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チョッキンユキトシコミュのチョッキユキトシ VOL.02 ゲスト:TATSU氏

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SAPPORO LIFEイズミ(以下 I):今日もヨロシクお願いします。ここのお店はチョッキン氏がかなりお気に入りの焼き鳥屋と聞いてますが?

チョッキンユキトシ(以下 Y):いやー、ここの焼き鳥は最高!誰にも教えたくないシークレットスポットなんだけど、今日はこの企画の為に意を決して紹介しちゃうから。ここはこのコーナーの活動趣旨の一つでもある「ホッピー」が飲める店だから!今日はイズミちゃんも昔から知ってると思うけど、8月に国際スキー場で「Fusionix」って野外イベントを主催するTATSUを連れてきたから。

TATSU(以下 T):ヨロシクお願いします!

Y:TATSUとも長い付き合いだよねえ〜。俺、今32歳だからな〜何年前だろうね〜?

T:イヤイヤ(笑)。俺より年下になってるじゃないですか。15〜16年前位ですね。

Y:TATSUがダイエーで古着屋やってた頃から?

T:そうですね。多分、今はもうダイエーが今の[PIVOT]の場所にあった事を知らない人も多いでしょうね。

Y:ダイエーの2Fに電化製品コーナーがあってね、よくウロチョロしてたんだけど、友達が警備のバイトしててさ、「よう!」って挨拶して、夜にその友達に「THE WALL」(※1)で会ったら「ユキトシさん、動きが怪しいから万引きしてるんじゃないかと疑われているよ!」って言われてさ。俺すごいショックだったんだよね(笑)。

T:不思議な感じでしたね。ファッションビルと違って食料品メインの量販店なのに街中にあったから、俺が2Fで古着屋やってた時は2Fだけがテナントスペースで、他の階は全部ダイエーという、休憩室とか行っても皆が制服で、僕達だけがもの凄いアメカジ。(笑)

I:TATSUが古着屋を始めたキッカケは?

T:高校卒業して、美大を目指してたんだけど、浪人して、その時に古着屋でバイトし始めたのがキッカケ。すっかり古着にはまって、アメリカに買い付けに行く様になって、それで札幌初のヴィンテージオンリーショップを立ち上げて、そこの店長やってたんだよ。3条通りのハズレにあった「柄が悪くて誰も行かない」って言われてた「STEAVE」(笑)。

Y:その頃はもうヴィンテージ古着のブームだったの?

T:全然。早過ぎました(笑)。

Y:TATSUは何でも早過ぎるんだよ!いっつも先取りし過ぎ!(笑)

I:「STEAVE」では何年位働いていたの?

T:2年位働いた。その後 「THE WALL」に拾われて働かせてもらったんだけど、ユキトシさんもいた「WALL」ファミリーとの出会いがすごく衝撃的だったんですよ。それまでは同世代で粋がってたのが8歳〜10歳も年上の全然違う格好良い事をやっている人達と出会って…

I:洗礼を受けた?(笑)

T:ホントそう、全てにおいて幅や価値観が大きく広がっていった。それまでもCLUBには行ってたし音と戯れてはいたんだけど、その出会いからどんどんディープになっていった感じ。

I:その頃は何聞いてたの?

T:そうだね、ダンスっぽい感じで、ハウス・テクノが多かったかな?でも「THE WALL」では4人組のイベント企画部みたいな所にいたから、ハウスやガラージ主体のイベントを企画したり、テクノやHIP HOPの企画もやればレゲエのイベントもやったりと、当時から音は何でも幅広く聞いていたかな。

I:その後、「RED HOT」(※2)で働いたんだよね?

T:「THE WALL」が幕を閉じて、タイショウが「RED HOT」を立ち上げて、引き続き企画部4人組として働かせて貰った。その4人組が、今は「カレー食堂 心」のオーナー開君、レゲエDJの中野君、今はパパのさだらん、俺の4人。

I:その4人で「THE WALL」でのパーティを企画していったんでしょ?

Y:イベントの企画とは別にさあ、個人的には何故「TRANCE」を好きになったの?

T:キッカケはインドヒロさんですね。

Y:俺はTRANCEって最初、インドヒロが旅から帰ってきてね、「こういう音楽があるんだよ」って聴いたのが最初なんだ、それまでは「TRANCE」って言葉は聞いてたけど、どういうものが具体的に「TRANCE」なのか理解していなかった。今でこそ一般的なものとして認識されているけど、最初はアングラなものだったよね?

