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mixi軍令部コミュの海軍しりとり

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他のコミュで盛り上がっているので、ネタを拝借しましたw

軍艦や艦艇だけでなく、航空機、兵器(砲塔や機銃などの名称)、人名、施設など海軍関係なら何でもOKです。

国籍、時代を問いません。未完成のものや試作段階のものでもOKですが、仮想兵器の類いはNGとします。
同じ名前が何回出てもかまわないですが、直近に登場した名称は出来るだけ避けてください。

その他、当トピの特別ルールを定めます。

1 濁音で終わるものは、濁音ありなし両方ともOKとします。
  (例)「赤城」(あかぎ)→「ぎ」or「き」

2 陸軍関係はNGです。ただし、それが海軍と密接に関係のあるものは特別にOKとします。この場合、その理由を明記してください。

3 ラ行で始まる名称は少なく、同じものが続くおそれがあるので、ラ行で終わったものは同じラ行で始まる言葉、つまり、「ラリルレロ」の中から自由に選べることとします。
  (例) イタリア戦艦「コンテ・ディ・カブール」
      →同じラ行で始まる「龍鳳」(りゅうほう)

4 「ん」で終わるものは、その1つ前の語句を採用する。
  (例) 零戦(れいせん)→せ
  (例) 雷電(らいでん)→でorて

5 「う」で終わる場合は、「う」の他に「う”」もOKとします。

6 「○○海戦」「○○沖海戦」「○○岬沖海戦」という呼称の場合、「○○」の最後の語句を採用します。「海戦」の他、「夜戦」や「航空戦」も同様にします。
  (例) マリアナ沖海戦→な
      エンガノ岬沖海戦→の
      ミッドウェー海戦→え
 
最初は、
日本海軍の誇る超弩級戦艦「大和」

→「と」

コメント(1000)

吉川 潔
明治3311月24日生まれ
海軍兵学校50期で
卒業
開戦時 駆逐艦 大潮
艦長
昭和17年 駆逐艦
夕立 艦長 昭和18年
駆逐艦 大波 艦長
セントジョージ沖海戦に参加し 戦死
最終階級は、二階級特進して少将 →し
水上偵察機「紫雲」

高速かつ急降下爆撃可能な水上偵察機として開発
その為、新基軸を沢山盛り込んだせいか事故が多かった
丙巡大淀はこの機体を運用する事を前提にしていたものの実際には使用しないまま設備は撤去

総生産数十五機

→う
原子力推進式偵察艦ССБ−33「ウラル」

満載排水量3万4640トン、全長265m幅29.9m
76ミリ砲2基、АК−630近接防空30ミリ機銃4基。

ソヴィエト連邦海軍・太平洋艦隊第36艦艇師団所属。
正式な呼称はプロジェクト1941<チターン>型、大型特務艦として通信・弾道ミサイル観測・各種情報収集任務をこなす―ハズだが極めて行動は不活発。
予備役艦として現在もロシア沿海州にひっそりと巨体を浮かべている。
→ル
仏蘭西海軍駆逐艦「ル・パルム」

ラドロア級五番艦
28年竣工、43年解体

→む
駆逐艦「汐風」

峯風級七番艦
昭和二十年二月から五月までの修理の際に回天母艦に改装
終戦後復員輸送艦に従事し、その後防波堤になる

→ぜ・せ
特殊攻撃機「晴嵐(せいらん)」
伊400型に搭載しパナマ運河破壊を計画。しかし戦局の悪化からウルシー泊地攻撃に変更。作戦に向かう途中に終戦。実戦に参加する機会に恵まれなかった。特殊な機体故に熟練工により制作された。
→ら行
仏蘭西海軍軽巡洋艦「ラ・ガリソニエール」

1931年度計画艦
フランス降伏後、ツーロンに居たが42年十一月のドイツ軍進駐に伴って自沈
その後イタリアが引き上げFR12と命名し保管していたが43年十一月及び44年八月の爆撃により沈没

→る・ら行
ラ・オーグ海戦

1692年5月29日〜30日
ラッセル率いるイングランド・オランダ同盟艦隊(110隻、うち戦艦50隻、兵員4万名)とツールヴィル率いるフランス艦隊(64隻、うち戦艦44隻、兵員2万名)の間で戦われた。

この海戦でフランス艦隊は敗北し、フランス王ルイ14世のイングランド侵攻計画は挫折した。

→ぐorく
ソ連海軍ミサイル巡洋艦「グロズニイ」

キンダ級(NATOのコード名)の一隻
1963年竣工

→い
イ168

昭和17年5月20日、それまでの「イ68」から「イ168」と改名、同年6月5日のミッドウェー・アリューシャン攻略作戦に参加した。
機動部隊が壊滅する中、イ168はイースタン島の航空基地を砲撃、さらに空母「飛龍」の攻撃により損傷し、駆逐艦に護衛された米空母「ヨークタウン」を発見。7日朝、魚雷4本を発射、3本が命中し、横付けしていた駆逐艦「マハン」は真っ二つに割れ、轟沈。「ヨークタウン」も、翌8日朝、浸水により沈没した。これは潜水艦による初の空母撃沈となった。
その後、戦局の悪化により、中部太平洋の激戦区に戦場を移したが、18年7月27日イサベル海峡を浮上航行中、米潜水艦の雷撃を受け沈没。ここに、潜水戦隊最大の士気向上を担った艦は姿を消した。

