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Japan Spirit 〜さとろうよ〜コミュの日本人ですか?

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本日ニュースで、東京都の元教員が日の丸及び君が代を拒否したことによって懲戒処分されたことに不服に思い裁判になっていた件で

法律で言うところの「自由」が尊重され東京都の元教員は今の段階で勝訴なのだそうです。

愛国心…これに対しては教育面も含めこれから議論がされていくで    しょう。(日本は先進国の中でもっとも愛国心が無いそう    です)

学生時代私は日の丸も君が代も否定的に教えられることが多く私もそれにならい、いいものとしては見れませんでした。

戦前日本の負の遺産だと言うのです。でもだからと言って旗や歌そのものに罪は無いと思います。この考えは戦後の異国民による考えです。いろんな良い歴史も悪い歴史も含めすべてが日本と言う国なのです。だからそれを悔い改め背負っていくのも当然必要と思います。人類の負の遺産を唯一行使したことのある国はなにもなかったかのように同じ旗を使っています。
日本人に聞いてみたい。

あなたは日本人ですか?

いったいなに人ですか?



コメント(24)

「日の丸君が代」が嫌だと言う日本人に聞きたい。ならば、英国の「ユニオンジャック」は、フランスの「三色旗」は、米国の「星条旗」は。「日の丸君が代」が嫌なら何がいいの。どうして日本人をやっているの。日本人をいつでも止める自由がありますよ。それでも日本を罵りながら、日本人を続けるの。
君が代、日の丸、拒否する理由は何だ?
なんでそんなに嫌なんだ?
だったら日本から出ていけばいいのに。
この素晴らしい国にいて、その象徴が嫌だってんなら、
好きな国に行っちまえ。


たむさん→日本人の中で否定をするだけして解決策をもたない人が多いように思います。

uepOnさん→そうです。僕が引っかかるのは拒否する理由ですね。
とても難しい問題ですね。日の丸君が代が何故嫌なのか。その理由は戦後まもない頃の教育によるんでしょうか?自分は若いからわからないんです。そもそも日の丸君が代がどういう経緯で発生したのかも知らないんです。まずは知る事から始めます。
裁判の結果と愛国心とは関係ないと思います。裁判はあくまで個人の選択の自由を尊重したもので、たまたまその対象が日の丸国旗と君が代だっただけではないでしょうか。

私は日本が好きですし、日本人として誇りも持っていますが、公共の場で日の丸国旗に最敬礼をしたいとか、君が代を歌って愛国心をあらわにしたいとは思いません。しかもそれが強要されるものだとしたら、逆に拒否するかもしれません。

どういう風に日本という国を愛するかは人それぞれなのではないですか?皆さん、そんなに極端な結論にしか到達しないのでしょうか?
なすび様
どこの国の国旗であろうと、国旗に敬意を表すのは、世界の常識です。極一部にそれを踏みつけたり、燃やしたりして喜ぶ「民度の低い」国もありますが。まかり間違えば、戦争にでもなりかねません。

★愛国心をあらわにしたいとは思いません。
◆単に国家を代表するものです。しかしこれに対して、敬意を否定するのは、その国家を侮辱する事です。

こんな事海外だったら、大変な事になりますよ。あなた個人が好きか嫌いかの問題ではありません。どこの国の国旗、国歌であろうと、それを軽視したり、侮辱する自由などどこにも存在しません。
>たむさん、

どうもこちらの掲示板は極端な結論に持っていかれる方が多いように思います。

>こんな事海外だったら、大変な事になりますよ。あなた個人が好きか嫌いかの問題ではありません。どこの国の国旗、国歌であろうと、それを軽視したり、侮辱する自由などどこにも存在しません。

現在アメリカに在住していますので、いろいろな人種のアメリカ人を見ています。例えばプロ野球の試合が始まる前に必ず国歌が流れ、電光掲示板にはデジタルの国旗が写され、人々は観戦席から立ち上がって一緒に歌ったりするのですが、座ったままで特にアクションを起こさない人たちもたくさんいます。その理由はその人ごとに色々あると思いますが、誰もその行為を「侮辱」だとか「軽視」だとか言って責めることはありません。

