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認知療法コミュの認知療法は性善説?

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認知療法って、過敏になりすぎる自分の心を客観的にみることで、心を楽にするというものだと私は感じています。

たとえば誰かに冷たい対応をされたとか傷つくことを言われたとしても、たまたま機嫌が悪かっただけだろうと考えるとか、それで自分が全否定された訳じゃないと考えるとか。
以前の私はだいたいそういう考えができていたと思います。
しかし、自分がそうであるがゆえに、他人に対する配慮が足りなかったのでは?と最近思います。

私自身の発言には裏はなく、人を陥れようとか思ったことがないのですが、周りからそう誤解されることが結構あったと思います。
また、人の発言の裏を読むのが苦手で、結構いろんな罠にはまっていた気もします(^^;)私がバカだって言えば、それまでなんですけど。
(私のいた職場が特別かもしれませんが、被害妄想が激しい人や、人を利用しようとする人や、陥れるような人が多かったんです)


そういう人が周りに多い場合、というか、今の日本社会において、認知療法の考え方では渡っていけないのではー?と思っちゃうんですが、どうでしょう?

コメント(27)

國分康孝『カウンセリングの理論』の分類によれば、精神分析理論が性悪説、パーソンセンタードが性善説、行動理論は白紙説としています。
認知療法はリストアップされていませんが、この分類で行けば、認知の歪みは後から身につけてしまったものという意味では、行動理論と同じ白紙説になるのかも知れません。

誰かに冷たい対応をされた時の否定的な自動思考を何とかしようとするときでも、必ずしも無理に楽観的に考えることを認知療法は勧めるわけではありませんので、認知療法的に考えても、十分に世の中は渡っていけるのではないかと思いますが。

「渡る世間は鬼ばかり」と考えるのが性悪説で、「渡る世間に鬼はなし」と考えるのが性善説とすると、認知療法の考え方は「渡る世間は鬼も人もいる」でしょうから。
そういうふうに決まっているのですね。はじめて知りました。ありがとうございました<精神分析理論が性悪説、パーソンセンタードが性善説、行動理論は白紙説

なんというか、以前の私の認知はさほどゆがんでいなくて、周りの環境が悪くてもやっていけたんですよ。
今は環境はものすごくいいのですが、ちょっと抑鬱状態になって、神経質になって悲観的になっています。

認知がゆがんでるな〜と自分で思うんですが、そうなってみてはじめて、私を誤解したりもっとひどいときには濡れ衣を着せてきたりする人の気持ちがわかったというか、以前自分がどういう状況に置かれていたのかがわかったんですね。

私の人間観察が足りなかったといえばそうなんですけど、たとえ自分の認知がゆがんでなくても、周りにいる人たちの認知がゆがみまくっていたら、意味無いのでは〜と・・・(^^;)
認知療法では、自分の心の平安は保たれますが(それが一番大事だってわかってますけど)、人とうまくやっていくという意味で役に立つのかなあと。

今の日本人って、とくに若い子はそうらしいのですが、人に嫌われないように、人の機嫌を損ねないようにものすごく気を使っていますよね。

気を使うのは良いことですけど、何を言っても被害妄想で悪く受け取る人に対して、認知療法ではどういう風に接すれば良いんですか?
距離を取るとか仕事だけやればいいとか、こちらが明るく接していればそれでいいだろうという風に考えて実行していたんですが、今にして思うとそれって無駄だったなあと(^^;)
認知療法や認知行動療法の本をいくつか読まれるといいと思いますよ。

できるだけしっかりした内容の本を読めば、わかると思います。
書き方が悪かったかも知れませんね。
「そういうふうに決まっている」わけではありません。
あくまでも、折衷的な心理療法を実践している國分先生の個人的意見ですから、各理論の専門家が聞いたら異論を唱えるかも知れません。
でも、私も非常に納得できる分類法だとは思いますけどね。

まあ、まずたけしたささきさんのおっしゃるように、本を読んでみるといいのではないかと思います。

ちょっとだけ気になったことを書かせて頂くと、

>何を言っても被害妄想で悪く受け取る人に対して

というように、「普通の人」と「何を言っても悪く受け取る人」の全か無で考えるのをやめるのが、認知療法的ではないでしょうか。
「悪く受け取りがちな人」はいるでしょうけど、何を言ってもではないと思いますし、悪く受け取る度合いも、30%くらい、50%くらい、80%くらいとさまざまで、決して100%にはならないと思うのです。
今まで80%悪く受け取る人に対しては、それを70%にする方法を考えるだけでも意味がありますし、0%にしなければ意味がないと考えるのは、こちらも参ってしまいます。
>たけしたさん

本は読んでみたのですが、いまいちしっくりくるものがなく・・・
結局自分には合ってなかったということかなとも思います(^^;)
私の理解力が足りないということもあると思うのですが。

>あらすかXさん

ああ、確かにその辺全か無の考えにとらわれてますね。
悪く受け止められる度合いは90%ぐらいだったと思います。
どうにかしようとは思っていたんですけど、ことごとく裏目にでてしまいました。その辺やり方が悪かったし、私の人間観察が足りなかったんだなあとも思います。

ありがとうございました。
もう少し考えてみます。
個人的な話には踏み込みたくないので命題だけについてのコメントですけど。

>認知療法は性善説?

