コウジの参加する「遊星`S」にMCで参加したり、逆に、俺らの初期の頃のアルバムや12inchに、コウジや他の「遊星`S」メンバーが参加して、相互で刺激し合い、色々な音楽的要素が広まっていった感じだった。
そうやってコウジとは長年ステージを共にしていってる。

TATSU(以下 T):あの頃遊んでたメンバーがまた強烈だったよね。
その当時あったエイトビル3Fの「HARLEM SYNDICATE」(※5)にISSOちゃんがいたり、ABU、KAZUHIRO、TATSUとかが古着屋にいてさ。仕事終わったら下のロッテリアにみんな溜まっててさあ。懐かしくて感慨深くなるけど、今の若い奴らとやってる事は大して変わらないっちゅう事だよね。
当時のロッテリアはすごかったね。携帯とか無かったからさ、約束しなくても「20時にロッテリア」で、ぞくぞく集まって来るんだよ。
で、「今日は何する?」って。

K:その頃「Al's」とか行くと、土曜はHONDAやニールが回してて、VIOLENCEなVIBESが出てたねー。

B:俺等は金曜日だったんだよね。HIP HOPチームは金曜。土曜はチーマー、ロックチームだったね。

T:毎日遊んでたね(笑)。

B:「Al's」(※6)は欠かせなかったね。夜遊びで色んな事を学んだ。
女の口説き方ひとつにはじまりさ、トラブルの回避の仕方だったり、怖え奴がいるって事とか、そうなった時にどういくかって事とか色んなことを教わったね。音楽なんて聴いちゃいなかったよ(笑)。
身体で夜遊び術っていうか、渡世術っていうのを覚えたっちゅうか。そうでもしないと遊んで行けなかったしね。(笑)

Y:気に入った娘が今トイレに入ったとかチェックしないとさ、もう会う事無いんだから。携帯なんてないからドキドキ感が違うよ!次、逢えるかどうかわからないんだもんなあ。(笑)

B:そうそう。(笑)すげえ楽しい時代だった。携帯が無いのは大きかったよなー。
っつーか、俺今でも携帯無いけどね。でも、当時の奴等は携帯無いどころか、みんな家電も止まってたからね

T:待ち合わせなんて凄えいいかげんだったもんなー。

B:TATSUなんて家なかったじゃん!(笑)


Y:「PRECIOUS HALL」(※7)行くようになったのはいつ頃?

B:「PRECIOUS」行くようになったのは97年ですね。4〜5年「GHETTO」で遊んで行くうちに、HIP HOPを聴き尽くしてしまい、何かが自分の中でドン詰まったんですよね。英語のRAPの日本語訳をひたすら読みまくって、奴らの放つ本当にやばいリリックを読みつくしたっていうか、自分の中のRAPっていうものに対して「これ以上無いな」って所まで行っちゃったんすよ。
それで、その頃にJOE CLAUSSELLの曲を知ったのが決定的だったんですよ。CISCOで聴かせてもらって完全に打ちのめされて。それでJOE CLAUSSELLが札幌に来るって言うんで、「PRECIOUS HALL」に見に行ったんですよ。それからですね。

Y:それまでHOUSEは聞いていなかったの?

B:全く聞いてなかったですね。

I:7月末に発売したDVDのボスのインタビューの中で、HOUSEを聞いて踊るという喜びを知ったことが、自分自身の新境地を見い出すきっかけになったと語っていたけど、それ程に奥深い何かを感じたんだ?

B:RAPのリリックって、もの凄い深くてレベル高いんだけど、どこまでいっても共有出来ない何かがある。「俺はBRONXのGHETTOから出てきて、ガキの頃からクラックさばいてて、そこからのし上がるためにRAPしているんだぜ。」的なものを客観的に聞いて、すごく格好良いなって思うんだけど、奴らとは決定的に違う生活環境が「俺は別にそこまでワルじゃあねえし」みたいなズレを生じさせて、「俺、ワルぶってるだけなの?」みたいな考えにどんどんなっていってしまった。
逆にハウスやダンスミュージックは、もっとシンプルで分かり易いというか、それまでは「愛」なんていうものを他人と分かち合えるとは思ってもみなかったし、「愛」なんてナヨナヨした奴しか口に出来ねえもんだと思っていたんだけど、ハウスやダンスミュージックの持つ繊細なバイブは、個人個人が持つ本能の部分に隠された普遍で全体的な深い何かとちゃんとリンクするんだよね。感じ方の違いは個人差としてあると思うけど。
オレにとって意外だったのは、ハウスのDANCER達はみんなそれを普通に分かち合ってるって事なんだよね。
俺はそれまで、ぶっちゃけ「オカマの音楽」って思ってたんだけど、実はヒップホッパーよりゲイ達の方がすげえマイノリティなんじゃねえかと思い始めて。あいつ等の方が少数精鋭で、あいつ等の方がもっとシビアな所で生きてて...。なのに世の中に悪たれないっていうか、そのフィーリングってすごい懐深いなっていうか、すげえ感動したんだよね。