アメリカは特に日本と違って異人種の集まりですから、国旗は日本人とは比べ物にならないくらい「アメリカ人の象徴」という捉えられ方をされています。愛国心という定義もかなり国旗に寄り添っていると思います。

それでも「どう愛国心を表現するかの自由」が尊重されているのです。国歌を集団で歌わなくても、違う意味で、または別の方法で自国を愛している人はたくさんいると思うと言いたかったのです。そしてそういう人たちはここ、外国にも存在することを付け加えておきます。
僕の友人からこんなコメントをいただきました。
君が代って歌は、もともと平安時代の和歌で
君=家族の者 という解釈で、”君”の長寿を願う歌だったそうです。
そう捉えたら、優しくて平和な歌ですよね。

それぞれ価値観の違いがありますよね。
「義務」「強要」これだと嫌な気になりますよね。
「敬意」「権利」これだと気が進みますよね。
とらえかたで印象が違いますよね。

自由は大事ですが尊重しすぎれば矯正も同じだけ大事になります。
例えば挨拶しない人に「なぜ挨拶をしないのですか」と尋ねたところ「したくない個人の自由だ」と言われ納得できますか?矯正が無ければそれこそ極端な結果になるでしょう。

僕は日本の土や草木から生まれ育み、古来からなる日本という文化すべて「自然」にうけとめ敬意の心を持ちこのことは僕とって琵琶湖であり富士山なのです。
はじめてコメントさせていただきます。

なすびさんの意見に、目からウロコです。
私も、日の丸、君が代を拒否する事には疑問を感じていました。日本人なら当然の事だと思って。
でも、確かにこのことは法で罰せられるべき事ではないかもしれない。「個人」の「主義主張」を法で罰する事は、民主主義国としてはあってはならないことですよね。愛国心=国旗、国家だけじゃない。なるほど。
頭ではわかったのです。しかし、やっぱりこの考え方には、丸太橋を渡るような不安を覚えます。日の丸、君が代は、次世代に伝えるべきだと思うし、
正直に言うと「私は日本を愛してます。これはあたりまえ。でもあなたはどう思ってるの?」という不安です。

私の中での国際化は、まだまだ未熟のようです。私だけでなく、日本人は、愛国心を見失ってしまったのではなく、愛国心の持ち方、在り方、現し方を見失いかけているだけなのではないでしょうか。

日本は、アメリカのような移民の国でもなければ、ヨーロッパのような、外国と地続きの国でもありません。だから、外国はこうだから、という事に縛られるのではなく、日本は独自の文化を育んできた数少ない島国として、独自の愛国心の在り方、現し方、そして、他国の愛し方を考えていくべきだと思いました。
>まなさん、

おっしゃる事に深く同意します。確かにこのままでは日本人としての価値観やルーツがフェードアウトしていってしまうのではないかという不安、私も感じています。

本来ならばヨースケさんもおっしゃっているように、日本の土地、文化全てをひっくるめて愛する気持ちが自然と国歌や国旗に対して現れるべきであり、そういう気持ちを持てない現在の日本にどういう問題が横たわっているのかを問うほうが建設的なのではないかと思います。
なすび様、 まな様
そもそも国旗を強制だとか、そんな風に受け取る事自体信じられません。その国の一員なのですから。「日の丸」のどこがいけないのでしょう。そして今回の問題は、「公式の席」で、「教職員」がそれをやったと言う事です。教職員とて、どんな思想信条を持とうといいかもしれません。

しかし「公式の席」で、「教職員」にはそんな事絶対に許されません。自分の思想信条を貫きたいのなら、「教職員」を退職するか、少なくともその席に、出席すべきではありません。自分の思想信条は自分だけのものとして頂きたい。「公式の席」とは、大勢が畏まって出席します。自分だけの独善は許されません。

