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7つの習慣 意見交換コミュコミュの【反応的と主体的】 について

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コメント(18)

いかに当事者意識を持つか、これに限ります!
良い口ぐせはとても大切ですよね。
数年前に読んだ『自分を変える魔法の「口ぐせ」』という本に感銘を受けました。

さらに、ちょうど今日、手帳にメモした中村天風の言葉。。。

「人間が人生に生きる場合に使う言葉を選択しなきゃダメなんですよ。ひと言、ひと言に注意してもいいくらい、いくら注意してもあなた方はヒョイと気付かずに消極的なことを言ってますぜ。
とにかく習いは性でありますから、人と口をきく時でも、「まいった」「へこたれた」「助けてくれ」「困っちゃった」なんてことは言わないこと。
あくまでも自分の心というものを颯爽(さっそう)、溌剌(はつらつ)たる状態にしておくためには、今言ったような消極的な否定的な言葉はだんぜん用いないこと」

良い言葉を使った方が心身共に良いことが起こると信じます。
最近、どうも反応的になってしまいます。

原因をたどって行ったら、

人員不足で多重業務に追いまわされている

休みが数か月ない

精神的にも、肉体的にも疲れてきた

結果 いったん停止ボタンを押す事を拒絶していた

ここまで来てから気付きました。
精神的に「ゆとり」がないと
考える事に時間を掛けたくなくなり
ついつい反応的に対応してしまう自分がいました。
そして、余計にイライラする・・・・。

まさに悪循環!

脱却のために、仕事に追いまわされても
休みはしっかりと取るようにしました。
>プレナーさん

「反応的な場合も自分で意思決定している」っていうことを知った時、僕の中でパラダイムシフトが起こりました。

オーラ、波長・・・こういうことってありますよね。
周りにも良い影響を自然に与えられるオーラを身にまといたいものです。
言葉についてですが…
リコーの会長の方(御名前は忘れてしまいました。。)は
「暑い」「寒い」「忙しい」「疲れた」などの
言葉を30年以上使っていないそうです。

使う言葉によっては反応的にも主体的にもなりそうで。
僕も言葉には気をつけたいと思っています^^
ふくみみさん良い話をありがとう。言葉って大事ですね。
これをきっかけに使う言葉をもっと考えて過ごします。
>ふくみみさん

使う言葉って本当に大事ですよね。
無意識のうちに脳に刺激を与えてしまうんだそうです。
たけけさん
参考になりましたら幸いです^^

CJさん
無意識や潜在意識にはすごく興味があります。
最近、神経言語プログラミングを習い始めたのですが、
「無意識のうちに脳に刺激を与えてしまう」ことと通じるところがあるようです。

プレナーさん
私も消極的な言葉は使わないよう心がけています^^
「疲れた」とか「無理だ」とか、最近口には出しませんが、
心の中では、つい使ってしまいます^^;
【反応的】・・これは私の大きな課題のひとつです。

99年に買った「7つの習慣」を何度も紐解き、なるほど、とうなづきながら実践してきたつもりです。
刺激と反応の間に気をつけて、口癖にも気をつけてきましたが、いつのまにか、【反応】してしまう時があるのです。相手が放ったたった一言で、過去のいやな感情が襲ってきたのです。
振り返ると疲れていました。
振り返ると「NO」と言うべき仕事を引き受けてしまっていました。
しかし、周りから「No」と言わせない雰囲気に満ちており、私は、その雰囲気に対し「No]と言えるほどのものを持ち合わせていないことがわかりました。
つまり、自制。一歩、身を引いて観察する力が不足しているのです。刺激と反応の間で自制する力が不足しているのです。

皆さん、どうすればこの力が得られると思いますか?