Y:批判する方じゃあ無くてね。

T:批判する方じゃなくて、受け入れる方っていうか、批判するPUNKのフィーリングも凄く好きなんだけど、音を作るところでメチャメチャ確信的じゃん?確かに4つ打ちから抜けられないけれども、でもやっぱりすげえUNDER GROUNDでさあ、音数も少ないのにDOPEな音がたくさんあるし…。

I:少ない音数で感情をあそこまで表現するっていうね。

B:あれってすごい高度だね…。

Y:10年前にNY・BROOKLINに行った時に、勝手な想像でHIP HOPしかかかってないと思ったら全然違ったもん。映画の見過ぎだった。知らない所で降りてみようと思って、怖いながらもヤバイ地区に足を踏み入れたら、HOUSEも流れてるんだよ。

I:BOSSもNYに行ってるよね?

B:うん、当時一人で2回行った。その頃、俺はまだHIP HOPバリバリハマッてたから、「LOFT」(※8)のチケットをそこら辺歩いている日本人から貰ったんだけど行かなかった。
その頃はまだ全然視野が狭かった。RAP STARを追いかける事に夢中だった。それはそれでエキサイティングだったけど。

Y:でも、それは回り道だと思ってないからからいいんじゃない?1つを極めて、更にまた広がったんだからさ。

B:そうっすね。あとHIP HOPって若い文化で、第一線で活躍している人達って皆若いんですよ。
例えばHOUSEってDAVID MANCUSOがいたり、Francois Kevorkianだったりっていうベテランな人達がいるから、「その人に人生教わる」何て事も素直に言えるんだけど、俺が21〜22の時のHIP HOPが全盛だった時にさ、活躍しているRAPPERって皆25〜26だったんだ。30歳超えた人達ってもうOLD SKOOLになっちゃって俺等の所にもう音が届かない。で、俺が27とか28になって、第一線で活躍している人達を跨いでしまう訳じゃない。そうなると「25歳のガキに言われたかねえよ!」みたいなさ、「何ガキ臭い事言ってんだよ、結局、金と女しかねえじゃん」って見切っちゃって。30歳超えてもバリバリの、KRS-Oneみたいな人達が多くなればいいんだけどさ、実際はCLUB MUSICの入門編みたくなっちゃってる気がする。そこが面白く無くなってる理由だと思う。
HOUSEの方に行くと、俺より歳下の人が一人もいないていうかさ、皆、俺より歳上の人達が音楽作ってて、しかも深い…。

Y:BOSSも、JOE CLAUSSELLの楽しそうにPLAYしている姿と、その音楽にやられたんだ?

B:やられた…。びびった…。スゲエかっけえと思った…。

Y:この前も話したんだけどさ、JOE CLAUSSELLが初来札した時さ、JOE CLAUSSELLの前に2人札幌のDJがプレイしたんだけど、単に、音のチェックにフロアに来てるんじゃなくてさ、普通に踊ってるんだよね。
その時「DJもお客さんなんだなあ、一緒なんだ。」と思ったね。回す前にお客さんの顔見てさ。あれは必要だと思うんだよね。

Y:ところでさあ、BOSS今年はどこに旅に行ってくるの?

B:来週からタイに行って、今回は時間が無いんでバスじゃなく飛行機で回る。で、次はネパール。
インドに入らないで、カトマンズだけにしようかなと思って。その次はヨーロッパに行こうと思ってます。

I:ネパールは何回か行ってるんでしょ?

B:ネパールは前回行った時に一番長く居たんだけど、一番ハマッた。
カトマンズが一番インスピレーション受けた。色んな事を考えた。しかも今、革命前夜っていうかさ、ゲリラの活動が活発化してて、何かが変わる寸前って感じで、そこに自分の身を置きたいっていうか。

Y:チャレンジャーだな。

T:ネパールは野良牛がいるからね(笑)。

B:ネパールでは、神聖な動物として崇められているから、あいつら、めちゃめちゃ幅効かしてるよね。(笑)

Y:去年は、ツアーで全国回ってたけど、どうだった?殺人スケジュールだったでしょ?