T:俺等に「ゴア」トランスを伝えた、札幌のレイブシーン最重要人物インドヒロさん。88年〜90年位の当時、はヒッピーのシークレットプレイスとして密かに楽しまれていた「ゴア」に、既にヒロさんはもう行っていて、そこで定期的に開催されるパーティ会場で流れる音楽というのが、音源テープを切り貼りしたり音源をトレードして出来たその場だけでプレイされる、バイナルにすらならない音楽形態で、歴史をさかのぼってそれが今は「ゴアトランス」って言われているけど、そんな呼び名も無くて、単に、「パーティミュージック」みたいな呼ばれていた、インドヒロさんがカセットや DATでその音源を持ち帰って来て「THE WALL」でそれをプレイし始めたのが最初。

Y:あの時は「TRANCE」っていうのが、ここまで広まるとは思わなかったなあ。

Y:じゃあ音楽がきっかけでインドに行ったの?

T:インド行ったりトラベルっていうのに興味を持ち出したのは、インドヒロさんや音楽の影響なんだけど、タイミングは「RED HOT」の閉店。大好きな「WALL」ファミリーと仕事が出来なって、全てが終わり、1つの幕が下りてしまった様な空虚感で何をすべきか路頭に迷ってしまったけど、逆に「よし、これが俺の出発点だ!」と思い旅に出て、「ゴア」にたどり着いて、そこで受けた大きな衝撃が、更に価値観を広めていったんだと思う。CLUBという限定された箱の中での遊びからオープンエアという、月や星が出ている夜を経て、徐々に明るくなってきて太陽が昇ってくるという、地球の普遍的な出来事と一緒に音を感じて遊ぶっていうのがすごい新鮮で、更に世界中から同じ事を考えている似た様な奴等と一緒に遊ぶっていうのがすごい刺激になった。

I:けっこう長い期間行ってたよね?

T:初めて行った時は、タイ、ネパール、インドを回って約半年位いたかな?インド入る前にタイのコ・パンガンに行き、ビーチで開催されるフルムーンパーティを経験して、次にネパールに行き、カトマンズ、ポカラを回って、そこからバスを乗り継いでボンベイに下って、遂に「ゴア」にたどり着いたんだ。

Y:その後、札幌に帰ってきてレイブパーティやってたの?

T:札幌では、ヒロさん中心に郊外とかでミニレイブをやってました。東京では既にアンダーグラウンドシーンが確立されていたけど、札幌はまだまだスーパーアンダーグラウンドだった(笑)。

I:どこでやってたの?

T:南区の山の中や海!、天気良かったら「スピーカー持ってビーチ行こうぜ!」みたいな(笑)。その時は「TRANCE」って呼び方もされてない様な時代だったね。

Y:昔ヒロが「日の出に合わせて、野外レイブをやる!場所は、東橋から車の距離メーターで10Kmの所」って言うから、言われるがまま10Kmの付近でタクシーを降りて周りを探しても、全然やっている気配しなくてさ、しょうがなく戻っていったらヒロがいて「俺も場所忘れた…」って(笑)。一応、芝刈って用意はしておいたらしいんだけど、また仕切直しで、スタートすっごい遅れてさあ、それでもわざわざタクシーで来てた人とかいたよ(笑)。

T:人数の規模こそ違ったけど、その頃東京もそんな感じでした。「代々木公園で地図を配ります。」って情報はそれだけ(笑)。で、行ったら怪しい人がポツンと一人いて地図をくれるの(笑)。

Y:そんなんでわかるの?会場は代々木公園から近いの?

T:いいえ(笑)。高速2時間走って、高速おりて1時間走って、岐阜の山奥とか長野の山奥とか(笑)。

Y:辿りつけない人もいるでしょ?

T:います(笑)。それもパーティの一部みたいな感じ。行ったら7割位が外国人で、残りの3割の日本人もまた濃くて(笑)。そこであった人達と「ゴア」で再会したりしました。

I:偶然?

T:当時はパーティを追って世界中トラベルしている様な人達が沢山いて、そういう人が集まる大きなタイミングがトータルエクリプス(太陽が月に隠れて昼間でも真っ暗になる現象)に会わせたパーティで、そこに行くと、案の定、同じ様な顔ぶれが集まってて、やあ、また遭ったね!みたいな。そういう時期だった。

Y:TATSUの話は地球規模だなあー(茄子の漬物に心奪われ、相槌が適当になるチョッキン)。

T:本当は皆地球人なんだけど、日常の中で中々それを感じられなかったりするから…(TATSU氏がこれから良い話をしそう!)

Y:TATSUは宇宙人?(ナスに心奪われ続けるチョッキンがぶち壊し!)

T:いや(苦笑)地球人…

Y:へー地球人なんだー(適当)。

I:ユキトシさんこそ何人なんすか?