これ、そうじゃなくて、認知療法ではより現実的なものの見方への修正をはかっているだけだと俺は理解しています。
で、なぜそれが結構ポジティブなものに行きがちかっていうと、人間は結構ネガティブな捉え方をしちゃう生き物だから。
非現実的にネガティブに物事を見ているから、それを現実的なものへと修正していく流れだと、結果ポジティブな方向性に進んでいるように見えるっていうだけ。
逆に不自然にポジティブな見方しか出来ない人がいたとして、そのせいで生活に支障が出ていて援助を求められたら、現実を見据える過程で結果、よりネガティブめな見方も取れるよう援助するかもしれません。
へー、上のセーイチさんの言うような認知療法ってはじめて聞きました。
その、どこかで、な研究について読んでみたい気がしますです。
ただ、もしそれが完全なる事実だとすると認知療法の大本が成り立たなくなりますが。
*ついでにいうと、俺の臨床経験ではうつの人の、っていうかかなりの人の認知は否定的なものに偏りがちになるってみてますけどね。

非現実的なポジティブシンキングについては俺は反対だし、そゆことって基本的にあまり効果無いと思ってますけど、それを目指している認知心理療法家もいるのかしらん?
それはそれでそーいうひとの話を聞いてみたい気もしますです。
ちゃんと学んでトレーニング受けた認知心理療法家なのか、そこからしてまずチェックですけど☆

あ、そうそう。
現実の苦しさとか人生の辛さのについては、これまで読んできた感じだとセーイチさんの個人の思いであるし、ある種の真理でもあると思います。
でもそれは、やっぱりあくまでも個人的価値観なので、あまり重視しすぎるとギャップがでるかもしれないのでちょっと注意しておいてもいいかなーって思いました。
別にみんながみんなそう感じて生きているわけではないのでねー。
セラピストがそれを前提にセラピーをする必要も無いというか。

あ、ちなみにその研究は知りませんけど、欝の人の方が自分の能力をより妥当に認知しているっていう研究は聞いたことあります。
一般の人は自分の能力を実際以上に捉えているそうで。
って、それもなんか文化差とかありそうな研究ですけどね。
多分その研究は西洋の国で行われたに違いないって感じ。
りひさん・セーイチさん・ゆうさん、コメントありがとうございます。

上手くかけなかったのですが、私が認知療法について疑問に思ったことは、セーイチさんの仰っていることと似たような感じです。

現実というか、そのとき周りにいる人が、ネガティブに物事を捕らえる人が多かったら、自分がポジティブでもうまく配慮できないことがあったなあと。


私は人からなにか気に障ることを言われたら、それがよっぽど悪意があるわけじゃないかぎり、「まあ向こうも私のことよく知らないからな〜」とか「悪気はないんだろうなあ」とか「こんなことで腹立つなんて、過剰反応だなあ。たいしたことないじゃん」みたいに思う人間なんですよ。

だけど、最近症状は軽いのですが、抑鬱状態になってはじめて、他人の発言をネガティブに受け取りやすい人の気持ちがわかったんですね。
以前は、他人を嫌うならわかるけど、利益もないのに(なんか言葉が悪いですが)他人を陥れる人がいるというのがわからなかったんですが、抑鬱になってはじめて、あーそういう人もおんねんなーと。


まあ、ネガティブというか、嫉妬深いというのか、そういう傾向が強い人たちの気持ちがわかったからと言って、自分がそうするかっていうとしないし、自分の「悪い人なんてそんなにいないよ。ただタイミングとかいろんな巡り合わせが悪かっただけだよ」っていう考え方が間違っているとは思わないんですけど、ネガティブな方向に気持ちが傾いている今の方がきっと色々なことに注意深くなれるんだろうなあと思ったんです。

というところで、じゃあ認知療法って社会生活においては効果あるのか・・・?と疑問に思ったので、質問したのですが、そのへんの疑問は、ゆうさんが仰っていることが答えなんですね。


認知療法や行動療法の本を読んでいると、ポジティブ方面へ誘導する例題(?)が多かったので疑問に思ったのですが、その状況・その人の性格などに有効な認知を選択できるようになるというのが、認知療法ってことなんでしょうね。
ネガティブ思考が役立つ人・場合もあれば、ポジティブが役立つ人・場合もあるってことで。
認知療法的な考え方の実践によって、結果としてポジティブ思考になっていくことはあるかもしれませんが、認知療法自体はポジティブ思考を推奨していませんよね。
認知療法で認知を再構成するときのポイントが教科書的な本を見ると載っていますが、だいたい下記のような内容ではないかと思います。

1.「考え方の植え付け」ではなく「気づきのヒント」
2.「教育・指示」ではなく「質問・提案」
3.「楽観性」ではなく「柔軟性」
4.「自己暗示」ではなく「客観視」
5.「考え方の正しさ追求」ではなく「考えを変えることによる感情の変化」