「教職員」は都に勤めていました。その都の勤務規定に違反しているのですよ。規則を自ら踏み破る者が教団に立つべきではない。しかも税金でその給与は支払われている。民間会社でこんな服務規程に、公然と反旗を翻したらどうなるか、常識で判断頂けると思いますが。

国歌は強制ではなく、自然に受け入れるべきです。それに抵抗を感じるのは、その人のどこかに問題がある。私も何事につけ、強制されるのはいやですが。国旗国歌を強制などと考えた事もありません。

あなたは「日の丸」に拒否感を持っているのではなくて、国旗に対する、全員が同じ動作をさせられると言う事に違和感を持っているように思いますが。米国人の「星条旗」に対する態度は、「日の丸」に対する日本人の百倍、千倍を要求されると思いますが。
なすびさん、

>その理由はその人ごとに色々あると思いますが、
>誰もその行為を「侮辱」だとか「軽視」だとか
>言って責めることはありません。

「いいんでないの。あいつら外人だし。」のノリだと思われ。
ガキの頃からアメリカ人なら、最初の集団教育で(つまり幼稚園で)星条旗への忠誠と経緯を教えられるはず。
それができない”アメリカ人”は、二流と見られてる恐れがあると思いますよ。



たむさん、

>どこの国の国旗であろうと、国旗に敬意を表すのは、
>世界の常識です。

仰るとおりです。
その常識を持たないのは、国際的に二流、またはそれ以下。本人がいくら自由だなんだと言っても、二流と見なされても文句は言えません。




同じ内容が「We are Japanese」のコミュでも出ています。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10624329&comm_id=323705

この裁判自体、サヨク的判決を下す裁判官に当たるように仕組まれてたようです。ま、彼らの常套手段です。
あまりまともに受け取らないでおきましょう。
司法の左傾化も今始まったことではないですし。


国旗・国家が自然と受け入れられないのなら、
(かなり極端な例えですが、)
「全世界が戦争に突入したとき、あなたはどの旗を守りますか?」
あるいは、
「どの旗があなたを守ってくれますか?」
ということを考えてみてはいかがでしょうか。
追加でこちらもどうぞ。

アンチ日教組のコミュからです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10834823&comm_id=323705

訴えてた側がどんな人達だったのかを知れば、最初からシナリオが決まっていたことがわかると思います。
もともと、このコミュは、
日本について知っていることの情報提供や、
思うこと感じること等のシェアとして作りました。
書き込みした人を、否定や攻撃する為に作ったのではありません。

形、云々は置いて欲しい。
「日本を愛している」
まずは、その心を認め合って欲しいと思います。
また、日本を愛する=他国を否定する でもありません。

これ以上、否定、攻撃が続くようであれば、
このコミュを作った始まりの意図と離れていきますので
削除させてもらいます。

ご了承ください。
日本人なら…

日本文明が持つ深い精神性、全てを包み大きく和することができるその特質。
20世紀までの対立と争いの時代を超えて21世紀を拓いて行く大きな希望。

についても、語って欲しい、知って欲しいと思います。
昔、旅先で知り合ったイギリス人の老夫婦が言いました。
『日本は本当にきれいな国ですね。
 四季折々の風景に奥深さがある。もっと楽しまなくては
 だめだよ。』

ショックでした。その頃の私と言えば、日本なんて。。と
いう考えだったから、まさか他国の人がそんな風に
思っているなんて思いもしませんでした。

日本人なのに日本のこと全く理解していない。
その老夫婦は歴史にも精通していました。
『日本を愛しているんだよ。第2の故郷だよ』
とも仰いました。

私達の世代は日本に否定的な環境で育っているので
当然その子供達も同じような環境になってしまいます。
学校でも歴史の時間はかなり減っています。
知ることのないまま大人になってしまうかもしれません。

せめて自分の子供にだけは、日本のいいところ、
伝統など少しずつ、知っていることから教えて
行かなければと思います。

私が着付けに行きだしたのもそんな理由もちょっと
ありました。
着付けだけでなく、歴史や年間行事などの云われも
勉強して全てにはきちんとした由来があることも
知りました。

