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南京大虐殺論コミュの南京大虐殺は無かった?

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このコミュニティで、他の方も言われているように、南京大虐殺はありませんでした。そんなことは、蒋介石が、戦後日本兵を中国本土から無傷で日本へ帰還させたことを見ても明白です。また、中国人が中国残留孤児を大切に育ててくれたのはなぜでしょうか。それは、日本軍の政策に感謝して決して恨んでなんかいなかった確かな証明でもあります。戦後、マッカーサーも日本に侵略的要素は見当たらない、経済封鎖されたための自衛の戦争だとはっきり言いました。大戦でも、日本軍より連合軍の方がよほど国際法に違反することをしました。また、特に大英帝国による植民地からの収奪といった連合国の悪事を隠し、日本が悪いといった間違った意識を植え付けるためにありもしない南京大虐殺をでっちあげたのです。東京裁判で、処刑者を罪の重さではなく、知名度で選んだのもそのためです。日本が敗戦国であるにもかかわらず、連合国が日本に損害賠償を請求しなかったばかりか、アメリカが日本の国土復興にあれだけ手を貸したのも、悪いのは自分たちだったことが分かっていたからです。パール判事も日本に罪は無いとする日本無罪論を発表しています。また、南京大虐殺の証拠として提出された写真も、今現在の科学技術で鑑定した結果、次々と捏造が発覚しています。当時の科学技術はごまかせても、今現在の技術はごまかせないのです。
長々と申し訳ありませんでした。※右記元トピより転載 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48533144

コメント(458)

そもそも、朝鮮学校の高等部は高校じゃないでしょう。
高等学校の定義を勉強しなさいな。

あれは、単なる塾や各種学校と同じでしょ? 朝鮮学校に補助出すなら、大原学園だってもらえないとおかしい。
彼等が日本人に帰化し朝鮮学校が1条校の条件を満たさない限り
補助金の支給は見送るべきだし「脱・朝鮮総連」は必項だと思うよ。
先日、Eテレ(教育テレビ)見てたら
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/chapter037.html
コイツがこんなこと言ってました

獨協大学非常勤講師 丸浜 昭
日本軍は、上海を攻略した後さらに戦線を広げ、12月には、中国国民政府の首都だった南京を占領します。この時日本軍は、一般市民を含む多数の中国人を殺害し、国際的な批判を浴びました。
近所の爺さん(今は鬼籍)でしちょう兵(輸送補給兵)で南京に行った人の話だと、毒ガス使ったり、一部の末端兵士が略奪暴行殺戮したり酷い事をしたのは事実だが、南京大虐殺という大規模組織的な虐殺はなかったらしい。ユーチューブ動画で数万人の中国人捕虜を殺処分したドキュメンタリーを視たが、沖縄戦やマニラ戦で10万余の民間人も死傷した事から南京戦でも幾らか巻き添えになっただろうし、民間人に化けた中国兵を掃討する際も間違いがあっただろう(連日疑わしい民間人を日本刀で首切りにしたという)。これらの事が誇張され南京大虐殺が出来たのでは無いのでしょうか?
南京大虐殺は支那人が日本国に金をたかって居座る言い訳でしかない。実際にはなかったのだ
肯定派の方々は、自分のテリトリーでだけ威勢がいいですね〜。
都合の悪い意見を片端から削除してりゃ無敵でしょ。
しまいにゃ議題と無関係な言動を掴まえて裁判だのと脅しをかける・・・
恥ずかしくないですかね?
肯定派は相変わらず言論弾圧隔離部屋に引きこもったままか・・・(´・ω・`)


オイラのサイトもよろしく・・・(´・ω・`)∩
http://oira0001.sitemix.jp/


宣言どおりきっちり仕返しはさせてもらうよw
http://oira0001.sitemix.jp/omake_frame01.html
http://oira0001.sitemix.jp/omake_frame02.html
http://oira0001.sitemix.jp/omake_frame03.html


肯定派どものぐちゃぐちゃ汚いHPと比較してくれw
http://www.daily.co.jp/society/main/2014/03/29/0006818219.shtml