5が、セーイチさんの言われる「機能的認知か」というポイントに相当するのでしょうかね。

このトピのテーマに関連するのは3かも知れませんね。
ポジティブに考えることを目指すのではなく、かといって正確さを目指すのとも若干ニュアンスが違うかも知れません。

たとえば、「黒だ!」と考えていたことでも、よく見ると真っ黒ではなかったり、場所によっては黒でないところがあったりすることに気づくことかな〜。
>BTもCBTもACTもみんな仲良く

ケンカをしているかどうかは別として、どちらを上位のジャンルとするかは見解を異にしています。


行動療法主体の分類(心理臨床学会や臨床心理士認定協会など)

 行動療法
   古典的条件付け理論
   オペラント条件付け理論
   社会学習理論
   認知行動療法理論(認知療法理論、論理療法理論など)


認知行動療法主体の分類(認知療法学会など)

  認知行動療法
    行動療法
    認知療法
    論理療法
    その他


第3世代行動療法主体(第3世代行動療法を実践している人)

  行動療法
    第1世代(古典的条件付け、オペラント条件付け、社会学習理論)
    第2世代(認知療法、論理療法など)
    第3世代(弁証法的行動療法、ACT、マインドフルネス認知療法など)


それぞれ独立して並立(論理療法学会など)

  行動療法
  論理療法
  認知療法
  認知行動療法(ストレス免疫訓練など)
えーっと、古いトピなのですが上げさせてもらいます。

私、鬱病を患っている(元)人類学者です。以前から認知療法に対して批判的な考えを持っています。

「患者の認知は歪んでいる」というあからさまな差別的発言にとても嫌悪感を覚えていました。でもこのトピを読んで、最近ではこの言い方をやめて「非機能的認知」という言い方にしているとのこと、初めて知りました。

しかし、やはりまだ問題があると思うのです。それはピュアリーさんが述べているように、「歪んだ認知」にせよ「非機能的な認知」にせよ、患者の認知を「矯正すべき対象」と位置づけていることに変わりはないという点です。

「社会を患者に開かれたものにする」という発想を、認知療法につけ加えられないものか。認知療法の手法を人類学者のフィールドノートに置き換えることはできないものか。そんなことを考えている次第です。
これもちょっと誤解を受けやすい部分だと思うのですが、認知行動療法ではスキルの取得ということを援助のゴールにしています。
すなわち、非機能的認知を変えるか、そのままにしておくかは、クライアントの選択肢に任せるのであって、治療者は変えるためのスキルを伝授するだけだというスタンスです。
認知が自分の理想実現の妨げになっている場合に、認知が可変のものであるということに気づけば、認知を変えるか、理想をあきらめるかの選択権はクライアントにあるわけです。
すなわち、認知が機能的か非機能的かを判断するのは、治療者ではなくクライアント自身だということです。


また、同じ認知であっても、TPOによって、非機能的である場合も、機能的である場合もあるでしょう。
そういった場合には、個別の状況に応じて、認知を変えるか変えないかを選択する柔軟性を身につけることも可能でしょう。

私は、クライアントにこの話を説明するときに、「あなたが育ててきた認知(信念;価値観)は生き抜くために必要だった武器です。しかし、いつも武器を全開にしていると、自分を傷つけてしまうこともあります。武器を、猫の爪のように出したり引っ込めたりできるようになる方法があるんですが、興味あります?」と説明しています。


なお、クライアントの認知と現実世界を比較した場合、クライアントの認知の方が倫理的に好ましい、ということもままあります。
この場合、合理化や否認に匹敵するようなポジティブ・シンキングを勧めて現実を容認するのは、認知行動療法のスタンスではありません。

現実を理想に近づけていく働きかけを効果的に行う上で、現実に絶望してモチベーションを失ったり、過剰な怒りからかえって逆効果になるようなヤケを起こしたりすることは、クライアントにとって自滅的ですし、現実の改善にも役立ちません。
最後の文章を書き忘れました。

効果的に現実の改善を行う助けになる認知が、クライアントにとって機能的認知ということになるかもしれません。
>あらすかXさん

丁寧なお返事ありがとうございます。

認知療法関連の書籍には「歪んだ認知を合理化する」というような言葉に溢れていたので、私たち患者は非合理な人間、つまりアホで未開な野蛮人だと言われているようで、非常に嫌な思いをしたのです。それから認知療法がフォーマット化されているのにも嫌な感じを受けていました。「非合理な患者」の画一的管理を彷彿とさせたからです。

でも認知療法の核心が「スキルの取得」ということであれば、人類学者が調査地で悪戦苦闘してる「異文化理解」とほとんど同じだという認識でよろしいと思われます。

私自身が個人的に出していた結論とほとんど同じことが、実際の認知療法で行われていることを知り、なんだかほっとしました。私は人類学的調査の経験がありますので、その経験をスキルの(再?)習得に積極的に活用していきたいと思います。

ありがとうございました。
いまさらですが、あらすかXさんのレスに心が救われる思いです。

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