→ち
17試局地戦闘機「閃電」双胴単発単座式の高速戦闘機。実験結果により、実用化の見通しが立ったものの、19年10月開発中止
→て、で
潜水艦「丁型」
最初はガタルカナル島への補給が難航したことから離島への補給用潜水艦として
改(5)計画により
11隻建造がきまり
昭和18年2月に
第一艦が起工
2門の魚雷発射管を
持っていたが建造中廃止され
回天を搭載した
代表艦「伊361」
→た
二等巡洋艦「松島」

三景艦の一隻
明治19年度計画艦としてフランスのフォルジ・エ・シャンチェー社にて建造。明治25年四月五日竣工
明治41年四月三十日、火薬庫爆発の為爆沈

→ま
海防艦「大和」

明治20年十一月十六日竣工、明治31年三月二十一日3等海防艦に類別
大正元年に二等海防艦に類別、大正十一年四月一日に特務艦(測量艦)に類別
昭和十年除籍。浦賀にて刑務所の宿泊船として終戦まで使用

→と
駆逐艦「子日」

1904年に計画され、第20号駆逐艦として呉工廠に発注
1905年二月十五日軍艦子日と命名。八月三十日進水。十月一日竣工。
第一次大戦時は青島に出動

→ひ
「ヒ号」船団

1943年8月から、石油の還送こそが日本の生命線であるという認識が高まり、特別編成の資源輸送船団が誕生した。その中で日本(門司港)とシンガポールを結ぶ航路を「ヒ号」と呼称した。
120余組あったといわれる資源輸送船団の中で「ヒ号」はメインルートと位置づけられ、優秀船舶が割り当てられた。また、犠牲を最小限にするため、可能な限り護衛艦が配備された。

日本の出発地・門司からシンガポールに向かう船団には、奇数番号が付けられ、シンガポールから戻ってくる船団は、偶数番号で呼ばれた。

→だorた
二等巡洋艦「高砂」

イギリスのアームストロング社にて建造
明治三十一年五月十七日、竣工
主砲は同型艦の吉野より大口径の四十五口径二十糎砲を搭載
日露戦争時、笠置・千歳・吉野とともに第四戦隊を編成していたが明治三十七年十二月十三日、触雷により沈没

→ご・こ
古村啓蔵
戦艦扶桑・武蔵艦長、重巡洋艦筑摩艦長等を歴任。開戦時には八戦隊筑摩艦長として機動部隊に随伴し、真珠湾攻撃に参加。その後、機動部隊の一員として、機動部隊のあらゆる作戦に参加。ミッドウェー海戦敗退後、GF長官命令(電令作戦第163号)により北方部隊として、アリューシャン支援作戦に参加。機動部隊より遅く寄港し、大湊に到着。
南太平洋海戦は前衛部隊として進出、敵機から見て先頭を航行中の為に旗艦と勘違いされ、集中攻撃を受け、重傷を負うが戦闘指揮を継続、誘爆回避のため魚雷投棄を命令、投棄直後に一番魚雷発射管付近に爆弾命中。この英断により辛くも沈没を免れる。
菊水作戦時には、第二水雷戦隊司令として軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。矢矧沈没後に漂流し駆逐艦に救助された後、大和以下沈没艦乗組員の救助を行った。
→う
仏蘭西海軍駆逐艦「ヴォーバン」

ゲパール級四番艦
1931年竣工、42年自沈


→ば・は
仏蘭西海軍水上爆撃機「ラテコニエール298型」

1937年に正式採用
デヴァステーターより最高速が二十キロ遅いものの性能的に大差がなくアルバコアよりも高性能だったりする
戦争開始までに172機発注され、130機が完成し実戦に参加
ヴィジー・フランス、自由フランス軍だけでなくドイツ空軍も接収し沿岸哨戒任務に使用
終戦後も使用され1951年に全機が退役している

→た
標的艦「摂津」

華盛頓条約により大正十二年十月八日から武装防御甲鉄の撤去
翌年四月一日から六月末にかけて改造し標的艦兼測量艦に移籍
昭和十二年一月から七月にかけて無線操縦受信装置を搭載した爆撃標的艦に改造
昭和十四年より砲撃標的任務も可能に改造し、十五年五月に完成
昭和二十年七月二十四日、広島湾にて機動部隊の攻撃により大破
同年十一月二十日、除籍

→つ
塚原二四三(つかはら にしぞう)

