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哲学が好きコミュの音楽と哲学について

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勝手なイメージなんですけど、哲学を好きそうな人ってクラシックとか好んで聴いていそうな気がするんのですがどうなんですかね?
(名作ドラマ 結婚できない男 の阿部寛みたいな…)

そして哲学を愛好される方々がクラシックを聴いて何を感じ何を考えるのか、とても興味があるし、それについて語り合えるとしたら、とても意義深い事のように感じるのです。

(とは言え私自身は音楽自体、全般的に好きなのですが、別にクラシックについて詳しい訳では無かったりします。)

特に興味深く特徴的なのが、クラシックの評価基準として〈精神性の高さ〉なるものが有るようなのですが、これってなんか哲学的なテーマっぽく感じませんか?

例えば、現代を生きる我々のような凡人(リアリスト兼ニヒリスト)が、美や神聖さや宗教や神の本質には至るには、なにか導入として扱いやすい題材が必要で、たぶんクラシック音楽を深く語ることは、その題材として最適なような気がするのですが…

どうですかね?

コメント(23)

〇クラシック音楽における精神性
主に日本の音楽評論家がカラヤンなどの特定の音楽家を「精神性がない」と批判するために用いた言葉。
技術が超一流で特に貶すところがないような演奏に対して頻繁に用いられる傾向あり。
よくフルトヴェングラーのような大昔の巨匠が指揮するベートーヴェンの交響曲は精神性が高いなどといわれるが、果たして本当にそう言えるのか?
フルヴェンにしろワルターにしろクナッパーツブッシュにしろ、主に戦前に活躍した指揮者であり、生の演奏を聴いたことのある日本人はほとんどいないだろう。
大半の人間は彼らの録音しか聴いていないだろうが、当時の貧弱な録音技術から精神性の高さを聴きとることが可能なのだろうか。
ひょっとして昔の巨匠を精神性が高いといって賞賛している日本人の多くは実際には存在しない音を聴いたつもりになっているだけかもしれない。
そうなるとフルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンは精神性が高いというのは一種の宗教、あるいはオカルトといっても過言ではないかもしれない。
ん?

犬畜生がクズなのは置いといて、
ぼうやんさんは、
基本的に「クラシック限定」の話がしたいの?

現代音楽の形而上学性とか違うよね?
>>[3]

難しいですねー。がまん顔

音楽全般と哲学みたいなトピックにしてみたかったような気もするのですが、そうすると多種多様で収集がつかなくなるような気もして、クラシックの評価基準をテーマにしようかな…
なんて迷いながらも、結局問いかけとして中途半端になってしまったような気もしてます。

でもまぁ、哲学を語るような饒舌な人達が得意の話術を駆使して、なにかしら芸術(今回はクラシック)ついて言語化すること自体、たいへん興味深いし、聴くに値する学びを提供してくれそうなので、それはそれでよいのでは無いかと想っています。

それにあまりにもトピックの意図を限定してしまうと書き込みしにくいだろうし、一定の自由度は許容したほうがざっくばらんに盛り上がるのかなとも考えているので、些細なことは気にしないようにするつもりです。

それに私は、頭の固そうな哲学者達が、芸術なんていう不確定で曖昧なテーマについて語る様子を見れたなら、それはそれで嬉しい!
>>[2]

面白い考察ですね!

クラシックからは離れてしまうのですが、エリック・クラプトンってギタリストが神と崇め心酔する戦前のブルースマンの録音とか必死に聴いたりしたことありますが、古臭くて単純で原始的で聴くに耐えない音楽と感じたことがありました。
私には聴こえてこない何か(魅力)が、彼にとっては神の導きのように影響を与えている様子はまるで理解できなかったな。

そういう意味ではある種の宗教性を感じますね。音楽の中に。
>>[6]
もともと音楽と宗教は一体でした。
そして両者が切り離された現代においても人は音楽の中に無意識に「神」を求めようとする心理が働くのでしょう。
そして神は常人には理解しがたいものの方が有難みが増す傾向がある。
わかりやすいロシア音楽やイタリア・オペラよりも重厚長大で晦渋なドイツ音楽、そしてそうした「とっつきにくい音楽」をさらにとっつきにくく演奏して見せる指揮者や演奏家ほど神格化するには都合のよい存在なのでしょう。
>>[7]

では、クラシック特有の精神性の高さという評価基準は無意味なものなんですかね?
>>[8]
そういうわけでもない。
ただ、音楽に精神性を求めるならそもそも精神性とは何かということをはっきりさせておく必要はあると思う。
>>[9]

そうなんです。

そもそも〈精神性の高さ〉とは何か?

を、ハッキリさせたくてこのトピックを投稿したのです!
>>[10]
至極単純に言うならば「人を感動させる曲や演奏」ということになるのでしょうが、そもそも音楽それだけで精神性の高さを表現することができるものなのでしょうか。
純粋な音楽以外の、例えばベートーヴェンは耳が聞こえ中田などの作曲家のエピソードや、音楽が演奏された場所や、演者や聴衆の置かれた状況などにも左右される場合が多いのではないでしょうか。
例えばフルトヴェングラーが指揮したいわゆる「バイロイトの第九」は精神性の高い名盤とよく言われますが、これがもしナチスの党大会でヒトラーの総統就任を祝うための演奏だったら全く同じ曲、同じ演奏だったとしても精神性が高いという評価を受けていたでしょうか。
私は疑問に思います。
ドビュッシーのピアノ曲やショパンの雨だれなどは、感覚的クオリアを研ぎ澄ましたような曲であると仮定すると、〈精神性の高さ〉とは指向性のクオリア表現の一種なのだと推測するのは適切だろうか?

