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水俣学コミュの追悼 土本典昭監督

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新聞各紙が報じたように、去る6月24日、記録映画作家の土本典昭監督が逝去されました。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0624/TKY200806240191.html

助監督時代、土本監督特集でその作品をほとんど全部観た僕にとって、やはり感慨深いものがあります。
そうした経験があったからでしょう、2006年4月末、僕は、水俣病公式確認50年を記念する集いに足を運びました。
そして、その日を境に、水俣病問題について調べ始めました。
約1年後、それをテレビの企画書としてまとめたのですが、なかなか興味を示してもらえませんでした。
そこで、今度は朝日新聞の「私の視点」に投稿したのですが、やはり、自分の体験に根ざした内容に成りえていなかったからでしょう、ボツとなりました。
しかし、土本監督を追悼する意味で、ここに、拙文を公表したいと思います。
(2007年5月時点のものです)

◆水俣病51年

 5月1日、水俣病は公式確認から51年を迎えた。すでに半世紀もの歳月が流れたが、今も熊本・鹿児島両県には、5千人を超える水俣病の認定申請者が審査を待っている。ハードルの高い行政認定をあきらめて医療費の全額支給策に妥協した人たちを加えれば、救済を求める被害者は約1万3千人にも上るのだ。

 私が水俣病について調べるようになったのは1年前、公式確認50年の記念行事に参加したのがきっかけである。壇上で病んだ身体を支えられながら、苦しい思いを語る被害者の姿に衝撃を受けた。水俣病は終わっていない。そのことを、まさに実感した。

 水俣病問題で最も関心を持ったのは、国はなぜ認定基準を見直さないのか、ということである。04年10月の水俣病関西訴訟最高裁判決では、被害拡大を招いた国と熊本県の責任が確定。認定基準においては、国の基準より緩やかな基準で水俣病と認めるのが妥当とされた。国の基準は、手足のしびれなどの感覚障害のほかに、運動失調や視野狭窄など他の症状との組み合わせを求める。これに対し、最高裁は「一定の条件があれば、感覚障害だけで認められる」とした。法廷では認定基準の科学的根拠をめぐって医学者たちが対立したが、説得力にまさる原告側の主張が認められたのである。

 具体的に言えば、それまで水俣病の感覚障害は末梢神経の損傷が原因とされていたが、この裁判で、中枢神経の損傷が原因であることが証明されたのだ。「末梢説」から「中枢説」へ、認定基準の土台が覆ったのである。国の認定基準は事実上否定されたのだ。

 しかし、国はいっこうに認定基準を見直そうとはしない。判決直後、環境省トップは会見でこう述べた。「水俣病の認定基準は医学者の知見の集積であり、妥当である」。今の基準は30年前、旧環境庁が“水俣病の専門家”とする医師たちを集めて作ったものである。救済には厳しすぎるとしてこれまでに何度も批判されてきたが、そのたびに国は、医学的知見の“権威性”を強調して見直しを避けてきた。

 だが考えてみると、30年前の医学的知見に全く検討の余地がないというのは自然なことだろうか。医学の進歩は極めてめざましい。海外ではすでに「末梢説」は否定され、「中枢説」が定説となっている。学説が塗り替えられるのは、科学史を振り返ってもごく自然なことである。すると、30年前の医学的知見は本当に“医学的知見”だったのか、という疑問が頭をもたげてくる。

 その疑問に応えてくれるのが、91年の水俣病問題専門委員会の議事録である。その中で旧環境庁職員はこう発言している。「水俣病に関して純医学的な面から医学者の方がつくられた診断基準というものがないものですから」、「実際は行政の方の判断条件しかないようなところでございます」。つまり、国の結論が先にあって、それを医学者が追認したに過ぎないと読み取ることができるのだ。国は明らかに嘘をついていたことになる。

 環境省はなぜ認定基準を見直そうとしないのか、説明責任を果たすべきである。同時に、今も苦しむ未認定患者の存在を身を持って知るべきだと思う。

コメント(6)

ノンビリーノさん
こんばんは

50年記念行事は日比谷のでしょうか

あの時 僕はボランティアをさせていただきました

体調が悪いのを押して 患者さんたちは
がんばっていましたね

あの日 杉本栄子さんに会えました
でも それが僕にとっては 最後になってしまいました

八月には 新潟で水俣展があり、土本さんの映画も
二本上映されます

見に行ければいいな と思っています
ゆたかさん

そうです、水俣フォーラムが日比谷でやった行事のことです。
ボランティア、ご苦労さまでした。

叢想行列では、緒方正実さんのそばを歩き、終点で杉本栄子さんの笑顔に出会いました。
特別講演会では、中原八重子さんのお話がとても印象的でした。

1週間後、杉本さんの講演会にも足を運びました。
あの頃は、杉本さんも精力的に動いていらしたようですね。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

今後、土本さんの追悼関連の動きが、水俣病問題への関心を呼び寄せるきっかけになればいいな、と思っているところです。
さっそくですが
BSで深夜6日
土本水俣映画をやるみたいですよ
遺作となった「ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話」(土本典昭+石坂健治 現代書館 3600円+税 ISBN978-4-7684-7672-7)をようやく…。日本映画史への貴重なドキュメントでもあります。また相思社にも出かけたくなっています…
始めまして。
土本監督は、両親が大変お世話になられた方です。
訃報を聞いて残念でたまりません。

水俣の歴史を直視し伝えてもらった事には感謝と
言う言葉以外思いつきません。

ご冥福をお祈りいたします。
江郷下

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