Y:俺?茄子!!!(この人は…)

I:TATSUがそこで得た衝撃は、かなり今の活動にも繋がる位のデカイものだった?

T:そうだね。遊びから導かれた生きる事の意義というものも少なからず理解出来たし、若い頃に皆感じる様な、理由無きムカツキみたいなものが、旅を重ねる度にどんどん薄れて行った。誰かの押し付けじゃなくルールやマナーが自然と身に付いていき、毎日あたりまえ月や星を見たり、雄大な自然の中に自分の身を置く事で、地球の自然環境とかに興味が出てきて、真剣にそれらの事を考えていくうちに、自分達は宇宙に浮かぶ星、地球に生きているんだと実感したんだ。「Fusionix」でもテーマとしているゴミ問題とか環境問題の事などは、中々人前では話す機会が無いけど、実は真剣に考えてて、皆にもっとそういうもの対して目を向けて欲しいなと思ってる。頭ごなしに説教がましい事を言われると受け入れてくれないと思うけど、「Fusionix」みたいな遊びの中で自然に感じてもらえれば、徐々に未来は変わるんじゃないかと思っているんだ。

Y:えー初耳!全然初耳!!(無理やり会話に加わるチョッキン)ただのトランス普及委員会だと思っていたよ。俺のホッピー普及委員会とはレベル違ったなあ…おみそれした!

一同:ハハハ!!(爆笑)

Y:TATSUはアフリカにも行ったんだっけ?

T:21世紀になる、ミレニアムパーティ目掛けて、2000年にサウスアフリカに行きました。インドから流れて、飛行機でドゥバイに入って、ヨハネスブルグ経由で、インドでサウスアフリカの人に、「ヨハネスブルグでは空港から一歩も出るな。ギャングだらけでピストル向けられてホールドアップで一瞬で有り金撮られるぞ」って言われてたから、ヨハネスブルグ到着後、すぐにケープタウンに行こうとしたんだけど、ドゥバイの空港でミスがあって俺の荷物が着いてない(笑)。でも飛行機はもう予約してあるから、荷物が着き次第送ってもらう話をして、手ぶらでケープタウンに入ったんだ。その時期クリスマスでね。安いゲストハウスに入ったら、対応してくれたスタッフの女の子がビックリしてた(笑)。「何であなたは手ぶらでクリスマスに現れたの?」って。

一同:ハハハハハ!!(爆笑)

T:その後、その女の子と恋をしたり(笑)、ローカルと仲良くなって過ごしてたら、気づいたら4ヶ月も…浦島太郎になった気分だったね(笑)。

I:4ヶ月も?

T:ケープタウンの人達のノリが、北海道の仲間達と凄く似てて、すぐ仲良くなれた。歳が近くて、パーティが好きで、音で繋がっている感じ。そんなローカルの奴等と知り合えたからそれだけ長く滞在出来たんだと思う。

Y:いいなあ。俺も旅した気になってきたよ!TVの旅番組より面白いわ!

T:TVはカメラマンがいて助けてくれるけど、こっちは普通に死ぬかもしれないからね。危険な目にも遭うし、死んでも誰にも気づかれないかも…っていうあまり考えたくない恐怖はあったね。ポジティブに楽しく行ってたけど、普通にそういう危険はゴロゴロしているから。

Y:その旅の緊張感があるから、レイヴにたどり着いたら尚更楽しいんだろうね。

T:うん、そうですね!それにそういったパーティで出会う人達というのが、遊びや人生の経験値の高い人達が多くて、刺激を受けたり、学んだり、何かに気づいたりする。俺にとってはパーティっていうものはすごく重要なムーヴメントで、これをいかに色んな人とシェア出来るかが自分の中の課題なんです。シェアし合い、ムーブメントを作ってこうよ!ていう単純な思いがパーティをやる上でのモチベーションになっていて、俺の一方的な思い上がりじゃなく、色んな意味で、色んなジャンルの人達との壁が溶けて、融合して、刺激しあって行くという、人間の文化的交流を生むそのキッカケが、音楽、アートカルチャー、自然で、それら全てをひっくるめたものがパーティだと思っている。1時期はユキトシさんが言っていた様に「TRANCE」っていう音楽ジャンルを広めたくてやってたけど、今はダンスミュージックの一部として捉えている。「TRANCE」っていうのは身体的・精神的な覚醒状態だと思っているから、その状態には色んな音楽でもなれるじゃないかと、どんなジャンルでも音をキッカケにダンスして、出会って、繋がる、1つになるていうコンセプトで「Fusionix」をやってます。

Y:いい話だ!TATSUはシーンの先駆けだと思う!頑張れ!

カレー食堂 心(※3)のオーナー開氏(以下H):どうもお疲れ様です!

