半蔵門かきもの倶楽部コミュの第七十九回　JONY作「目の見えない女ほど男をそそるものはない」（テーマ選択「悲しみ（哀しみ）」）

そろそろ、店を閉めようと思っていたときに、その男はやってきた。
「まだ、いいですか」
「はい。大丈夫です。何にしますか」
　酒の棚を見渡して、
「じゃあ、マッカランをロックでダブルで。ナッツみたいなものがあればそれも」
と言った。
「キャッシュオンデリバリーで1500円頂きます」
　男は千円札を三枚だして
「え。マッカランなのに申し訳ないですね。お釣は結構ですので、マスターもお好きなものをどうぞ」
と言った。
　酒場に慣れた様子の男に、俺は酒を作りながら、
「お近くでお勤めですか」
と訊いた。
「いえ、私は名古屋の人間でして、出張で近くの○○ホテルに泊まっていまして、コインランドリーに洗濯にきたところです」
　そういう客は多い。
　俺は、男（津田と名乗った）に注文のシングルモルトのウイスキーとミックスナッツを出し、自分は運転があるので、ライムジュースのソーダ割を作った。
　しばらくして、津田は、
「あのう。今日の午後、学生時代のあこがれの人にたまたま、偶然会ったのですが、その話をさせてもらっていいでしょうか」
と切り出した。
　話はこうである。津田は、東京に出張で一週間ほど来ているが、今日の午後時間ができたので、久しぶりに、丁度やっていた出身大学（東京の有名大学だった）の学生オーケストラの演奏会に行った。津田も学生時代そのオーケストラの一員としてクラリネットを吹いていたことがあるそうだ。ちなみに津田の娘も同じ大学に入学したそうだ。演奏会では、コロナ対策で１席づつ空けて座らされたが、空席を隔てた隣の席には、白い杖を立て掛けてサングラスをした美しい女性が座っていた。彼女の足元に財布が落ちていたので、拾って「あなたのものではないですか」と渡すと、女は目が見えないようで、手探りで財布を触り確認し、確かに自分のものと分かると津田に丁寧に礼を言った。その時に津田はその盲人の女の顔に見覚えがあるのに気付いた。コンサート中、横を盗み見してようやく思い出したのは、20年前に、彼が学生オーケストラにいた当時、第一バイオリンを弾いていた大学ミスコン優勝者の女性らしかった。当時あこがれてはいたが高嶺の花で声もかけられない人だった。コンサートが終わり、場内が明るくなったとき、その人に、「もしかしたら○○リカさんではありませんか」と訊いてみた（津田は今でも彼女の名前をはっきり憶えていた）。果たして、女は昔のミスコン優勝者のバイオリニストのリカだった。津田は同時期に同じ学生オケにいたことを告げ、盲人には読めないので自分で名乗りながら勤務先の有名上場会社の名刺を渡した。そして、昔なら恐れ多くてとても出来ないことだったが、勇気をだして、よければお茶でもいかがですかと誘ってみた。約20年の年月は津田の神経を大分太くしていたこともあるし、相手が盲人ということも誘い易くしていたのかも知れないと津田は俺に告白した。断られることを覚悟しての誘いだったが、リカは意外にもむしろ喜ばしい様子で、「行きましょ」と応じた。会場の近くのカフェでコーヒーを飲みながら、リカが言うには彼女は先天性の病気で25歳で失明した。そのとき彼女はメガバンクに就職していたが、自分の未来を考え鍼灸マッサージ師の学校に入り銀行は退職した。その専門学校で知り合った盲目のゴローと言う男と26才で結婚し、その後は専業主婦をしているという話だった。ゴローは先天性の盲人でもちろんリカの美貌は知らない。また音楽に興味は無いようで、リカのバイオリンにも興味がなかった。ただ、リカの色気のある美しい声に惚れたのだった。リカは、失明して深く絶望していたので（学生時代の沢山の男友達には盲目になったことを知られるのが嫌だったそうだ）、自分と結婚して欲しいと望む鍼灸マッサージ師のゴローとあっけなく結婚した。ゴローの鍼灸マッサージの腕はよく、自営のマッサージ店舗は繁盛し生活には困らなかった。ゴローはリカがマッサージの仕事をするのを喜ばず、専業主婦として家に閉じ込めた。マッサージという微妙な仕事をするときのリカの貞操を心配したのだった。リカは最初こそ、家庭に籠った生活をしていたが、結婚して半年過ぎると、自宅で、バイオリンの生徒を取るようになった。高く設定した授業料にも関わらず、だんだん男の生徒が増えて半年もすると、昔と同じように、否、昔以上に、男性の出入りの多い生活が戻ったのだった。
　リカは昔の同窓とは言えほとんど初対面の津田にカフェで大胆に告白した。「私、きっとすごい寂しがり屋なんだと思うの。周りに男の人たちがいてくれないとダメなの」津田が「だってご主人がいるじゃないですか」と返すと、リカは「夫は家族になっちゃうからだめなの。『男』のうちに入らないの。私って、いろんな『男』から女としてみられていないとダメなの」そういってサングラスの下のピンクの唇から可愛い舌先を覗かせ、かすかな微笑みを浮かべ、津田のほうに手を伸ばした。津田はそれが盲人との会話のときに相手の反応を見るために普通にされることなのか、それとも特別なことなのか判別のつかないままリカの手を握った。
　そのときのことを思い出して、津田は俺の店で
　「リカさんが、私を誘っているようにしか、思えなかったです。学生時代の彼女の色々な悪い噂が思い起こされました。教授と関係して単位をもらったとか、セフレの数が二桁だとか、『セックス依存症』とか。でも、学生のころはミスコン優勝者に対しての下種の勘繰りとしか思っていなかった。しかし、彼女とカフェで話しているうちに、たぶん本当のことだったろうと確信が持てた。そして、そんな人が失明して、ますます、男たちにちやほやされるのは、当然のなりゆきだと思いました。美人で盲目の女性ほど……」
と言って言葉を濁し、ウイスキーのお替わりを頼んだ。
　俺は、
　「津田さんはそれで、どうなさったのですか」
と訊いた。
　津田は、新しいグラスから、シングルモルトを一口すすると、
　「何も。何もできませんでした。もし私が独身だったら、いや、結婚していても、あと1０年、いやせめてあと5年若かったら、毎月、彼女に自分の収入の半分でも援助してあげたいと思いますが。彼女は東京で私は名古屋ですし。何も気づかないふりをして、カフェから、地下鉄に乗るまで彼女の手を引いて別れました」
と言った。
　俺は、『彼女は別にお金に困っている訳じゃないから、あなたがお金を援助しても何も変わらないと思いますよ』という言葉を飲み込んだ。津田は腕時計を見ると、
　「そろそろ、乾燥が出来上がる時間です。今日は、つまらない話につきあって下さってありがとうございました」
と言って、店を出て行った。
　バーと言うところは、入るときよりも、出るときのほうが、わずかでも幸福な気分になっていなければいけない場所だが、この男も、胸にもやもやしていたもの、好きな女性に対して自分が無力である『悲しみ』あるいは「くやしさのようなもの」を、吐き出せて、わずかでも、救われたのだろうか。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（終わり）