やっぱり39万人だな。
>>[432]
その後、光太郎氏の裁判は何か進展がありましたか?
どうやって住所を調べるのか興味津々です。
WAKAさん。訴状を待っていますがまだきていません。来たらネットで全公開しますので楽しみにしてください。
彼曰く弁護士にはIPアドレスの割当先の個人情報をISPに開示させる権限があるみたいですからね。
知りませんでした。弁護士ってすごい。
警視正クラスの警察署長ですら、任意の情報提供のお願いしかできないのにね。


432は39万人じゃなくて30万人ですね。タイプミスでした。
やっぱり、南京大虐殺の被害者は30万人なんだよ。国家主席が外遊のときに公式に発言してますからね。これを前提として問題ないと思います。


あとは、その具体的な手口と、どうやって30万人の遺体をのちのち発見されないように速やかに処理するかを検証すればいいのかな。
当時の日本兵の装備と部隊の規模でどうやればそれが可能だったのか?
興味は尽きません。
それから、自国民を3500万人も殺されるほど、中国軍は弱かったのですね。
中国じゃなかったらとっくに白旗揚げて敗戦する規模の被害だよ。
反日在日がアメリカの手下になっているんですね。
中国や韓国への賠償金を支払わせ、
アメリカに借金を作らせると、
日本の株や国債は買っても返ってこないので、
アメリカに金が流れるんです。

花王、フジテレビ、TBS、朝日新聞などの資金源を断つ必要があります。
http://matome.naver.jp/odai/2137787641722225001
卑下するわけではないが、大東亜戦争中に、占領した島に飛行場を作る話しがでた。日本兵だけではひと月かかる。では、アメリカの捕虜も動員しよう。って話しに成り、捕虜に説明。何人だせるか? アメリカ兵曰く、一人で二〜三日で出来る。
日本軍、バカにしてるか!! と絶叫!! 
アメリカ兵ブルドーザーで一日で、飛行場の出来上がり。
重機を持たない日本軍が30万人を誰にも知られず、埋めたりは無理でしょ。
確かに日本軍は南京で殺害している。。其れは便衣兵でスパイですよ。
スパイは裁判無しでその場で殺害してもいいと国際法で唱われていなかったか。
日本軍は200人程度殉職してるし。ほとんど後ろから撃たれて…
そもそも30万人という数は何処から来たのか。
実は南京大虐殺の被害者は300万人だったという人がかつて中国の識者に居たらしいのですが流石にそれは無理があるだろう、せめて10分の1にしとけ、というのが私の推理です。だって30万人って数。どう考えてもおかしい。当時20万しか居ない南京で30万人死ぬなんて。

仮に南京大虐殺肯定派の云うように虐殺されたのが30万人だったとしましょう。でも虐殺というのは何の抵抗も出来ない民間人です。其れを殺す理由がありません。

実際、南京で殺されたのは1人しかないと東京裁判でも判決が出ている。30万になんて論外です。明らかに金を要求する為の方便ですね。
http://youtu.be/__PF3mtQsUw

南京虐殺なんて無かった事をでっち上げた中国の行っている虐殺、民族浄化の一つです。
これがタラリ大先生をはじめとする【南京大虐殺肯定派】が、
愛してやまない支那の所業。




http://japan-plus.net/182

ちゃんとした取材をせず、裏付けを全くとっていなかった
自称・ジャーナリストの本多勝一。
これで【南京大虐殺】を事実とホザくなんぞ
実に笑止千万www
このジジイといい、某県知事といい、
外見を誤魔化す被り物をしている奴は信用できんなwww


「中国の旅」の記事で「日本人による虐殺があった」と紹介された
炭鉱に勤めていた日本人が、記事は事実と著しく異なると本多記者に
抗議の手紙を送ったところ、本多氏からは
「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、
抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。」
という、無責任な回答が返ってきました
アメリカの日本民間人殺しはユダヤ人虐殺に匹敵するものです。明らかに戦争犯罪を問われるべきものですが、彼らの工作(南京大虐殺)によって自分たちより日本人は悪いという作られた話です。アメリカと中国の利害の一致です。アメリカの工作なので真実を掘り起こすのは難しいかも。
いくつか質問があります。

既に解散しましたけど日本南京学会以外で虐殺否定説を認めてる学会って存在するんですか?
日中共同歴史研究会の結論も虐殺の事実を肯定していますよね。
人数に関してはかなり幅をもたせていますが。

虐殺を否定するのであれば
数々の陣中日記が発見されましたが
あれが嘘であるという証拠はありますか?
また嘘だとするならば
こぞって日記に捕虜を虐殺したと嘘を書いた理由はなんですか?
当時の日本兵は暇な厨二病患者だったんですか?

