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歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの日本初の紙幣は、商人が発行(^O^)

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室町時代の頃から、商業の発達していた伊勢山田地方(三重県)では、商人同士の間で 信用取引の証文である“手形”が使用されていました(^O^)
日本の紙幣の元祖は、この手形から進化した“山田羽書(やまだはがき)”と呼ばれる換券で、江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615)頃には、既に使用されていたようです(^O^)
初めは商人が 自分の信用で個別に発行するものでしたが、やがて幕府認可の“羽書株仲間(はがき かぶなかま)”が組織され、伊勢神宮領の自治機関・三方会合所(さんぽう えごうしょ)が発行・引き換えなどの業務を管理していました(^O^)
1641(寛永18)年からは、金貨とも 引き替えられるようになり 64匁(もんめ)=1両のレートで、1匁札・5分札・3分札・2分札の4種が、明治時代になるまで流通していました(^O^)
一方、藩札(はんさつ)は 大名家の財政ピンチ打開のために やむなく幕府が発行を認めた領内通用紙幣で、こちらは 1661(寛文元)年に 越前国福井藩(福井県)が発行したのが 最初です(^O^)電球
幕府自体は、お札を発行しませんでした(^O^)国家財政が 火の車となった江戸後期〜幕末には、出したかったでしょうが 幕府にはもう、紙切れのお金ドル袋を流通させるだけの信用が なくなっていました(^_^;)

コメント(2)

藩札は札奉行の監視下で資産家などが札元になり発行。
福井藩では、駒屋右衛門、荒木七郎右衛門が札元でした。

十匁(もんめ)、五、四、三の四種類。
明治になるまで二百年間流通しましたよ。

最初はみんな不審がり、なかなか交換しなかった…
( ̄〜 ̄)ξ

詳しく 知ってますね(^O^)
尊敬です(^O^)

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