子供達はこれから海外へ行く機会がますます増えることと
思います。そんな時、日本についてすこしでも
相手に伝えられたら・・と思います。
ちょっと本題からそれてしまいました。すみません。
Toniさん

こんばんわ
私も、海外に行き、他国の方から日本について尋ねられても
満足に答えられず「これで日本人っていえるの?」
自分で自分に疑問を持ちました。
何も知らない自分に愕然としました。

初めに真剣に取り組んだのは着付。
テーマは【民族衣装について知る】というところでしょうか?

知れば知るほど、「あら、日本って素敵じゃない?」
そう思えてきます。

「私達の世代は日本に否定的な環境で育っている」
… そうだと感じます。
どの国にも、時代のうねりに翻弄されるし、日本もそれは同じ。
責任を「誰だ?」と追求したところで、新たな争いの種が増えます。
皆、自分の考えが正しいと思っているし、
否定されるのは気分が悪いでしょうから。

自分を愛せる人は人も愛せる。
愛が何であるかを解り、愛せているということだから。
イギリスの老夫婦も愛を解っていらした方々でしょうね。
まず、私たちは(日本人でもある)自分を愛せているのでしょうか?


日本人とは?
日本の本質を知り、理解し、本質そのものになった時、
「日本人らしい日本人」と言えるのかもしれません。

縄文時代の哲学を書いたと言われている秀真伝では
日本の使命が書かれていると聞きました。
弥生時代の遺跡では、他部族と争った形跡が無いとも。
聖徳太子は「平和」を憲法に。

日本には、調和や平和など「和」の精神と深く関わりがあると思われます。

平和の意味・価値を知り、理解し、平和そのものになる…
そんな人は、「争い」を解決することはあっても
自ら創ろうとはしないでしょう?


平和のムーヴメントを紹介しています。↓
http://mixi.jp/view_event.pl?id=10932525&comment_count=0&comm_id=539618

何か見つかるかもしれません。
私は日本人であり、
日本のいいところも悪いところも了承した上で、
日本を「選択して」おります。
ゆえに、
日本人としてのできる限りの責任を果たしたいと常々感じています。

けども、
気難しい事を言うつもりなく、過度の愛国心を奇妙に感じ、
過度の争いのネタとなるゆえに、それは損失であると感じます。

和の伝統をいうなれば、ようするに、「調和」でありますし、
狭い枠組みを飛び越えた国際協調も常識と想いますし、
それを日本単独で、とか、
国連でとか、
国益がどったらこったら、国家の云々等というのは
21世紀にアナクロと感じますし、
なにより貧乏くさい。
裕福な国は振る舞いのマインドからでしょう。

地球は風土は誰のものか?
固有の誰かが所有するようなものでなく分け合う、協力し合う、
21世紀の昨今当然でしょう。

君が代は素直な感性で感じてとても美しい内容と響き。
日本らしい気品のあるものと感じますので、個人的にはすきです。
音楽の種類が動的情的とあるとして、
静寂な空気はまことに日本らしい。

けど、
それは天皇家に対して上下的な感覚でみているものでは全くなく
背景を調べ上げるなんて、極左、極右の感じ、余計な事をごちゃごちゃいうもんだとおもいます。

皇族のバランス感性は上品で好きですが、
理由は、自然調和、社会貢献性、経済合理性、交渉の上品さ、生活習慣の質素上質さ、色んな面で観て、他の模範と充分言える感性を感じるゆえです。

国際協調という観点の上で、
多分、
日本人らしさを求める事は極めて素直な事であり、
グローバルな感覚前提の上での個性、
それは「文化」であり、利権利用のためではない。

政治権力に持っていったり、
イデオロギー化し国際駆け引きに利用したり裁判ネタにするのは本当に奇妙な事と感じます。
ichide! さん

<日本のいいところも悪いところも了承した上で、
日本を「選択して」おります。
ゆえに、
日本人としてのできる限りの責任を果たしたいと常々感じています。
けども、
気難しい事を言うつもりなく、過度の愛国心を奇妙に感じ、
過度の争いのネタとなるゆえに、それは損失であると感じます。 >

まさしく、そう思います。

このトピックのやりとりで、なすびさんは退会されました。

なすびさんは、積極的に書き込みしてくださってました。
コミュの管理者から観れば、積極的に参加されていたメンバーであり、こんな形で退会されたのはとても残念です。


それぞれの思想哲学が争い、相容れないとこういう結果になってしまうんですね。

日本を愛している者同志なのに? なぜ?

