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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第八十六回 JONY作 「ある撮影」(三題噺『夏』『しましま』『虹』)

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 店を片付けていた俺は、客が置いていった写真専門誌をゴミ箱に捨てようとして、手を止めた。俺は雑誌をパラパラとめくりながら、読者投稿ページの写真を見て、何年か前の夏のことを思い出していた。

 その『夏』の夜、今日はもう店を閉めようかと思っていたときに、その女性客は入ってきた。
 彼女(仮にA子としよう)は、はじめて来る客だった。こわごわとガラスのドアを開けて、中に他に客がいないと分かると、少し安心した表情になった。普通の会社員だろう。年齢は40代か。暗い『しましま』柄のワンピースを着て服装も地味なら顔も地味な女性だった。
「あ、あの、一杯飲みたいのですけど、入れますか?」
「はい。いらっしゃいませ。どうぞ」
と俺は、自分の前のカウンターの席を掌で示した。
 A子は、珍しそうに店内を見回し、遠慮がちにカウンターの椅子に浅く腰掛けた。
 俺は、聴いていたリストのピアノ曲をオスカー•ピーターソンのジャズに替えて、
「何か飲みますか?」
と優しく尋ねた。
「ええと、ライムサワーを」
ストレージの奥を探せば去年もらった黒霧島があったかもしれないと思いながら、すぐにできるウオッカリッキーで代用することにした。
「はい」
と俺は笑顔で答えて、コールドテーブルの中から小ぶりのライムを出して半分に切りロンググラスに氷を満たして半分に切ったライムを絞り、そのまま中に落とす。棚からスミノフの瓶をだしてメジャーカップでグラスに注ぎソーダで満たした。バースプーンでステアして、マドラーを添えて、彼女の前に出す。
「焼酎の替わりにウオッカで作ったんで味が気になったら言ってね。焼酎で作り直すから」
「あ、ありがとうございます。でも、美味しいです。すごく美味しいです」
 そう言いながら、グラスの半分ほども飲んだ。何か話したそうだったので
「この近くで働いているの?」
と話を振ってみた。彼女は、少し用心深そうな顔になり、
「いいえ。まさか。ゾウシキって分かります?そこで保険会社の事務をやってます」
と答えた。
「川崎市だよね。分かるよ。ザツのイロって書くんだよね。知っているよ」
「えっ知っているんですか。普通、雑色って言っても判ってもらえないんですけどね。ただ、雑色は一応大田区なんです。」
「あ、そうか。ごめん。……ええっと、ここへ寄ってくれたのは、国立劇場の帰りとか?」
「いいえ。まさか。ネットで見たんです。JONYさんですよね?その小説とかネットで読ませてもらって。本当にJONYさんって実在してるのかなって、興味本位でお店行きたくなっちゃって。ごめんなさい」
「謝ることないさ。ぼくがJONYだよ。嬉しいな。そんなふうに来てくれるなんて」
 彼女は、グラスの残りを飲み干すとお替りを頼み、二杯目のウオッカリッキーをまた半分ほども飲んでから言いにくそうに言い出した。
「あのう。タロット占いをしてくれるって本当ですか?」
「うん。本当だよ。じゃ、占おうか」
「え、いいんですか」
「もちろん」

