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神奈川【市民と野党と労組】連帯コミュの米軍戦車を止めた 安保改定60年(上) 自治体・政党・市民 一体で

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2020年6月23日しんぶん赤旗【国民運動】転載

 日本国とアメリカ合衆国の間の相互協力及び安全保障に関する条約(日米安保条約)が改定されて23日で60年になります。日本の全土基地化・米軍の出撃基地化、米国の起こす戦争への自衛隊の動員を狙った現行安保。その全面的な実施は、戦争の放棄と戦力の不保持を規定した憲法9条と広範な国民の運動で阻まれてきました。ベトナム戦争の末期、横浜港から積み出されようとした戦車の輸送を止めたたたかいは、その歴史の一コマです。(佐藤つよし)

 「戦車が出た」

 1972年8月5日午前1時ごろ、横浜市平和委員会事務局長だった丸利一さん(76)=現神奈川県平和委員会代表委員=に、米陸軍相模総合補給廠(しょう)=相模原市=の監視団から連絡が入りました。

 当時、ベトナムから運んだ戦車や装甲車を横浜港の米陸軍横浜ノース・ドックで陸揚げし、国道16号を通って相模総合補給廠に輸送し修理。再び、ノース・ドックからベトナムへ送り出していました。

 市平和委員会や日本民主青年同盟の青年たちが、2月ごろからノース・ドックの手前の村雨橋たもとで監視活動を開始。通常10人ぐらいで実施していた監視活動には、この日は50人以上が集まっていました。

座り込み広げ

 午前7時ごろ、村雨橋前に姿を現したのは市の道路パトロールカー。「これから戦車を止める。市長が止めるんだ」。11月まで3カ月にわたり戦車の輸送を止めたたたかいの始まりでした。

 日本共産党、社会党、労働組合、市民団体などから集まった人々が、ピケ(スクラムや座り込みで阻止する行動)を張り、トレーラーに積んだM48戦車4両、M113装甲兵員輸送車1両は村雨橋の手前で、それ以上進むことができませんでした。翌6日午後10時40分、トレーラーは相模総合補給廠へ引き返していきました。

 クラクションを鳴らし車から激励する人、果物や冷たい飲み物の差し入れも。新日本婦人の会の人たちがにぎったおにぎりを食べながらの行動でした。

 当時の横浜市長は、のちに社会党委員長となる飛鳥田一雄氏。56年3月竣工(しゅんこう)の村雨橋の重量制限は46・9トン。M48戦車は重量50トン、トレーラーを含めると60トンを超えます。通行には道路法・車両制限令で、管理者である横浜市に許可が必要ですが、米軍は許可申請せずに輸送を強行しようとしました。横浜市は管理権限を行使し、戦車の通行を拒否しました。

血の一滴救う

 丸さんはいいます。

 「日本が再び戦争の加害者にならない、米軍のベトナム人民の殺戮(さつりく)に加担しないために、なにかしたいという思いでした。自治体、市民団体、市民が共同し、多くの人が力を合わせれば、戦争を止めることができる。憲法を守り、安保の発動を阻むことができます」

 6日には、原水爆禁止世界大会に参加したアメリカ、ベトナム両国の代表が駆けつけました。

 「みなさんが流す汗の一滴、一滴は、ベトナム人民の血の一滴を救う」―ベトナム代表は訴えました。阻止団を代表して、日本共産党の石母田達県常任委員(のちに衆院議員)は「ベトナム、アメリカ、日本人民が最もふさわしい場で会うことができた」と応じました。

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