何のための思想であり、何のための哲学なんでしょう?

まず、一番の根本は「自分はどんな在り方なのか?」を確認する必要があると思います。
日本人として、自分はどんな在り方を選択するのか。

ichide!さんの冒頭は、ichide!さんがどんな在り方を選択されているのかがよくわかります。

在り方によって、目的が変わり、コミュニケーションが変わる。
思想哲学の認識、使い方も変わる。
意見や結果も大きく変わってくると思います。


皆さんはどんな在り方を選択していますか?


<和の伝統をいうなれば、ようするに、「調和」でありますし、狭い枠組みを飛び越えた国際協調も常識と想いますし>
<地球は風土は誰のものか?
固有の誰かが所有するようなものでなく分け合う、協力し合う、21世紀の昨今当然でしょう。 >

世界の中の日本、ならば 日本人として
地球の中の世界、ならば 地球人として
宇宙の中の地球、ならば 宇宙人として

今、どんな「在り方」を選択していますか?
これから、どんな「在り方」を選択したいですか?
「違う」から、シェアできるのであって、
「同じ」ならば、シェアの必要はありません。
そう思います。
敢えて一言。日本人とはどう定義するのでしょうか。日本に日本人として生まれたから(海外で生まれたとしても)。日本国籍を持っていれば、日本人と言えるのでしょうか。外国人に、「どうして日本人は『キリスト教のクリスマス』を祝い、年末に『仏教の除夜の鐘』を聞き、年が明けると、『神道の神社に初詣』にでかけるのは何故か」と聞かれたら、どう答えますか。(自分に対してへもの問いです。)

もし例え日本に一旦急あった場合、「私は戦争は嫌だからと」、その時日本人を止める気でいる人も、やはり日本人なのでしょうか。
TOHSUIさん たむさん

日本人の日本人性とは、私が解釈してることでは、良い意味でも、悪い意味でも「いい加減」なことと想います。
白か黒か、これは極道な世界でありまして、
一般庶民は「間(過程)」を認めてるとおもいます。

たぶん、
日本人的な人間性質は「中途半端」を受け入れるもあるかと。
例えば、「可愛い」というメンタルを持ち、
「おた」や「侘び錆び」や「ボケツッコミの笑い」や、「役に立たん愛想振り撒くだけのアイボとかアシモ」が、
存在しうるのも日本人の、「受け入れのやさしさ」=仲間意識の
なせる文化でしょう。明らかに不合理でしょう。だが、不合理でも良いといわれることが世の中に幾多ある、
それを日本人は直感的に知っている?

宗教観について、日本では、直感ボーダレスでしょう。
これは海外の言うところの求道極志向とだいぶ違うとおもいます、
ゆるい事は、環境時代に平和の術じゃないだろうか?

ボーダレスになる背景として、根本に自然宗教ともいえる、神道の歴史観があるようで、原始神道の考えとは、古来異教を受け入れる発想のようです。
言うなれば、縄文で言うところの地場から出た八百万の神を認めるように。

それは神の存在が、「人物的」でなく、形にならぬ「自然そのもの」であるという事、
自然はいうなれば、「いい加減」なもの、直感的、本能的、即物的と感じます。(あくまで私の受け止めです)