以下は、占いながら、A子の口から聞いた彼女の人生に起きた出来事を時系列でまとめたものだ。

・小学校低学年で、友達からの一言で自分の容姿が劣っていることを知らされてコンプレックスを持つ。
・からかわれたり苛められたりするので、あまりほかの子供と遊ばなくなり漫画や小説に埋没する。
・高校生のとき母親から「大学受かったら進学前に美容整形に行く?」と言われて母もA子のことをブスと思っていたのかと傷つく。整形は顔にメスを入れるのが怖くて拒否する。
・大学時代同じサークルの男の先輩に「君は美しいスタイルしている。写真を撮らせてくれ」と言われて、二十歳の記念にその先輩の下宿の部屋でヌードを撮影する。約束では顔は撮らないことにしていたがその写真はぼんやり雰囲気の分かる顔も写った『虹』のかかったような逆光を上手く使ったもので、有名写真専門雑誌の佳作に掲載された。
・親のコネで保険会社に内勤の事務として就職。仕事をミスなく素早く処理していれば、容姿のことなど誰も気にしないことに初めて安住の地を見つけた気になる。実家の自分の部屋、市立図書館、会社の自席の三か所のみでほとんどの時間を過ごす。好きな小説が読めるその状況は気に入った。母親は結婚相談所への登録など早く結婚させようとしたが、母の気持ちは自分のようなブスは若さ以外に取り柄が無いから急げと言う意味にとって、反抗した。
・25歳のときに担当の男性美容師(仮にB男とする)と話しているうちに、偶然たまたま自分と同じ日が誕生日と知る。彼に好意を持ったので、アルマーニのシャツをバースデープレゼントとして買って渡したら、喜んでくれて、お返しに安居酒屋で奢ってもらった。これが男と二人だけで飲食したはじめての経験である。ものすごく楽しかった。
・以降、毎年、自分の誕生日でもあるB男の誕生日には数万円のプレゼントをあげ、お返しに安居酒屋を奢ってもらうことが定着した。母親が結婚をうるさく言うと「自分にも好きな人くらいいる」と答えるようになった。母親は「好きな人って誰なの?家に連れてきなさい」と言ったができるはずもなかった。
・ふたりの30歳の誕生日にはB男にロレックスの腕時計(デイトナはとても無理でオイスターだった)を、奮発してプレゼントし、安居酒屋ではなく、「ホテルの部屋で記念の写真をとって欲しい』と言って、20歳のときのヌード写真を見せた。「え、これ、君なの?」と言ってその美しさにびっくりしたB男はA子の願いを快諾した。
・B男は小さなシティホテルの部屋を取ってくれ、デジカメで写真撮影を開始した。カーテンを降ろした午後の密室で、裸体を何十枚も撮影しているうちに二人は一緒にベッドインした。A子にとって初めての経験だったが、B男は慣れていて、うまく処女を奪ってくれた。
・それからも、B男には毎年1回プレゼントをあげて、毎年1回安居酒屋で飲食する関係が続いた。以前と違うのは、安居酒屋で飲食した後にラブホテルに行くようになったことだった。
・A子、B男がともに36歳のとき、誕生日でもないのに、B男からいきなり「話があるから会いたい」という連絡がきた。