7つの習慣で述べられていることをすべてやっているわけではないですが、自分に対する小さな約束事は守って行ってきました。しかし、長年、私の脳に蓄積された悪習慣はそう容易に変えられるものではないことがよく分かりました。

7つの習慣に書かれていることの中、あるいは、それ以外で対処する文章、解釈があれば教えてください。
>ヒットさん

今思い浮かんだのが、「勇気と思いやりのバランス」という節でしょうか。。。
一方で「NOと言わせない雰囲気」というのもヒットさんの長所のように思えるのですが、そう感じるのは僕だけでしょうか?
「自制する力を得る」ということもあるでしょうが、
「こんなところも自分の長所」と捉えてみてはいかがでしょうか?
「YESと言う」にせよ、「NOと言う」にせよ、他者との関係も含めて自分にとって「より良い選択」をしたいですよね。
その選択の見返りは人それぞれじゃないでしょうか?
>14 CJさん
コメントありがとうございます。

>しかし、周りから「No」と言わせない雰囲気に満ちており、
は、周りが「No」と言わせない雰囲気に満ちており、
の誤りでした。

p.222の「ノーと言える喜び」
つまり、自分の中で燃えるような「イエス」を持つに至っていないということを言いたかったのです。結果的に振り回されているのです。しかし、ノーと言える明確な困難な理由を述べられるほど不十分であることに気づいたのです。

自ら進んでノーと言えるには、第三の習慣「重要事項を優先する」の前に、第一の習慣が根本的に必要だと悟っているのです。刺激と反応の間が不足しているので、自制しようにも自制ができない時が多いのが今の自分の状態だと感じているのです。

自制できない状態とは、率先できない状態だと思うのです。
最近分かったことですが、「脳が休め」そのサインを出しているからだそうです。
そう脳が警告しても、社会生活をしないと生きていけませんから、ノーと言えないで受けてしまい悪循環となってしまうのです。

たぶん、一歩下がって観れるくらいの状態を自らうまく脳や体を休めて、バランスを取らない限り、これまでの悪い習慣の無意識がそのまま出てしまうのであって、どなたでも好ましくない状態なのです。

だから、サインが出ていると感じたら、それほど体調が悪くなくても、「体調が悪い」といって休み、行動する意欲がでる好循環を自ら創り出さなければならないと思ったしだいです。

7つの習慣では、そのようなことは一切書かれていません。なぜなら、誰でも自由意志が介在できる間はあると仮定しているからです。

私は、かなり多くの人達が病的(実際に病気ではありません)なので、その間がとれなくなっているのではないかと考えているのです。この日本社会は、そのような気がします。

他者との関係も含めて自分にとってよい選択をする目標に至るには、自制できる方々が、起点を作って頂くことが大きなひとつの方向性なのではないかと期待しているしだいです。


>14 CJさん
コメントありがとうございます。

>しかし、周りから「No」と言わせない雰囲気に満ちており、
は、周りが「No」と言わせない雰囲気に満ちており、
の誤りでした。

p.222の「ノーと言える喜び」
つまり、自分の中で燃えるような「イエス」を持つに至っていないということを言いたかったのです。結果的に振り回されているのです。しかし、ノーと言える明確な困難な理由を述べられるほど不十分であることに気づいたのです。

自ら進んでノーと言えるには、第三の習慣「重要事項を優先する」の前に、第一の習慣が根本的に必要だと悟っているのです。刺激と反応の間が不足しているので、自制しようにも自制ができない時が多いのが今の自分の状態だと感じているのです。

自制できない状態とは、率先できない状態だと思うのです。
最近分かったことですが、「脳が休め」そのサインを出しているからだそうです。
そう脳が警告しても、社会生活をしないと生きていけませんから、ノーと言えないで受けてしまい悪循環となってしまうのです。

たぶん、一歩下がって観れるくらいの状態を自らうまく脳や体を休めて、バランスを取らない限り、これまでの悪い習慣の無意識がそのまま出てしまうのであって、どなたでも好ましくない状態なのです。

だから、サインが出ていると感じたら、それほど体調が悪くなくても、「体調が悪い」といって休み、行動する意欲がでる好循環を自ら創り出さなければならないと思ったしだいです。