1887(明治20)年4月3日福井県生まれ。
1908(明治41)年海軍兵学校卒業(36期)。
1920(大正9)年海軍大学卒業(18期)。
航海術専攻から1921年の横須賀航空隊勤務以後、航空に転向。
以後、空母赤城艦長、第2連合航空隊司令官などを経て、1938(昭和13)年第1連合航空隊司令官。在任中、漢口で中国軍機の奇襲を受け多数の幹部が戦死した中、左腕を失う重症ながら一命をとりとめる。
太平洋戦争開戦時には第11航空艦隊司令長官として、1941(昭和16)年12月10日、陸上基地航空機のみでイギリス東洋艦隊の主力である2戦艦(プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス)をマレー沖で撃沈した(マレー沖海戦)。
米軍のガダルカナル島進攻の際はラバウルに司令部を移転し、10月まで指揮をとった。
その後、航空本部長、軍令部次長、横須賀鎮守府長官などを歴任し、1945(昭和20)年5月15日井上成美とともに最後の海軍大将に任ぜられ、軍事参議官。1945(昭和20)年10月15日予備役編入。
1966(昭和41)年3月6日死去。

なお、文献には「ふしみ」と呼ぶものもあるが、ここでは「にしぞう」を採用させていただきます。

→う
仏蘭西海軍二等潜水艦「ヴェニュス」

ミネルバ級三番艦
36年竣工、42年自沈

→す
キングジョージ5世

イギリス海軍の戦艦。 キングジョージ5世級のネームシップ。
キングジョージ5世型は1936年から計画が始まり、1940〜1942年で5隻が完成した。第二次大戦当時の英国最新鋭戦艦と銘打たれている。
ワシントン条約の枠内で設計されている為に最終的に条約を無視したドイツや日本、アメリカの同年代建造戦艦に比べると明らかに大きく見劣りする物となった。

それでも「キングジョージ5世」は大西洋だくでなく太平洋戦線でも活躍した。1945年7月18日、日立の日立製作所の工場を砲撃。7月29日〜30日には浜松の日本楽器(ヤマハ)の工場を砲撃している。

同型艦にマレー沖海戦で沈没した「プリンス・オブ・ウェールズ」がある。

→い
海防艦「五百島」

日本にて建造された元中国海軍小型巡洋艦ネイハイ
昭和十二年二十二〜二十三日に空襲により揚子江江陰要塞の対岸に座礁し、後に捕獲
昭和十三年四月に浮揚し内地に回航したが放置していたが太平洋戦争末期に護衛艦艇に改造
昭和十九年六月十日、日本海軍艦籍に編入
九月二十五日、二等巡洋艦に類別予定だったが十九日に沈没

→ま
舞鶴海軍工廠

京都府舞鶴市にあった日本の海軍工廠。駆逐艦建造の多くを手がけた。現在はユニバーサル造船舞鶴事業所。
1889年(明治22年)、日本海軍は日本海側の舞鶴を全国で4番目の鎮守府として選択し、軍港として整備することを決定した。しかし舞鶴への鎮守府設置は遅れ、実際に設置されたのは12年後の1901年(明治34年)だった。
鎮守府設置と前後して置かれた「造船廠」は当初は艦艇整備ができる程度の設備だったが2年後に舞鶴海軍工廠に組織改変、徐々に設備を充実させていった。その後、舞鶴海軍工廠は駆逐艦建造の中心を担うようになった。
1923年(大正12年)、ワシントン軍縮条約の影響で一時工作部に格下げになったが、駆逐艦建造の主導的立場は変わらず1936年(昭和11年)に工廠に復帰、戦争終盤まで駆逐艦建造を続けた。
前述した通り舞鶴海軍工廠は駆逐艦建造の主導的役割を果たした。各型の1番艦を建造、2番艦以降は各地の造船所で建造する例が多かった。吹雪型、陽炎型、夕雲型、島風(2代目)、秋月型、松型のそれぞれ1番艦がここで建造されている。また駆逐艦は新開発された機関(エンジン)が試験的に導入されることが多くこの分野でも舞鶴海軍工廠が主導していた。
戦後、設備は飯野産業が引継ぎ造船業を継続、会社は飯野重工業、舞鶴重工業、日立造船と変わり現在はユニバーサル造船舞鶴事業所となる。民間造船所となった現在でも艦艇建造は続いている。

→う
仏蘭西海軍二等潜水艦「ウーリディス」

アリアーヌ級二番艦
29年竣工、44年戦没

→す
水行社

海軍の将校と相当官、候補生らの会員制の社交設備
陸軍では偕行社にあたる。

→や
ヤコブ・デジーザー
昭和17年4月18のドゥリットル東京空襲にBー25搭乗員として参加。空母ホーネットを飛び立ち、爆撃後に燃料切れの為、やむなく日本占領地に不時着し捕虜となる。獄中にて洗礼を受けクリスチャンになる。戦後日本で伝道中に淵田美津雄が彼から感銘を受け、淵田もクリスチャンとなり、協力して伝道を行った。
→さ、ざ

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