Y:おお!お疲れ!

各自:お疲れ様です!

Y:いやあ今日はわざわざありがとうなあ。(この日、実はチョッキンの誕生日前日という事でお祝いに開氏が駆けつけてくれたのです)

〜ここでしばらく、開氏も加わり、みんなの昔話や、チョッキンの腹帯 締太郎という名の人が知り合いにいたという嘘臭い話で盛り上がる。そして「THE WALL」、「RED HOT」の企画4人組の話題に〜

T:さっきも話したけど、「AJI NATIONAL WORKS」という今では伝説の4人組がありまして、ここにいる兄貴(開氏)を筆頭にやってました。

I:開君が一番年上だったんですか?

H:そう、社長は中野。年は俺が一番上だったね。

Y:開が一番最初にやったイベントはUFO (United Future Organization)呼んだ奴か?

H:いやスカパラですね。

Y:へえースカパラかあ。

H:その後はJAZZ BROTHERS、小西さん(PIZZICATO FIVE)、JOE CLAUSSELLもやったなあ。

T:JOE CLAUSSELLは嬉しかったなあ!すごくやりがいのあったパーティだった!!

I:ちなみに何年?

H:LARRY(※4)が亡くなった次の年だから、1992年。LARRYの追悼でJOE CLAUSSELLを呼んだんだよ。

T:まだ無名で、12inch数枚しか出してない様な時だった。まだ一般的には誰も知らなかったもんなあ。

Y:初めてJOEが来札した時でターンテーブルが1台壊れて、もう片方の1台だけでプレイしてたよね。

〜一同ここから、昔話に花が咲く〜

H:その頃は貧乏してたな〜。

T:そうだね(笑)。

H:チョッキンユキトシさんにタダで切ってもらったり、知り合いに飯食わせてもらったりさ、あの頃は何でもありだったね。怖いもんなかった(笑)。

T:行けるぜ!!みたいなね(笑)。

H:それはいいから、そろそろTATSUのイベントの話してまとめよう(笑)。去年何人入ったの?

T:ゲストも含めて1,200人位。まだまだ苦労ばっかりだけど頑張ってます!

Y:野外イベントっていうのはさ、お客さんが「行く」って言う感覚じゃなくて、「参加している」って感覚になるものじゃないと続かないと思っているんだよ。TATSUはそういう思いでやってるんだろ?

T:そう!それを伝えたいです。皆でムーブメントを作りたいと思ってます!昨年の反省点や、来てくれた人の声を踏まえて、今年はより良い物にしたい!

Y:頑張れ!

一同:次行きますか!

Y:よしイズミちゃん次行くぞ!!

〜今日の宴もたけなわに終わりました…チョッキンユキトシと一行は「SOUL COP」(※5)へ。そこでケーキが振舞われ、皆でささやかにチョッキンの誕生日を祝いました。〜

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※1 「THE WALL」
80年代後半〜92年まで札幌に存在したアンダーグランド・クラブ。当時、日本一と言われたサウンド・システムと「THE WALL」ファミリーの協力の下、12inchレコードの生みの親、ウォルター・キヴォンズ、そして伝説のDJラリー・レヴァンをブッキング。彼ら二人の生前最後のプレイが、奇しくもこのTHE WALLとなった。
※2 「RED HOT」
92年から約2年間、南2条西1丁目に存在したクラブ。「THE WALL」から引き継がれた最良のサウンドシステムと音楽ジャンルを問わないコアな選曲が、当時、多くの人々魅了した。
※3「カレー食堂 心」
北15条西4丁目に位置するスープカレーの有名店。人望厚く、バイタリティー溢れる若手オーナーシェフの手により、「カレー食堂 心」は、札幌のみならず全国に展開中。
SAPPOROLIFE カレー食堂 心 加盟店ページ
http://www.sapporolife.com/shopdetail.asp?cate=3&subc=19&id=414※4 「LARRY」
ニューヨークのクラブPARADISE GARAGEで76年から86年閉店までの10年間レジデントDJを務めた、伝説のDJであり、ガラージ・サウンドの生みの親。1992年心臓麻痺により他界。
下記参照
http://www.nowonmedia.com/MAESTRO
※5「SOULCOP」
札幌のソウルミュージックの老舗、ソウルコップ。店員の方も個性的で、まさに札幌のソウルミュージックの文化を象徴するお店。
SAPPOROLIFE SOUL COP 加盟店ページ
http://www.sapporolife.com/shopdetail.asp?cate=3&subc=26&id=60

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■やき鳥 錦

札幌市中央区南3条西3丁目 第6桂和ビル1F 営業時間 17:00〜23:30 TEL 011-231-6406 定休日 日曜・祝日

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