偕行社が発行した南京戦史には虐殺をしたとする文書が多数掲載されていますが
虐殺が事実ではないとするならば
いったい彼らは何のために自らの恥となるような文章を寄稿したのですか?

せひ教えてください。
>>[444] 日本では空襲によってなくなった方一人ひとりの名前がわかっています。南京で亡くなられた方の調査を中国が中心に日本も協力していくべきではないでしょうか。大勢の中国人が日本兵に殺された割には日本兵と仲良く話し、平穏な町の様子がフィルムとして残っているのも不思議です。当時中国では内戦状態であったと思います。残念なことに内戦で多くの方々がなくなられています。しかし、今ではそんなことは無かったかのように日本兵だけを悪者にすれば良いという風潮が見られます。

調査もせず、南京大虐殺があったなかったと論じているのもおかしなものです。
>>[446]
平穏な街が映っているのは「プロパガンダ映像」だからですよ
>>[447]
それを証明するのはそちらの仕事
石平太郎氏怒るexclamation

https://twitter.com/liyonyon/status/805560921766514688
日中共同歴史研究の南京事件部分の要旨

 ■日本側

 日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。
犠牲者数は20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある。
中国側の30万人以上という犠牲者数は南京軍事法廷に依拠している。
食い違いの背景には虐殺の定義や対象地域、期間などの相違が存在する。
虐殺の原因は、憲兵の数が少なく食糧や物資補給を無視した攻略で、
略奪行為が起きたと指摘されている。
中国軍の民衆保護対策にも欠如があった。

(波多野澄雄・筑波大教授、庄司潤一郎・防衛研究所第一戦史研究室長)


 ■中国側

 日本軍は南京で多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。
重大な国際法違反だ。英国人や米国人の住居も略奪の目標にされた。
日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を「性奴隷」とした。
11歳から53歳までの中国人女性が強姦された。
東京裁判は占領後1カ月間に南京市内で2万件近い強姦事件が起き、
同6週間で市内や近郊で虐殺された民間人と捕虜は20万人以上と認定、
南京軍事法廷は犠牲者数が計30万人以上とした。

(栄維木・社会科学院近代史研究所「抗日戦争研究」編集長)
「北岡伸一『「日中歴史共同研究」を振り返る』より

南京事件をめぐって

 南京事件について、日本軍の虐殺を認めたのはけしからんという批判がある。

 先述した通り、共同研究では南京事件にとくに時間をさいて議論してはいない。
よく報告書を読んでもらえればわかるが、日本側は、日本側には犠牲音数について諸説あるということを紹介しているだけである。

 ただ、虐殺がなかったという説は受け入れられない。

 日本の近代史の研究者の中で、南京で相当数の不法な殺人・暴行があったということを認めない人はほとんどいない。
それは、戦前から日本の内部でも不祥事として割合知られていた。
中国国民党が宣伝に利用したことは確かだが、だから虐殺がなかったということにはならない。

 実際、多くの部隊の記録に、捕虜の「処分」に関する記述がある。
「処分」のすべてではないにせよ、相当部分は処刑である。
捕虜に対しては人道的な対応をするのが国際法の義務であって、
軽微な不服従程度で殺してよいなどということはありえない。

 便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、
軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、
とんでもない論理の飛躍である。

 どの国でも最も愛国主義的な団体は、在郷軍人会など元軍人の組織である。
日本陸軍では偕行社がそれであるが、偕行社は南京で調査を行ない、
周囲からの強烈な批判にもかかわらず、虐殺があったと認定している(『南京戦史』)。(P235-P236)

 こうした不快な事実を直視する知的勇気こそが、
日本の誇りなのであって、過去の非行を認めないのは、恥ずかしいことだと思う。

 また、われわれは報告書において、南京事件は主として日本に責任はあるが、
中国側の対応にも問題があったことを指摘している。

 蒋介石は勝てるはずがないと知りながら南京防衛を決意し、
かつ、南京戦の前に南京を脱出している。
唐生智という南京防衛を担当した将軍も直前に脱出している。

 ふつう軍隊は勝てなくなったら降伏する。
そうすると指揮官は軍法会議で死刑になるかもしれないが、兵士は助かる。
それが戦闘のマナーなのであって、そういうことをしないで指揮官が脱出するという無責任な行動をとったことが大きな虐殺を引き起こした一因であることを明記した。
中国側がよく受け入れたと思う。