「初めてのことで、私緊張しまくって、ファミレスで会ったんですけど、コーヒーを何度も注ぎにドリンクバーに席を立っちゃったんです。私は最初彼が『付き合おう』って言ってくれるのかなと思っちゃったんですけど、よく考えたら身体の関係も月イチどころか年イチだし。だから『別れよう』って宣言されるに違いないと思って、それは耐えられないし。すごく落ち込んでいたら、彼の話というのは、『金を貸してくれ』だったんです。わたしもう気が抜けてしまってヘナヘナと座り込んでしまいました」
「で、どうしたの?」
「貸しました。帰りにセブンイレブンのATMから引き出して30万。彼との関係が無くなると覚悟してたのにつながったのだから、そのくらいなら。お金で彼が助かるんなら助けてあげようと」
俺はカウンターの上の彼女自身を指す『愚者』のカードを横目で見ながら
「お金は返ってこないと思わなくちゃいけないけど、いいの?」
と訊いた。
彼女は一瞬、沈黙したうえで、答えた。
「はい。最悪それでも。お金よりもB男さんが大事ですから」
俺は、……否。そうではなく、金を貸したことで君とB男の関係を不可逆的に変えてしまったんだけど、という言葉を飲み込んで、
「で、それから今までに、B男に渡した金の合計はいくらくらいになるの?」
と訊いた。
彼女は言いにくそうに、ロレックスサブマリーナが買えるくらいの金額を口にした。
俺は、彼女の未来を指すカードの『塔』(災害、破壊、価値観の崩壊などの意味)のカードを指さしながら、
「このカードはB男のことかと思っていたが、そうではなくて、新たに君の人生が変わることを示しているカードだね。君自身が気づいているように、B男は君にとって、もうすでに、過去の男なんだよ。B男に渡してやった金は彼へのプレゼントだと思いなよ。H3Bって聞いたことがある?」
「エイチ、3ビイ?鉛筆の濃さですか?」
彼女は首を傾げる。
「ホスト、バンドマン、バーテン、美容師のことだよ。基本まじめな女が遊び以外で近づいてはいけない男たちだよ。もう過去は今日限り、終わって、明日から新しくやり直せって意味だからね。この『塔』のカードの意味は」
彼女はそれを聞くとしばらく無言になった。
「でも、もう約束しちゃったんです。40歳の記念に写真を撮ってもらうって」
「誕生日はいつ?」
「来週です」
「そうか。じゃ、君のスマホで今、ここで撮影してあげるから、もう彼にカネや高いプレゼントを渡すのはやめなよ」
「えええっ!ここで、ですか?」
とA子は店に入ってきて以来の大声をだしたが、俺はそれに構わず、A子を置き去りにして、隣で俺が経営しているコインランドリーから洗濯物を入れるプラスチック製の籠を持ってきた。
 びっくりして棒立ちになっているA子に洗濯物の籠とスリッパを渡すと
「店を暗くしておくから洗面所で脱いで。スマホだけ持っておいで」
と指示した。
 A子は、俺の表情を真剣な目で見つめ、しばらく無言で、突っ立っていた。そのままの状態が続いた。このまま店を出て行って帰ってしまうのかなと思い始めたころ、ようやく、A子は洗面所に向かいゆっくりと歩きだした。
 俺は、門扉に鍵をかけガラスのドアの内側にカーテンを降ろした。テーブルを片付けて椅子を1つだけ残した。店内の照明を限りなく絞って暗くして蝋燭の明かりを灯した。
 中で何をしているのか不安になるくらい長い時間蝋燭の明かりだけの暗闇の中で待たされたのち、ついに、A子は肩を窄め胸を隠しながらスリッパだけの全裸になって出てきた。確かに美しい裸体だった。
「すごく、綺麗だよ」
 彼女からカメラが使える状態になったスマホを受け取る。
「後ろ姿から撮影するから、壁に向かって立ってみて」
 それからの30分間、椅子1個だけを使い、様々なポーズをつけて、俺は彼女のスマホで100枚くらいの写真を撮った。彼女は顔ではなくて身体を撮っておきたかったようだったが、俺はあえて魅力的な顔の表情をねらった。彼女が見せてくれた20歳のときの写真専門誌の佳作になった写真の顔が良かったからである。撮影が終わると、中を見ることもなく、そのままスマホを彼女に返したので、そんな良い表情がうまく撮れたのかは分からない。

 あれから、もう何年経つだろう。写真専門誌をパラパラめくりながら、ふとよぎった昔の回想から現実に立ち返り、手にしていたその写真専門誌をゴミ箱に捨てた。A子とはその1回だけしか会っていない。その後の連絡もない。俺の撮影したA子の写真は20歳のときの写真、30歳のときの写真と並べて彼女は大事に保存しているだろうか。B男とは、俺のカード占いの解釈通りに別れてくれただろうか。もう彼女の顔もはっきりとは思い出せなかったが、この店の中で見せてくれた彼女の美しい裸身は、まるでそれが昨日のことのように、はっきりと思い描くことができた。
                               (終わり)

コメント(3)

JONYさんのお店シリーズの短編、好きです。
今回もいい感じですね。
彼女のその後が気になります。
H3Bは知りませんでした。
勉強になります。
男性版のH3Bがあれば、是非教えてください。

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