7つの習慣では、そのようなことは一切書かれていません。なぜなら、誰でも自由意志が介在できる間はあると仮定しているからです。

私は、かなり多くの人達が病的(実際に病気ではありません)なので、その間がとれなくなっているのではないかと考えているのです。この日本社会は、そのような気がします。

他者との関係も含めて自分にとってよい選択をする目標に至るには、自制できる方々が、起点を作って頂くことが大きなひとつの方向性なのではないかと期待しているしだいです。


>ヒットさん

コメントありがとうございます。
ヒットさんのご意見やお悩みを読んで、ちょっと気になったことについて、僕なりの私見を述べますので、あくまでも参考として読んでいただければ幸いです。

>しかし、周りから「No」と言わせない雰囲気に満ちており、
は、周りが「No」と言わせない雰囲気に満ちており、
の誤りでした。

そうでしたか。う〜む、これってなかなか難しいですよね。
理想的な人間関係を築くには、自分自身だけでは完結はしないのかもしれませんね。
自分がWin−Winの関係を望んでいても、全ての個人に対して通用しないと思います。
ただ、Win−Winという良好な関係を望んでいる人から求められる自分になることは可能、という意味では「インサイド・アウト」は完結するんだと思います。

>一歩下がって観れるくらいの状態

ニュアンスによっては「Lose−Win」ということになりかねない気がするのですがいかがでしょうか?
僕の周りとも意見交換をした際、とらえ方が異なっていました。
表現の問題だと思うのですが、「一歩下がって=譲る」ではなくて、「一歩下がって=冷静かつ客観視する」という認識です。

>刺激と反応の間が不足しているので、自制しようにも自制ができない時が多いのが今の自分の状態だと感じているのです。

ヒットさんがどのような状態なのかは文脈から想像することしかできないので的外れだったらご容赦下さい<(_ _)>
第1の習慣はもちろん必要不可欠なのですが、第2の習慣「目的をもってはじめる」つまり、ミッションステートメントや人生の目的・目標といったところはいかがでしょうか?
願望が明確でないと優先順位もつけられないでしょうし、「課題、困難=成長の糧、克服するプロセス自体も喜び」というよりも「課題、困難=苦しみ」というパラダイムから逃れられないと思います。
自制は確かに必要な要素だと思いますが、自制という概念ばかりでは苦しみやストレスに直結しかねないと思っています。
「事実は一つ、考え方はいろいろ」という言葉がありますが、いかに「積極思考」に自分をコントロールできるか?そのためには原則に従った願望の明確化も必要不可欠ですよね。
それがあってはじめて「自制」に対する「ストレスコントロール」ができると考えています。
受け止め方や考え自体も「選択」できるし、「自由意思」です。
ただ、ヒットさんが必要と感じているのであれば「一時的に休む」のも含めて「自分にとって良い選択」をしていただきたいです。

僕自身もまだまだ未熟なのですが、一つの見解として参考にしていただければ幸いです。
CJ さん コメントありがとうございます。

>ただ、Win−Winという良好な関係を望んでいる人から求められる自分になることは可能、という意味では「インサイド・アウト」は完結するんだと思います。

CJさんは私の悩みや意図するところをよく斟酌してくださっている。
『Win−Winという良好な関係を望んでいる人』になるということですね。

>・・・第2の習慣「目的をもってはじめる」つまり、ミッションステートメントや人生の目的・目標といったところはいかがでしょうか?

最近、スマイルズの『自助論』を読んで、目標を持ってひたすら努力をすることが書かれています。もっと大きな夢に近い目標や目的やミッションを持つことによっって周りに左右されない気持ちを築くことができることに気づいてきました。


『願望の明確化も必要不可欠』
まったく同感ですね。何か別なものと融合して気づくことってあるものですね。
今、行っていることは、夢とか願望とか希望に繋がっている、そのためにやっているんだ、と強い意志を持つことによって、周りに左右されないで、自然と自制できるところもあるものだと実感して過ごすことができてきました。

ありがとうございました。
また、いろいろよろしくお願いしますね!

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