 全体として中国側の出席者にはあまり柔軟な姿勢はみられなかったが、
それでもこの点などは変化の兆しなのかもしれない。
歴史家の秦郁彦氏が新聞紙上で同様に中国側の柔軟化について言及しているが(「産経新聞」二〇一〇年二月一日)、
さすがは昭和史研究の第一人者だと感じた次第である。(P236)

(『戦争を知らない国民のための日中歴史認識』所収)」
 中国側は、日本側が日本の侵略を認め、
南京虐殺の存在を認めたことが共同研究の成果だといっている。
しかし日本側はそんなことは共同研究を始める前から当然のことと考えていた。

 実際、日本の歴史学者で、日本が侵略をしていないとか、
南京虐殺はなかったと言っている人は、ほとんどいない。

 「満蒙は日本の生命線」という言葉がかつて存在したが、
この地域における日本の合法的な権益は、
旅順大連の租借権や満鉄に関する権利など、南満州東部の一部の地域のものだった。

 中国側が時々権益を侵犯したのは事実だが、
関東軍は謀略によって軍事作戦を開始し、
南満州と東部内蒙古の全域、そして日本が権益を有していない北満州まで、
あわせて日本全土の3倍の土地を制圧したのである。
これは自衛をはるかに超える武力行使と相手国主権に対する侵害であって、
それを通常、侵略というのである。

 南京虐殺については、南京作戦に参加した多くの部隊の記録に、
捕虜○○名処分、などという記載がある。あらためていうまでないが、
捕虜には人道的な待遇をすることが大原則で、捕虜が極めて反抗的で、
収容側の方が深刻な危険にさらされる例外的な場合を除けば、処刑等は許されないのである。

 なお、世界のどの国でも、もっとも愛国主義的な団体は在郷軍人会であるが、
日本の陸軍の組織である偕行社が念入りな調査を行い、相当数の不法な殺害があったと認めている。

 日本に侵略を否定する声が大きいうちは、
中国は、日本は反省していないと主張し続けることができる。
しかしわれわれが非を認めると、それがどの程度の非なのか説明せざるを得なくなり、守勢に回った。
各章の「討議の記録」の削除を求め、
戦後編の非公表を求めたのは、中国が受け身に立ったからである。

 中国や韓国が積極的に応じないという人もあるだろう。それでも一向に構わない。
その場合は歴史を直視していないのがどちらか、世界に明らかになるわけだから。

北岡伸一東京大学名誉教授「共同歴史研究 『侵略』認め、日中攻守逆転」(読売新聞)
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。
一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、
日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損害を被った。

十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、
与えられていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。

上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、
補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、
中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、
南京への進撃途上ですでに掠奪・強姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。

十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、徹底的な掃討を行い、
投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民をその巻き添えにし、
略奪・強姦・放火を重ねた。
さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任、
中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。

犠牲者数については中国側の公式見解は三十万人とするが、
戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二月初めまでの期間をとれば、
十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。

この事件は「シカゴ・デイリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、
「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十八日付)などによって報道され、
国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、
日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。
同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され、
南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった
虐殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。

一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、
もともと参謀本部の作戦計画にはなかった。
激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行で南京に進撃させてのは、
中支那方面軍司令官の松井石根大将と、
参謀本部から出向して同軍の参謀副長となった拡大派の武藤章大佐らであった。

上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、
補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、
中国軍民に対するむきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、
虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。

十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、
南京の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。
南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以前の人口は一〇〇万人以上)、
近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が残留していたが、
日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、
南京防衛軍に対する徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を実施した。

同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した
投降兵・敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。
一般民衆も敵対行動、不審行動をする「敵国民」と判断された場合は殺害された。
日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京入城式に備え、
徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、
中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多くの市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。

さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の「休養」が与えられ、
総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、
強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、
三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、
不作為の責任を問われた松井石根が死刑となった。
中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十万以上とし、
四人の将官が死刑となった。

一九七〇年代から八〇年代末にわたり、
歴史事実か「虚構」「まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、
家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、
現段階の日本側の研究では、十数万から二〇万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。

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