コメント(3)

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[1] mixiユーザー 01月16日 13:38

”バーと言うところは、入るときよりも、出るときのほうが、わずかでも幸福な気分になっていなければいけない場所”
この部分、名言だと思いました。本当にそうですね。

テーマは悲しみで、主人公の悲しみもあると思うんですが、リカの悲しみというか寂しさも感じました。美人で才能もある人気者かと思いきや、誰も彼女の内面に踏み込もうとした男はいないんじゃないか？そう考えると切ない話だと思いました。
高嶺の花というと誰も手出しできないイメージがあるんですが、そうじゃなくて性依存でむしろ誰とでも関係する女性であるとするなら、この女性は一体心にどんな闇を抱えているのでしょうか。なかなか闇深いと思います。
主人公の男性でさえ、リカの見た目に惹かれていただけで、噂の真意を確かめようともしなかった……この男性にとって「好き」というのは、一体どんな気持ちなんだろうな、と考えてしまいました。

でもそういうことはわきに置いておいて、盲目の美女の恋愛とはなんともそそるテーマで、純粋に楽しんで読めるとも感じました。

[2] mixiユーザー 01月17日 19:38

とても面白く、ワクワクしながら楽しく読ませていただきました！
フィクションとは思えないほどのリアリティがあり、JONYさんの文才の素晴らしさを改めて感じました

[3] mixiユーザー 01月18日 19:42

既に第79回の会にて思うことは述べさせて頂きましたが覚書

・タイトルの「目の見えない…」を「目に見えない…」と空目する読者の意識と嗜好
・〇〇と、伏せるでもなく曖昧さを持たされた文章表現から受ける意味合い
　⇒リカの名前について、津田の誠実さが際立つ

大きくは上記の2点でしたが、帰路に同行頂き話した内容としては、津田の様な弱い男が自らの弱さを認識する物語が最近の傾向でもあるので（例えば映画にもなった村上春樹先生のドライブ・マイ・カーなど）時勢に合った良いショートですね…といった事でした。

初めて伺わせて頂く前に御店の外観をGoogleストリートビューで拝見していたこともあり、虚実の境目が危うくなる現実感で、これからも虚ろのKIYONOのバーのマスターと訪れた客のシリーズ読んでみたいです。

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