ちなみに、
私の家は私のほうが仏教で、妻のほうが神道です。
両方の宗教観の違いを如実に感じます。
その上でより日本の伝統に近いのは、神道じゃないか、というのが昨今の認識でして、
ゆえに、
日本では国籍に関係なく、宗教の理念以上に、季節感と団欒を重視する。外国籍であっても日本の心を解る人は日本人的であり仲間とする、
という選択を多くの人がするのでないか?
お調子もんともいえますが。・・

しかし日本に限らず、
幾多宗教の本来目的は、自然の上に立ち、
人類の「平和と発展」を願う、
前向きなモチベーションであるわけだから、
それでいいんでないか
などとおもう、そんな私はまた、
日本人的ではないか、ともおもいます。

***

たむさんの
仮定の話しで「有事に戦争は嫌だから日本人をやめる」というのが日本人であるか?
と言う点ですが、
国籍は「レッテルとして貼られること」と、「本人の意思」と、二手あるとおもいます。
法律的にそれを違法で日本人と認めないとなったら、
「日本人になれない」という事になるでしょうけど、
が、
「私はそれでも日本人だ!」と言い張るなら、
日本人だとおもいます。
ichide!さん
TOHSUIさん紹介の本を持っています。「ホツマ文字」(ヲシテ)で書かれています。今勉強中。
http://www16.0038.net/~hotuma_ikeda-m/
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/index.html
http://woshite.com/page1.html

「アテルイ」も日本人と思います。しかし人には、その時代の制約に合わせて初めて生きていけるものだと思っています。「日本などど゜うでもいい。しかし俺は日本人だ」は現在は通らない。縄文時代ならいざ知らず。縄文時代には国家意識などなくて、生きていけた。しかし現在はそうではない。

「ヲシテ」は記紀の原典。日本人なら早く読み終えておこうと思います。
ichide!さん たむさん

ありがとうございます。

10月7日のピースルネッサンスでは、ゲストのNoh Jesu氏も
「間」の文化について話されてました。
「間」の意味、価値、実はとっても深く、大きな意味と価値を持っているんだと。

たむさんも、「ホツマ」をご存知だったんですね(^^)

<日本人的な人間性質は「中途半端」を受け入れるもあるかと>
白あり、黒あり、グレーあり(^^)
見方を変えれば、「全てを受け入られる」可能性を持っているといえるのではないでしょうか?

宗教について、渡辺昇一氏の対談(本)では
日本にキリスト教が入ろうとしたとき、「神様なら何でもできるだろうに、キリストだけが神とはおかしい。それは本当の神様とは言えないじゃないか」ということで、認められなかったと書かれてました。
まるでギャグみたいと笑いつつ、当たってるじゃん!って

神様の意味が、全く違うということですよね?

ちなみに、私の(嫁いだ)姉の家では、じいちゃんの神棚、ばあちゃんは天理教、そして亡くなったひいじいちゃんは仏壇へ
あっちこっちに手を合わせなきゃ(^^)状態です。


戦争をしたいと思っている人はあまりいないと思います。
私ももちろん!
先日聞いた話では、北朝鮮からテポドンなど発射された時
それまでずっと沈黙していた日本が初めて話し始め、国連の各国は、日本の話しに耳を傾けた。
それは、かって無かったことだと。

世界各国から信頼される日本になれば、状況は変えられるのかもしれないと、希望を感じました。
実際、その為に努力している人達も沢山いると思います。

<その時代の制約に合わせて初めて生きていけるもの>
確かにそうですね。
そして、その制約は変わってゆくもの、変えてゆけるものでもある。
努力している人達は、変えてゆこうとしている人達とも言えるのではないでしょうか?
とはいっても、人それぞれに出来ることできないことがありますよね。
今、私は自分が出来ることをやろうと思い、HITOTSU学イベントやNoh氏を紹介しています。


日本人のカテゴリーは、ichide!さんが書かれているように
国籍か
DNAか
意志か
次元によって違うでしょう。

私の希望としては、日本の本質を語り、伝統も守られつつ、
世界から信頼され、愛され、学ばれる「世界の中の日本」になって欲しいですね。

あくまで、私の勝手な願いです(^^)

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