クラシックの評価として〈精神性の高さ〉を強調しようとしたシチュエーションで起こっている心理とは、感覚的よりも指向性の方が価値があると強調する意図なのではないだろうか?

(クオリアって概念は意味が有るのか無いのか良くわからないな…ボケーっとした顔)
>>[11]

>フルトヴェングラーが指揮したいわゆる「バイロイトの第九」

良い機会なので、後でYouTubeとか検索して聴いてみますぴかぴか(新しい)
長調曲より短調曲の方が、相対的に精神性の高さを感じる?

テンポの速い曲より、遅い曲の方が、相対的に精神性の高さを感じる?

協和音より、その中に不協和音があった方が、相対的に精神性の高さを感じる?

クレッシェンドより、デクレッシェンドの方が、相対的に精神性の高さを感じる?   

上昇音形より、下降音形の方が、相対的に精神性の高さを感じる?

>>[14]
>長調曲より短調曲の方が、相対的に精神性の高さを感じる?

そういう傾向はあるが、長調の曲が多いベートーヴェンやモーツァルトは精神性が高いとされるのに、チャイコフスキーの『悲愴』とかはあまり精神性が高いといわれない。

>テンポの速い曲より、遅い曲の方が、相対的に精神性の高さを感じる?

これも確かにそういう傾向はあるが、その一方でトスカニーニやムラヴィンスキーのようなテンポの速い即物的な演奏をする指揮者も精神性が高いとされたりする。

>協和音より、その中に不協和音があった方が、相対的に精神性の高さを感じる?

それは不明。ただ坂本龍一と武満徹、どちらが精神性が高いかと問われれば武満徹の方を挙げる人が多いと思う。

>クレッシェンドより、デクレッシェンドの方が、相対的に精神性の高さを感じる?   

これはあまり聞いたことがない。

>上昇音形より、下降音形の方が、相対的に精神性の高さを感じる?

これもあまり聞いたことがない。
佐村河内守のゴーストライター騒動はご存じでしょう。
耳が聞こえない作曲家が作った交響曲として異例の大フィーバーを起こし、CDも何十万枚も売れ、著名な音楽評論家が「現代のベートーヴェン」とまで呼んで絶賛した。
しかしゴーストライターが明るみに出ると佐村河内は一転世間の笑いものとなり、交響曲「HIROSHIMA」は世間から抹殺された。
だが、ゴーストライターが作曲したからという理由だけで、楽曲の価値は暴落するのか。
もしそうならば、ゴーストライターが発覚する前に交響曲「HIROSHIMA」を聴いて感動の涙まで流していた人たちは一体何に感動していたのだろうか。
>>[11]

そっか。
精神性の高さという評価基準は、単純に音楽そのもの(作品)の中に表現されるものだと思い込んでいました。
ちょっと視野が狭かったです。

想像していたよりも広範囲の多様な要素を含んだ評価基準だったんですね。

勉強になりますぴかぴか(新しい)
>>[15]

作曲家や指揮者くくりではなく、考えて頂ければ。。。
ベートーヴェンの楽曲でも色々ありますし。
個人的感想、チャイコの『悲愴』の終楽章は精神性は高いと感じています。
テンポでなく、楽曲速度(ヴィヴァーチェ・アダージョなど)ですね。




>>[2]

フルトヴェングラーの指揮するヴァイロイトの第九聴いてみました。
途中まで。
YouTubeで。
その他、マーラーやブラームスやモーツァルト等の作品の演奏なども。

>当時の貧弱な録音技術〜

って仰ってましたが、クラシックって録音の古さが気にならないですね。
会場や客やシチュエーションにも言及されていましたが、確かに演奏の中に〈空間〉を感じるのはオーケストラの特徴のような印象を受け、それがその場その時の会場や環境に影響を及ぼし、聖域を造り出すかのような神聖さを感じました。
〈精神性の高さ〉についてはまだ良くはわかりませんが、オーケストラという組織の中に漲る極度の集中力と緊張感と一体感は、純度の高い高度な精神力の現れであり、精神性というものが決して作品単体や個人的なパーソナルなものではなく、集団的で集合的なもののようにも感じられました。
(読書感想文みたいあせあせ)

やっぱり初心者には最初に誰かの解説が有った方がわかりやすいんですよね。
真面目にクラシックを聴く事ができた良い機会に感謝。
>>[18]
確かに私もチャイコの「悲愴」が精神性の低い音楽とは思いませんし、カラヤンや朝比奈隆のように著名な指揮者でチャイコフスキーを高く評価している人は大勢います。
それにチャイコフスキーはメロディーラインの美しさ、キャッチーさから女性や若者の人気が高い。
まさにそうしたわかりやすさゆえにいわゆる「クラシック通」から大衆的、通俗的な作曲家と思われているような風潮はあると思います。
>>[19]
実はバイロイトの第九の録音にはいくつかの種類があって、もっとも有名なEMI盤は実はゲネプロ、いわゆるリハーサルでの演奏を編集したものであることが最近の研究で明らかになったそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B9%9D

そうなると、今までバイロイトのの第九を聴いて感動していた人たちはリハーサルの演奏を聴いて精神が高いと感動していたことになります。
>>[20]  小生も、そんな風に思っていて、若い時はその美しいメロディーに魅かれてよく聞いていましたが、最近はさっぱりですね。

第四番交響曲の第二楽章は、なかなかいい音楽。。。

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