B:いやあ、「BRAHMAN」ってバンドと1回一緒になったんだけど、彼等は俺等の5倍だったね。3ヶ月に渡って…ありえねえ…。KRUSHさんのヨーロッパツアーの日程とか見るとさ、俺等、全然マイペースで楽な方。すげえ奴はホントすげえと思った。
昔、KRUSHさんがPRECIOUSでプレイした時に俺、初めてPRECIOUSでLIVEやったんだよね。あの時はやる前、すごいビビったね。本田君に「ここは絶対やらなきゃダメだ」って言われてさ、それでやったんだけど、今思えばやって良かった。
やる前は、KRUSHさんとのステージという事で、相当びびってたけどね。

I:実際やってみてどうだった?

B:実際やったから、あの時にKRUSHさんが次の曲誘ってくれて、実際に俺等もドーンと行ったからベストチョイスだったね。
今、札幌もそうだし、全国的にも若くて良いラッパーがたくさんいてさ。
一度、シスコの本田君と俺等で、そういう奴等をどう対応して行くかって話したんだ。勿論、そいつらは自分の才能を武器に、日々チャンスとタイミングを狙ってる訳じゃない?まだ、そいつらには美味しい所を渡さないで、全部俺等で独占して、俺等の時代のままずっと行こうっていう、強い基本概念は変わらないんだけど、あの時にKRUSHさんが俺等の事を認めてくれた気持ちって言うのをさ、俺らがKRUSHさんから受け取った様に、俺らから、更に若い才能に向けて伝えていく必要があると思うんだよね。
そうやって俺等も来てる以上、当然の必然性として。その辺はKRUSHさんに教えてもらった事でさ、「若い奴でもすげえ奴はすごい」っていう、事実を認める勇気っていうかさ。
KRUSHさんとはそんなに遊んだ事も無いけど、彼から教えてもらった大切な事っていうのは、そういう事なんだよね。

Y:ツアーのスケジュールって本田が決めているの?

B:いえ、俺が全部決めてます。初めて行く土地ってもう少なくなってきてるんですけど、実際には、現地に行って、リハやって、本チャンやって終わって飯食って帰る迄の12時間位しか1つの土地にいないんですよ。本当にその街のシーンとか見れているかって言ったら、そうでもないんですけど。
でも、何回も行った所は、面子もだんだんわかってきて楽しいですね。京都とか大阪とか…。

Y:結構知り合いも出来た?

B:そうっすね。京都なんてもう「第2の故郷」入ってますね。あいつ等もかなりジモティのりで迎えてくれますね。

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※1 FUSIONIX
8月6日に札幌国際スキー場にて開催された本格的野外ダンスイベント。
SAPPORO LIFE FUSIONIX TOPICSページ

※2 GHETTO
今年でオープン15周年を迎えた札幌のアンダーグラウンド・クラブ。
札幌HIP HOPシーンを支える重鎮。
SAPPORO LIFE GHETTO 加盟店ページ
http://www.sapporolife.com/shopdetail.asp?id=570

※3 CIRCUS
1990年代中頃迄ススキノに存在したR&B中心のクラブ。六本木、横浜サーカスの姉妹店。

※4 BABE RUTHビル
札幌シスコの隣に位置したファッションビル。当時は同名のロック系アメカジショップや「DJ ONO」のアクセサリー屋が入居していた。現在「BABU RUTH」は南3条西7丁目に移転。


※5 HARLEM SYNDICATE
現在のアルシュビルの前身がエイトビル。3階が小規模テナントを集めたHARLEM SYNDICATEというファッションフロアーで、数多くの古着屋や横ノリ系のSHOPが存在した。

※6 AL`S BAR
80年代後半〜90年代初頭まで存在したDJスタイルバー。
札幌の歴代DJも多数プレイし、一時代を築く。ここで、数々のカルチャーが発生した。

※7 PRECIOUS HALL
言わずと知れた世界的に有名なアンダーグラウンド・クラブ。
日々、ハイクオリティーなサウンドを追求するその真摯なスタイルは、海外のTOP DJ達からも最大級の評価を受け、PRECIOUS HALLでプレイをする事が、一種のステイタスとされる程である。世界の音楽シーンと強力にリンクする札幌PRECIOUS HALLも、今年でオープン13年目に突入。
PRECIOUS HALL OFFICIAL HP
http://www.precioushall.com/first.html

※8 LOFT
60年代後半のNEW YORKで始動した究極のプライベート・ダンス・パーティー。
マエストロDJ・DAVID MANCUSOが繰り広げる彼独自のDJスタイルと、DAVID自身が築き上げた究極のサウンド・システムから流れ出る音楽が、THE LOFTを経験する人々の感情を劇的に変化させ、音楽に依る意識革命を引き起こす。
度重なるクローズを経ながらも、現在もその活動を続けるTHE LOFTは、ダンス・ミュージックの聖地。
LOFT OFFICIAL HP
http://www.theloftnyc.com/

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